第29話
ミラベルは正式にリオの婚約者となり、メイドの仕事を控えて、領地運営について学びだした。
ソレーヌと一緒にこの国の法律を学び、リオも時間を見つけては、領地についてミラベルに教えてくれる。
夢中になって勉強に励むミラベルに、リオもソレーヌも、あまり無理をしないようにと気遣ってくれた。
今日は、ソレーヌは王城で妃教育。
レオも王城で、ロランドの補佐をしている。
ひとり公爵邸に残ったミラベルは、朝から図書室で自習をしていた。
打ち込めることがあること。
それが、これからもふたりと一緒に生きるために必要であることが嬉しくて、最近は暇さえあれば、図書室に通って勉強をしている。
学生のときだって、こんなに熱心ではなかった。
(やれることがあるのは、幸せなことだわ)
そう思いながら、本を閉じる。
ずっと、一方的に世話になっている申し訳なさを感じていた。
大切なふたりに、迷惑をかけている。
とくにリオは、ミラベルを匿ったことによって、不利益を被ってしまう恐れがあった。
それがずっと、気にかかっていたのだ。
でもミラベルは、ニースの早とちりのお陰で死んだことになった。これからは別人として、ふたりと一緒に暮らすことができる。
そのためにも、頑張らなくてはならない。
今日もソレーヌが帰ってくるまで図書室に籠っている予定だったが、彼女が手配しておいたメイドに、昼食の時間だからと連れ出されてしまう。
ならば午後からと思ったものの、次はドレスの打ち合わせだと言われてしまい、結局彼女が帰ってくるまで、図書室に行くことはできなかった。
「だって、ミラベルをひとりにしたら、朝から夜まで勉強漬けになってしまうことはわかっていたもの」
王城から戻ってきたソレーヌは、やや不満そうな顔をしたミラベルを見て、くすくすと笑う。
「でも、私にできることはこれしかないから」
「……昔は、私もそう思っていたのよ」
ふと、ソレーヌの顔から笑みが消える。
そうして彼女は、過去を思い出すように目を伏せた。
「ロランドと婚約したばかりの頃。ただお兄様に守られているのが嫌で、私にもできることを精一杯やろうと思ったわ。その結果、寝る間も惜しんで勉強をしていたことがあったの」
当時、ロランドとソレーヌが生き残るには、彼が王太子に選ばれるしか方法はなかった。
だからソレーヌは、王妃にふさわしい教育を身に着けるために、勉学に励んだのだろう。
それが少しでも兄の負担を減らし、ロランドを守ることに繋がると信じて。
今のミラベルには、そんなソレーヌの気持ちが痛いほどよくわかる。
「ソレーヌ」
その手を握ると、ソレーヌの顔に笑みが戻る。
「でも、あまり熱中しすぎて身体を壊してしまって。かえってお兄様とロランドに心配と迷惑をかけてしまったわ。だからミラベルも、勉強も大事だけれど、もっと自分の身体を大切にしてね」
「ええ、わかったわ。ありがとう、忠告してくれて」
ミラベルは素直にそう言った。
もしそれで体調を崩したとしても、自業自得である。
けれどリオは心配してくれるだろうし、今よりももっと、ミラベルのことを気に掛けてくれるようになるだろう。
だがそれは、彼の負担を増やすことにも繋がる。
そのことに気付かせてくれたソレーヌに礼を言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「ミラベルがわかってくれて嬉しいわ。私も昔は、自分を過信していたのよ。お兄様と違って、小さい頃から健康には自信があったから、少しくらい無理をしても大丈夫だと……」
「え?」
ミラベルは思わずソレーヌの話を遮って、驚きの声を上げてしまう。
ソレーヌは幼い頃、父が所有する別荘で療養していたはずだ。
そのときに彼女と友達になり、一緒に花畑を見に行く約束をしたことを、ミラベルは今でもはっきりと覚えている。
それなのに彼女は、健康には自信があったと言う。
だとしたら、あれはソレーヌではなかったのだろうか。
まだ幼かったこともあり、彼女がサザーリア公爵家の令嬢だったのか、はっきりと確かめたわけではない。
学園で再会したとき、ミラベルを見てまったく反応しなかったことを思い出して、動揺していた。
(あれはソレーヌではなかったの? でも、銀色の髪なんて、滅多にいないはず)
当時の面影があり、その美しい銀髪で、ミラベルはすっかりソレーヌだと思い込んでいた。
