第15話
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
リオはまったく躊躇うことなく、ミラベルが淹れたお茶を飲んでくれた。
あまりにも整った容貌のせいか、冷たい印象を与えるリオの表情が、柔らかくなる。
ソレーヌが兄のために、心を込めて育てたハーブのお茶だ。リオの心を癒してくれるのだろう。
思わずその姿に見惚れていたミラベルは、あることに気が付いて慌てた。
「あ、申し訳ありません。毒見を忘れてしまいました」
ソレーヌは何も言わなかったが、ベテランのメイドにそうした方がいいと言われていた。
そんな大切なことを忘れてしまうなんて、と慌てる。
「いや、必要ない」
けれどリオは穏やかな表情のまま、それでもきっぱりとそう言った。
「ミラベルを疑うことなどあり得ないよ。だが、どうしてここに? その髪色や、服装も」
「それは……」
少しずれてしまった茶色ウィッグを直しながら、ミラベルはソレーヌに頼まれて、リオの専属メイドになったことを告げる。リオはあまりにも驚いたのか、カップを取り落としそうになった。
「リオ様、大丈夫ですか?」
熱いお茶がかかっていないかと、慌てて彼の手を取る。
「ああ、すまない」
そう謝罪する彼の顔が、少し赤くなっている。
慌てた様子を見せてしまったので、恥ずかしいのかもしれない。肌が白いせいで、それがはっきりとわかってしまい、ミラベルは微笑んだ。
こんなに優しくて、そしてわかりやすい人が、あんなにも恐れられているなんて、信じられない。
「しかしソレーヌは、ミラベルにどうしてそんなことを」
「私が、メイドの仕事をさせてほしいと懇願したのです。ただお世話になるのは申し訳なくて。それにソレーヌは、リオ様のことをとても心配していました」
「……そうか」
それが、以前の毒殺未遂事件のことだとわかったのだろう。
リオは表情を強張らせる。
「あれは屋敷の中とはいえ、気を抜いた俺が悪かった。もう二度と同じことがないように気を付ける」
「……ソレーヌは、それを心配しているのですよ?」
思わず嗜めるようにそう言っていた。
仕事のために訪れている王城だけではなく、屋敷の中でも気が休まらない状況では、いつか身体を壊してしまうかもしれない。
それを心配して、ミラベルに頼んだというのに。
「私では、かえって気が休まらないかもしれませんが」
「いや、それはないよ。俺が気を許せるのは、ソレーヌとミラベルだけだ」
柔らかな笑顔でそう言われて、今度はミラベルの顔が赤くなる。
「あ、ありがとうございます。私は、あの父の娘なのに」
「そのことも、話しておきたかった」
リオはそう言うと、ミラベルの手を握る。
「たしかに君の父や元婚約者の実家は、俺達とは敵対する立場だ。だが、俺達がミラベルを匿ったのは、君の力になりたかったからだ。昔、孤立していたソレーヌと親しくしてくれたことには、本当に感謝している」
「リオ様」
真摯な声に、ミラベルは息を呑む。
「だから、君をここに拘束するつもりもない。まだ危険だと思うが、それでも帰りたいというのなら、すぐにでも送り届けよう」
ほんの少しだけ。
リオが匿ってくれるのは、自分とニースの婚約がなくなった方が、ソレーヌにとって有利になるからだと思っていた。
でも実際は違っていた。
そう思っていたことが恥ずかしくなるくらい、リオの言葉は誠実なものだった。
むしろリオこそ、ミラベルを匿っていたことが知られてしまえば大変なことになる。
ドリータ伯爵家とディート侯爵家が婚姻によって結び付くことを防ぐために、リオが妹のソレーヌを使って、ミラベルを誘拐して監禁した。
そう思われてしまう危険性もあったのだと、今さらながら気が付く。
それなのに、行き場のないミラベルを保護して、匿ってくれた。
(ふたりとも、私のために……)
ミラベルは今までのことを静かに思い返す。
最初は不誠実なニースと結婚するのが嫌で、彼との婚約さえなくなればそれで満足だった。
けれど実家から離れ、互いに支え合って生きているソレーヌとリオを見て、自分がどれだけ愛に飢えていたのか知ってしまった。
思えば両親も婚約者も、ミラベルをまったく愛してくれなかった。
父にとって、ミラベルは自分の地位を盤石にするための、家同士を結び付けるための駒でしかない。
娘とすら、思っていないのではないかと思う。
そして、そんなドリータ伯爵家も、ミラベルが思っていたよりもずっと、恨まれていた。
婚約者だったニースにとっても、ミラベルは自分に地位と名誉を与えてくれる存在でしかなかった。
さらにミラベルを悪者にすることで、自らの不誠実さを誤魔化そうとしていた。
ドリータ伯爵家とまったく関係がなくなるミラベルを、大切だと、味方だと言ってくれたのは、ソレーヌとリオだけだ。
そんなふたりの傍にいたい。
もう二度と、家には戻りたくない。
その願いを口にすることは許されるだろうか。
ミラベルはリオを見上げた。
「帰りたいなんて思いません。もうあんな家には帰りたくない……。私がいると、迷惑だということはわかっています。でも、きちんとメイドの仕事ができるように頑張りますから。だから、私をここに置いてください」
リオにしてみれば、余計な火種を抱え込むことになる。大切なソレーヌに害が及ばないためにも、断るかもしれない。
けれどリオは優しく笑って、ソレーヌにするように、ミラベルの頭を優しく撫でてくれた。
「ああ、構わないよ。ミラベルさえいいのなら、ずっとここにいればいい。仕事も、ソレーヌの話し相手をしてくれて、たまにこうしてお茶を淹れてくれたら、それで十分だ」
今まで誰かに、こんなふうに撫でられたことなどあったのだろうか。
優しく気遣ってもらったことがあっただろうか。
思わずぽろりと涙を流すと、リオはミラベルの前に跪き、両手を握って顔を覗き込む。
「もう何も心配しなくていい。ミラベルは、ソレーヌと俺にとって大切な友だ。必ず守る」
「……ありがとう、ございます」
妹の友人ではなく、自分の友と言ってくれた。こんなに厄介な存在だというのに、守ると言ってくれた。
それが嬉しくて、ミラベルの涙はまだ止まりそうになかった。
肩を震わせて泣くミラベルを、リオは子どもをあやすように、優しく背中を叩いてくれる。
きっとソレーヌが泣いたときは、こうやって慰めていたのだろう。
(でも、リオ様は?)
彼には、つらかった記憶が、泣きたいほど苦しかった夜はなかったのだろうか。
もしそんなときが来たら、今度はミラベルが彼を抱きしめてあげたい。
そう思いながらも、今は優しく心地良い腕の中に身を任せた。
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