第30話
ジアーナが気に入ったお菓子を売っている店は、貴族令嬢に人気の菓子店だ。
買ってきてくれたのはメイドだが、ミラベルも学生時代によく行っていたので、店の場所は知っている。
学生時代は交流を深めるという名目で、皆、ある程度は自由に過ごしていた。
ミラベルもひとりで行くことはなかったが、クラスメイトに誘われたら、王都で買い物やお茶をして楽しんでいた。
もちろん学生とはいえ、貴族令嬢が通うくらいだから、きちんとした店である。だからジアーナのメイドが、菓子を買うために立ち寄るくらいなら、問題はないだろう。
そう思ってロヒ王国のメイドに場所を説明したが、少し入り組んだ場所にあるため、わかりにくかったようだ。後日、詳しい人に案内を頼んだらよいのではないか。
そう伝えたが、ジアーナはどうしても今日、このお菓子を買って帰りたかったらしい。
「ねえ、あなたがこの店まで案内してくれないかしら」
ミラベルに、そう頼み込んだ。
「ですが……」
「お菓子を買ったらすぐに戻るわ。だから、お願い」
もちろん、最初は断った。
死んだことになっているミラベルが、王都に出るなんて、あってはならないことだ。
けれどジアーナは、リオの許可がないと屋敷から出られないと言っても、引き下がってくれなかった。
馬車から降りなくとも良い。
菓子店の場所さえ教えてもらえたら、それで充分だからと、繰り返し懇願されてしまえば、断り切れなかった。
相手は、外交のために訪れているロヒ王国の王女殿下である。
もし断り続けて不興を買ってしまえば、案内役になっているリオの責任になってしまう。
「……わかりました」
最後には、そう言うしかなかった。
「ありがとう! すぐに行きましょう?」
大喜びのジアーナに、ロヒ王国の馬車に乗せられたミラベルは、彼女に気付かれないように溜息を付いた。
王都で誰かに姿を見られてしまったら、リオに迷惑を掛けてしまう。
それだけは、気を付けなくてはならない。
そんなミラベルとは裏腹に、ジアーナはずっと上機嫌で、嬉しそうに窓の外を見ている。
「ねえ、あれは何の花かしら」
そう言われて視線を向けると、今の時期に咲く小さな赤い花が見えた。
「ラナの花です。赤い花びらは染料としても使われています。香りもとても良いので、香水なども作られるそうです」
「ラナ。ええ、聞いたことがあるわ。あれがそうなのね」
それからも、花の名前などを聞かれ、すべてに答えていると、ふとジアーナの顔つきが変わった。
思い詰めたような、覚悟を決めたような瞳をしている。
先ほどまで、花を見て嬉しそうにはしゃいでいた彼女とは、まるで別人のようだ。
急激な変化に戸惑うミラベルに、ジアーナは静かに語る。
「リオが最近、珍しい花を買い求めていると聞いて、不思議に思っていたの。妹のためかと思っていたけれど、彼女への贈り物は、いつもお菓子だった。あれは、本当にあなたのためだったのね」
最初は信じられなくて、とジアーナは、笑みを浮かべる。
「でも、あなたがリオの本命でよかった。あの人が、本気でメイドと婚約するなんてありえないと思っていたのよ。だからメイドは隠れ蓑で、本命は別にいるのかと。でもあなたは、あのリオが忙しい仕事の合間に、自分で花を取り寄せるくらい、大切な人。それなら……」
ジアーナは、まっすぐにミラベルを見た。
「何とかして、取り戻そうとするでしょうね」
ミラベルは、咄嗟に馬車の窓から外を見た。
いつの間にか大きく道を外れて、あまり見覚えのない道を走っている。
おそらく最初から、ミラベルを連れ出すのが目的だったのだ。
嫉妬や、嫌がらせではないだろう。
ジアーナの瞳に、リオに対する恋慕はまったくなかった。
彼女にはもっと大きな目的があり、そのためにミラベルを使ってリオを利用しようとしている。
(我儘王女の嫉妬なら、まだ可愛らしかったかもしれないわね)
迂闊に公爵邸から出てしまったことを後悔するが、相手が他国の王女殿下では、どうにもできなかった。
もし断り続けてジアーナの不興を買ってしまえば、王女の案内係を請け負っているリオだけではなく、ロヒ王国と大きな関わりを持つロランド。そして、その婚約者であるソレーヌにまで悪い影響が出てしまうかもしれない。