どちらにしろ、彼女が今、何よりも大切な友人であることには変わりはない。
ソレーヌが健康だったと言うのならば、それを否定するようなことを言わないほうがいい。
そう思い、考えることをやめる。
「ミラベル、どうしたの?」
不思議そうな彼女に、何でもないと首を振った。
それからはソレーヌの助言に従って、あまり勉強に熱中しすぎることはなくなった。
リオがいなければ、専属メイドの仕事もできない。
しかも彼にはメイドではなく、婚約者として対応してほしいと言われている。
まだ恥ずかしさはあるけれど、いずれ公爵夫人として仕切らなくてはならないことを考えると、いつまでもメイドではいられないことはわかっていた。
だから最近は勉強の合間に庭に出て、花の手入れをしている。
庭師はそんなことはさせられないと焦っていたけれど、ミラベルは花が好きで、こうしていると気分転換になるのだと言い聞かせて、好きにさせてもらっていた。
もちろん、リオにも許可はもらっている。
公爵邸の周囲には本当にたくさんの花が植えられていて、ソレーヌに聞くと、亡くなった彼女の母が、とても花が好きだったらしい。
そんな妻を喜ばせようと、前公爵は珍しい種や苗を取り寄せて、この庭園を疲らせたようだ。
きっと、リオは父親に似たのだろう。
ミラベルの部屋には、彼から贈られた鉢植えの花が、たくさん並べられているのだから。
増えていく鉢植えは、ミラベルがここで暮らしても良いのだと伝えてくれているようだ。
大切にしようと改めて決意していると、メイド長が慌てた様子で駆けつけてきた。
どうやらソレーヌもリオもいない時間を見計らって、またロヒ王国の王女ジアーナが訪ねてきたようだ。
今回はソレーヌも不在ということで、さすがのメイド長も動揺を隠しきれない。
ミラベルは立ち上がり、深呼吸をすると、彼女に向き直った。
「私が対応します。急いで支度をするので、以前と同じ客室にお通ししてください」
王女がどんな意図で、ふたりが不在の時間にわざわざ訪ねてきたのかわからないが、ミラベルに会うためなのはたしかだろう。
それならばリオの婚約者としてふさわしいように、きちんと対応しなくてはならない。
ミラベルはメイドたちの手を借りて急いで着替えを済ませ、王女の待つ客室に向かった。
待たせてしまったことを詫びて挨拶をすると、ジアーナは意外そうに首を傾げる。
「この間とは、随分と雰囲気が違うのね」
「あのときは、メイドの服装をしておりましたから」
そう答えて、柔らかく微笑む。
今のミラベルはリオに贈られたドレスを身に纏い、完璧に貴族令嬢として振舞っている。
ミラベルを没落した貴族の娘だと思っているジアーナは、メイドとして対応していたときとの違いに驚いたのだろう。
ジアーナはたまたまこの近くに視察に来ており、まだ王城に帰るには早い時間だということで、急遽サザーリア公爵家を訪れたようだ。
まだロヒ王国に、わだかまりを持っている貴族もいる。警備の関係上、たとえ高級な店でも立ち寄ることができない。
だから、少し休憩をさせてほしいということだった。
それを聞いたミラベルはメイドに指示をして、お茶とお菓子を用意させる。
ロヒ王国で好んで飲まれているように、紅茶に甘いジャムを添えると、ジアーナはとても喜んでくれた。
「この国のお菓子はとても美味しいけれど、お茶はあまり好きではないわ」
そう言いながら、紅茶にジャムを入れる。
甘い香りが周囲に広がった。
ミラベルも彼女に倣って、同じようにする。
甘い香りと味がせっかくの紅茶の風味を消してしまっているように思うが、もともとそれほど紅茶に拘りはない。
「この焼き菓子は、王都で評判になっているようです」
「ええ、とてもおいしいわ」
ジアーナはお茶もお菓子も気に入ったらしく、ゆったりとリラックスしているようだ。
大人びた美しい顔立ちが、年相応に見える。
「少し、聞きたいことがあるの」
紅茶を飲み干したジアーナは、ふと顔を上げて、まっすぐにミラベルを見る。
「はい。何でしょうか?」
どんな質問をされるのかと身構えながら答えると、彼女は少し恥ずかしそうに言った。
「このお菓子を売っている店を、教えてくれないかしら?」
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