第16話
「申し訳ありません。お忙しいリオ様の時間を……」
寝る間も惜しんで忙しく働いている彼の、貴重な時間を奪ってしまった。
そのことに気が付いて、慌ててリオから離れる。
けれどリオは名残惜しそうに、離れていくミラベルの指先をそっと握る。
「リオ、と呼んでくれないか。友人から畏まって呼ばれると、少し寂しい」
「……っ」
思いがけない言葉に、動揺する。
たしかに妹のソレーヌやミラベルには優しいが、世間では冷徹な公爵だと言われているリオが、そんなことを言うなんて思わなかった。
「わ、私はリオ様の専属メイドです。主を名前で呼ぶなんて……」
「この部屋の中だけで、構わないから」
「……ええと」
どうするのが正解なのかわからず、視線を彷徨わせる。
でもミラベルだって、ソレーヌとリオを大切に思っている。寂しいと言われてしまえば、突き放すことはできなかった。
「わかりました。でも、ふたりのときだけです」
「ありがとう」
仕方なく承知すると、リオは嬉しそうに笑った。
その笑顔に、胸がぎゅっと切なくなる。
友人同士で名前を呼び合う。
たったそれだけのことを、こんなに喜んでいる彼は、今までどんな過酷な人生を送ってきたのだろう。
あまり長居しても、仕事の邪魔をすることになる。
ミラベルは彼が少し休息を取ったことを確認すると、茶器を片付けるために退出した。
茶器は指定された場所に置いておくだけで良いと言われていたので、そうする。
本来ならメイドとして、きちんと後片付けまでやるべきだ。けれど、さすがにサザーリア公爵家の茶器は高級そうで、割ってしまったらと思うと恐ろしい。
(もう少し慣れたら、きちんと後片付けまでやろう)
そう決意して、ソレーヌの部屋に戻る。
「ミラベル、大丈夫だった?」
彼女は落ち着かない様子で待っていたらしく、扉を開けた途端にそう言われて、思わず笑ってしまう。
「ええ、もちろん。きちんと休んで頂いたから、心配しないで」
そう告げると、ほっとした様子だった。
「ああ、やっぱりミラベルに頼んで正解だったわ。あのことがあってから、以前よりも気を張っている様子で、少し心配していたの。でも……」
ふと、ソレーヌがミラベルの頬に触れた。
少しだけ、怒っているように見える。
「目が赤いわ。もしかしてお兄様に泣かされたの?」
「違うわ!」
リオのせいではないと、慌てて否定する。
「ここに居ても良いと言ってもらえたのが、嬉しくて。父やニースには、もう会いたくなかったから」
「そうだったの」
痛ましそうに、ミラベルの頬に手を添えていたソレーヌは、そのままぎゅっと抱きしめた。
「ミラベルの家族がそんな扱いをするのなら、もう帰さない。私達がミラベルを大切にするわ。だから、ずっと一緒に居ましょう?」
「うん。ありがとう。私も、あなた達が大好きよ」
しっかりと抱き合いながら、そんな言葉を交わす。
家族の愛には恵まれなくても、こんなに大切にしてくれる人達がいる。
だから、もう過去のことは忘れて、新しい自分の人生を生きようと思う。
それから、数日後に、ミラベルはニースがどうなったのか聞くことができた。
彼はようやく地下牢から解放されたものの、侯爵邸には帰らず、王都を出たらしい。
どうやらこんな騒ぎを起こしたニースを、父であるディード侯爵は許さなかったようだ。婚約者のミラベルを見つけるまでは帰ってくるなと、そう怒鳴りつけて追い出したそうだ。
ミラベルは、ソレーヌからその話を聞いて、溜息をつく。
(探されても、困るのよね)
ミラベルとしては迷惑なことだが、おそらくニースは、地方の修道院などを探すだろう。
まさか王都にあるサザーリア公爵邸で、リオの専属メイドとして暮らしているとは思うまい。
もしミラベルとソレーヌが親しい友人同士であることを知っていて、彼女が匿っているのかもしれないと疑いを持ったとしても、サザーリア公爵邸を探すことは不可能である。
リオやソレーヌと、話をすることもできないに違いない。
だから、ニースに見つかる心配はない。
彼は手がかりもなく、ただ闇雲にいるはずのないミラベルを探し続けるしかないのだろう。
「ディード侯爵はニースだけを切り捨てて、何としても娘を第二王子の妃にしたいようね」
ソレーヌは兄から聞いたという話を、ミラベルにも聞かせてくれた。
そのためには、ニースの醜聞を揉み消し、ディード侯爵家を建て直す必要がある。
問題は、その資金をどこから調達するかだ。
「それが、ディード侯爵はドリータ伯爵と、そのまま資金提供についての話し合いを続けているらしいの」
「お父様と?」
たしかにミラベルとニースとの婚約は、まだ解消されていない。
父もディート侯爵も、ミラベルは地方の修道院にでも隠れていて、すぐにニースが見つけ出すと考えているのだろうか。
(危なかったわ)
実際、ソレーヌに声を掛けられるまでは、ミラベルもそうしようと思っていた。
「地方に行かなくて、本当によかった」
「そうね」
ソレーヌは深く頷いた。
「きっと、ニースが苦労してミラベルを探し出して謝罪し、本当はニースを愛しているミラベルは、そんなニースの愛に感動して、彼のもとに帰る。向こうは、そう話を進めるつもりではないかしら」
「……ニースを愛しているから身を引くと、そう手紙に書いてしまったからね」
ミラベルは思わず苦笑する。
実際には、ミラベルは彼のことなどまったく愛していない。
もし目の前に現れたら、全力で逃げるだろう。
「でも、ニースにミラベルは見つけられない。彼が、いつまでも地方を回ってミラベルを探し続けられると思う?」
ソレーヌの言葉に、ミラベルは首を横に振る。
「無理ね。彼に、そんな情熱も根性もないわ」
彼がどんなに探しても、ミラベルは見つからない。
王都から遠く離れた地方での、不自由な暮らし。
きっとすぐに嫌になり、王都に戻りたいと思うに違いない。
そうなったとき、ニースはどうするだろう。
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