第14話

 お礼を言わなくてはならないのはこっちの方だと、ミラベルは首を横に振る。

「これから何をしたらいいのか、教えてほしいわ」

「そうね。じゃあ、お兄様の好きなお茶の淹れ方から」

 そう言ってソレーヌは、丁寧にわかりやすく教えてくれた。

 彼女こそ公爵令嬢なのに、ドリータ伯爵家のメイドよりも上手に淹れることができる。

 温室でソレーヌが手ずから育てているというハーブも、たまに手作りする菓子も、すべて兄のリオのためなのだろう。

「私はいずれ、この屋敷を出なくてはならない。でも、お兄様をひとりで残していくのが心配だったの。もしミラベルが嫌でなかったら、ずっとここに居てほしいくらい」

 お茶の淹れ方をミラベルに教えながら、彼女はそう言って、少しだけ寂しそうに笑った。

 たしかにソレーヌの言うように、彼女はいずれ王子妃となる。

 もしロランドが王太子になれたら王城で暮らすだろうし、臣下になるとしたら、彼に与えられた領地に同行しなければならない。

 そうなれば、疲れているリオにお茶を淹れることも、お茶やお菓子のためにハーブを育てることもできないだろう。

 だから、そんな大切な役目を、ソレーヌはミラベルに託そうとしてくれた。

「ごめんなさい。もしミラベルが家に帰りたいと思うなら、引き留めるようなことはしないわ。家族は大切だもの」

 ソレーヌの信頼に感動して黙り込んだミラベルだったが、ソレーヌはミラベルが困っていると思ったようで、慌ててそんなことを言う。

「家族なんて……」

 ソレーヌの前では決して言うまいと思っていた本音を、思わず口にしていた。

「もし私が戻らなくても、父は使える駒が減ったと思うだけ。母だって、世間体の方が大事だと思うから、こんな騒ぎを起こした私を嫌悪すると思うわ」

「ミラベル……」

 自嘲気味にそう言うと、ソレーヌに抱きしめられた。

 柔らかな温もり。

 母にだって、こんなふうに抱きしめられたことなどない。

「ごめんなさい。私があのとき、無責任に失踪すればいいなんて言ってしまったから」

「ううん。決めたのは私だし、あのままニースと結婚させられるより、今の方がずっと良いわ。だから気にしないで」

 あのままだったら、ニースの本音も、ドリータ伯爵家の評判も知らないままだったと思うと、ぞっとするくらいだ。

「むしろ、ソレーヌには感謝しているわ」

 身の拠り所をなくしたミラベルに、居場所と役目を与えてくれたこと。

 もしソレーヌがロランドに嫁いでも、この屋敷に居られるように取り計らってくれたことに感謝して、精一杯リオに仕えたいと思う。

「……それなら、よかった」

 ソレーヌは、こんなミラベルの言葉に、心から安堵した様子だった。

「ミラベルは私にとって、お兄様と同じくらい大切な存在なの。だから、何でも言ってね。あなたの力になりたいわ」

「……うん。ありがとう」

 たったひとり残された大切な家族である、リオと同じくらい大切だと言ってくれた。

 そんなソレーヌの気持ちが嬉しくて、ミラベルは危うく涙ぐみそうになる。

「私も、自分の家族よりもソレーヌが好きよ」

 リオのことも、父とは比べものにならないくらい信用している。

 それはリオもソレーヌも、ミラベルの意志を大切にして、優先してくれるからだ。

 ひとりの人間として扱ってくれる。

 だからミラベルも、父や婚約者の政敵であるはずの、リオとソレーヌを信じられるのだ。

 ミラベルの言葉を嬉しそうに聞いていたソレーヌだったが、不意にその顔が曇った。

 何か気懸かりなことがあるようだ。

「彼女は私との関わりは皆無だったけれど、この屋敷の内部に刺客が潜り込んでしまったことを考えると、ミラベルも変装していた方が安心かもしれない」

 彼女とは、リオの命を狙ったメイドのことだろう。

 その人はどうなったのだろうか。

 少しだけ考えたが、サザーリア公爵家の当主を暗殺しようとしたのだから、きっとその罪は軽くはない。

 彼女の行く末は考えないことにした。