それに案内役を命じられていたリオが、王女を怒らせたと知れば、それを非難する者は必ず現れる。
ミラベルが王女の申し出を受け入れて、彼女の機嫌を損ねなかったことで、リオの敵に付け入る隙を与えずに済んだ。
(でも、迷惑を掛けてしまうことには変わりはない……)
ジアーナのやろうとしていることは、正攻法でリオに交渉を持ち掛けることができないくらい、面倒なことなのだろう。そうでなければ、ロヒ王国の王女が誘拐まがいのことをするはずがない。
ミラベルの表向きの身分がメイドであったことも、ジアーナがこんなことを実行した理由かもしれない。
もしこれがロードリアーノ公爵の妹であり、王族の婚約者でもあるソレーヌだったら、国際問題になる。
「卑怯な手段で脅して、リオに何をさせるつもりですか?」
どうしようもなかったとはいえ、彼女の思い通りに動いて、リオを利用されることになってしまったのは悔しい。
だからつい、口調もきつくなってしまう。
さすがに王女相手に無礼かもしれないと思ったが、ジアーナがそれを咎めることはなかった。
「ごめんなさい。あなたとリオには、本当に申し訳ないと思っているわ。でも、私では無理だったから」
そう言って俯いたジアーナの声は、震えていた。
その姿を見て、ミラベルは息を呑む。
どうやら思っていたよりも、事態は深刻そうである。
ならば、何が起こっているのか知らなくてはならない。
ミラベルは先ほどまでの怒りさえ忘れて、ジアーナに問いかけた。
「何があったのですか?」
彼女は、すぐには答えなかった。
「私も、この件には無関係ではありません。それに、リオのことが心配なんです」
そう言うと、ジアーナはようやく覚悟を決めたように、重い口を開く。
「ごめんなさい。確かにあなたには、経緯を説明しなくてはならないわ。……ロヒ王国で、私が援助していた孤児院の子どもたちが、攫われてしまったの」
「子ども、ですか?」
政治的な話だとばかり思っていたミラベルは、予想外の言葉に戸惑う。
「ええ。手を尽くして探したけれど、どうしても見つからなくて。これほど時間が経ってしまえば、もう、あの子たちを救うことはできないかもしれない」
ジアーナはそう言うと、感極まったように両手で顔を覆う。
「でも、他の子どもたちが同じ目に遭わないようにと思って、ずっと犯人を捜していた。そして、それがこの国の人間であることを突き止めたの」
ロヒ王国の子どもたちを浚っていたのは、この国の人間だったとジアーナは告げた。
「父に相談してみたけれど、証拠が不十分で、これでは正式にララード王国に抗議することはできないと言われたわ。だから自分でこの国に来て、確かな証拠を探したわ」
ジアーナの目的は、リオでもリオの婚約者に会うためではなく、子どもたちを浚った誘拐犯を捜すためだったのだ。
「でも駄目だった。せっかく証人を見つけ出しても、彼らは他国の人間を信用してくれない。私がロヒ王国の人間だと知ると、途端に口を閉ざしてしまうの」
確かに、この国とロヒ王国との関係はずっと悪化していた。ロヒ王国の人間だというだけで、嫌悪感を抱く者もいると聞いている。
けれど、証人が口を閉ざしてしまうのは、それが理由ではないらしい。
「この件の黒幕が、かなり有力貴族らしいの。迂闊に証言をしたら、消されてしまう。他国の人間では、自分たちを守ることなどできないだろうと、信頼してもらえなくて」
「……それで、リオを?」
おそらくジアーナがリオとの婚約を願ったのも、ロードリアーノ公爵家に嫁ぐことになれば、誘拐犯や黒幕を捕らえることができると思ったからだろう。
「ええ。その黒幕は、彼と敵対する人間に、資金提供をしているらしいわ。だからリオなら、証人たちにも信頼してもらえると思って」
「資金……」
ジアーナが明かした秘密は、あまりにも衝撃的だった。
リオと敵対しているのは、第二王子クレートの派閥。
その筆頭は、ニースの実家であるディード侯爵。
(そのディード侯爵家に、資金提供しているのは……)
血の気が引くような感じがして、ミラベルは両手をきつく握りしめた。
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