第18話

 父も母も派手好きで、ミラベルに与えられるドレスや装飾品も、かなり豪勢なものだった。ミラベル自身も、少しきつめの顔立ちであることもあり、花が好きだと言うと、派手な花束を渡されることが多かった。

 婚約者だったニースには、小さな鉢植えの花が好きだと伝えたこともあったが、きっと忘れているに違いない。

 学園時代の友人のひとりにそれを伝えたとき、彼女はとても微妙な顔をしていた。

 そのときは理由がわからなかったが、後から、その友人が今さら清楚アピールしても遅いと嘲笑っている場面を、見てしまったことがある。

 それからはソレーヌやコーリーのような、特に親しくしていた友人以外には、自分のことを話さないようにしていた。

 それなのに、今までほとんど会話をしたことがなかったリオが、ミラベルの好みを把握しているとは思わなかった。

(きっとソレーヌが話してくれたのね)

 淡い青色の小さな花は、とても可愛らしい。

 しかも鉢植えの花を貰ったことで、いつまでもこの公爵邸にいても良いのだと言われたようで、嬉しかった。

「……これは、何という花なの?」

 興味深そうに覗き込んだソレーヌが、そう問いかける。

「勿忘草よ。この小さな花がとても可愛らしくて、好きな花なの」

 青い勿忘草。

(たしか花言葉は、真実の愛……)

 ついそう思ってしまい、慌ててその考えを振り払う。

 リオがそこまで知っていたとは思わない。

 そもそも彼がミラベルに、真実の愛を捧げることはないというのに。

「ミラベル」

 鉢植えの花を抱きしめて、狼狽えた様子のミラベルに、ソレーヌは優しく声を掛ける。

「朝からずっと付き合わせてしまって、ごめんなさいね。これから勉強をする予定だから、ミラベルは部屋に戻って休んでいて」

 彼女は日頃から、自主的に色々なことを勉強している。

 もしロランドが王太子に選ばれたら、ソレーヌは王太子妃となる。そのために必要な勉強なのだろう。

 教師として外部の人間が公爵邸に来ることもあって、その時間、ミラベルは自分の部屋にいることにしていた。

「ええ、わかったわ。じゃあ、またあとで」

 そう言って、鉢植えの花を抱きしめて、自分の部屋に向かった。

 リオの専属メイドとして、彼の部屋のすぐ近くに用意してもらったミラベルの部屋は、さすがに公爵邸だけあって、広くて住みやすそうな部屋だった。

 備え付けの家具やベッドも、シンプルなものだが、上等なものである。

 ミラベルはベッドの近くの窓際に鉢植えの花を置くと、そのままベッドに腰かけて、窓の外を眺めた。

 当主であるリオの部屋の近くだからか、サザーリア公爵邸の見事な中庭が一望できる。

(綺麗ね……)

 ドリータ伯爵家にも見事な庭園があったが、高価な花ばかりで、母はよく友人を屋敷に招いては、庭を自慢していた。

 たしかに希少な花や、珍しい外国の花がたくさんあって、自分の屋敷の中では一番好きな場所だった。

 でも、ドリータ伯爵家よりも格式高いサザーリア公爵邸の庭は上品で美しい。

 ここは誰かに自慢するためではなく、眺める人の心を癒してくれるような、優しい庭だった。

 いつまでも、眺めていたくなる。

 こうしていると、父や母のことや、婚約者のニース。

 そのニースの恋人であるエミリアのことも、すべて忘れてしまえる。

 そのままミラベルは、日が暮れるまで庭を眺めていた。

 そろそろ夕食の時間なのだろう。

 メイドたちが忙しく動き始め、ミラベルも何か手伝えることはないだろうかと、立ち上がったときだった。

「あ」

 中庭に、ふらりと人影が見えた。

 ここに立ち入るのは、主のリオとソレーヌ。

 そして、専用の庭師だけだ。

 庭師はもう仕事を終え、ソレーヌはこんな時間に庭に出ることはない。

「リオ?」

 思わずそう呼びかけてしまい、慌てて口を塞ぐ。

 たしかに、ふたりきりのときは名前で呼んでほしいと言われていたが、ここでは誰が聞いているかわからない。

「ミラベル」

 けれどそれを聞いたリオが、本当に嬉しそうに笑ったから、羞恥など簡単に消し飛んでしまった。

「おかえりなさい。お仕事お疲れ様でした」

 専属メイドなのだから、主を労わらなくてはならない。

 そう思って口にしたのは、なぜか夫の帰宅を迎える妻のようなセリフだった。

「……っ」

「ただいま、ミラベル。帰りが遅くなってしまってすまなかった」

 恥ずかしくなって何とか言い訳しようとしたのに、リオはまったく気にせず、ソレーヌに掛けるような優しい言葉を言ってくれる。

「お花とお手紙、ありがとうございました。鉢植えの小さな花が好きだったから、嬉しかったです」

 だからミラベルも、素直にお礼の言葉を告げる。

「ああ、知っている。だからあの花にした」

 ソレーヌに聞いたのではなく、リオ自身が知っていたかのように、彼はそう言ってミラベルに笑みを向ける。

「本来は女性に贈る花ではないかもしれないが、気に入ってもらえて嬉しい」

 そう告げると、視線を中庭に向ける。

 ミラベルも彼の隣に立ち、同じ方向を見つめた。

 恥ずかしさはもうなく、こうして静かに過ごす時間が、とても心地良い。

 夕陽が、すべてを紅く染めていく。

 主を探して屋敷中を走り回っていた執事が中庭を訪れるまで、ふたりは静かに、美しい中庭を眺めていた。

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