 リオの毒殺未遂事件の際、公爵家に勤める使用人達を、出入りの業者も含めてすべて調べ上げ、少しでも疑わしい者は解雇したようだ。

 けれど、公爵家はとても大きい。

 これからも間者が紛れ込む可能性もある。

 それを考えると、公爵家の屋敷内でも変装していた方がよさそうだ。

「そうね。ふたりに迷惑を掛けてしまうのも嫌だから、そうするわ」

 王城での夜会で着用した茶色のウィッグを被り、名前もベルと呼んでもらうことにする。

「ごめんなさい。あなたに窮屈な思いをさせてしまって」

「そんなこと、気にしないで。むしろ新しい自分になったみたいで、嬉しいわ」

 ミラベルは明るくそう笑った。

 それは嘘ではなく、ドリータ伯爵家と婚約者だったニースから解放され、サザーリア公爵家のメイドとして生きていけるのかと思うと嬉しい。

 それが、本心からの言葉だと伝わったのだろう。

 憂い顔をしていたソレーヌも。ようやく笑ってくれた。

 こうしてミラベルのことは、サザーリア公爵家に古くから勤めている、信頼できる人達にだけ伝えることになった。

 他のメイド達は、ただの新参者だと思っていることだろう。

 ただのメイドが客間に住んでいるのもおかしな話なので、ソレーヌに別室を用意してもらえるように頼んだ。

「あなたがそう言うなら、用意させるけど……。一応ミラベルはお兄様専属のメイドだから、部屋もお兄様の部屋のすぐ近くになってしまうわよ?」

「……っ」

 そう言われて少し怯む。

 でも、リオの専属メイドならそれも当然だと、大きく頷いた。

「ええ、任せて。私がリオ様を守るから!」

 ここはミラベルがようやく手に入れた、大切な居場所だ。きっと守ってみせると、そう宣言する。

「……無理はしないでね? お兄様の護衛は、ちゃんといるから」

ソレーヌはやや不安そうだったが、ミラベルは張り切っていた。


 こうしてリオが不在の間に引っ越しも終え、彼の専属メイドとして働くことになった。

「でも、たまには今まで通り、私と一緒にお茶会をしましょうね。お兄様が留守の間は、私の部屋にいればいいわ」

 そんなソレーヌの要望で、リオが不在のときは今まで通り、ソレーヌの話し相手を務めることになる。

 彼女の部屋にいるのは、古参の使用人で、本当に身元も確かな者ばかり。ここでなら、ミラベルも素の自分に戻れるだろう。

 けれどリオが屋敷に戻っている間は、彼の専属メイドだ。

 ミラベルはリオが帰ったと聞き、すぐにソレーヌから習ったばかりのお茶を淹れようと、その用意をして彼の部屋に向かった。

 少し緊張しながらも、部屋の扉を叩く。

「リオ様、お茶をお持ちしました」

「……不要だ」

 わずかに上擦った声でそう言ってみるが、聞いたことのないほど冷たい声が聞こえてきて、思わず息を呑む。

 彼の専属メイドは、お茶に毒を入れたと聞いた。たしかに今、メイドの淹れたお茶など飲む気にはなれないだろう。

 でも、声からしてかなり疲れているようだ。

 ここは、少し強引でも休んでもらわなくてはと、ミラベルは承諾を得ずに部屋の扉を開いた。

「失礼します!」

「……ミラベル?」

 ソファーに横たわるようにして座っていたリオは、部屋に入ってきたミラベルの姿を見て、すぐに立ち上がる。

「どうしてミラベルが、ここに? ああ、すまない。さっきのは……」

 慌てた様子で言い訳を口にする彼に、ミラベルは思わずくすりと笑う。

「まさか、ミラベルだとは思わなかった。許してほしい」

 先ほどの冷たい声は、聞き間違いだったのではないかと思うほど、謝罪するリオの声は優しい。

「勝手に入ってしまって申し訳ありません。ですが、ソレーヌから習って、私が淹れたお茶です。疲れが取れますから、どうか飲んでください」

「ああ、頂くよ」

 そう言うリオは、無理をしている素振りはない。

 むしろ、少し嬉しそうだ。

 だからミラベルは、ソレーヌから習った手順を必死に思い出しながら、リオのためにお茶を淹れた。

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