第28話

 色々な感情が入り混じった表情は、不安そうにも見えて、ミラベルは思わず手を伸ばして、彼の頬に手を触れた。

「リオ、どうしたの?」

 彼のこんな顔を見るのは、初めてかもしれない。

「ミラベル」

 頬に触れたミラベルの手に、包み込むように自分の手を添えて、リオはミラベルの名を呼んだ。

「……すまない。君を危険に晒す気はなかった」

「危険なんて」

 少し驚いたくらいで、何でもなかった。

 そう答えようとしたミラベルだったが、リオの言っていることが、王女ジアーナの訪問のことだけではないと気が付いた。

 リオには敵が多い。

 それこそ、自分の屋敷の中で命を狙われてしまうくらいだ。

 そんなリオの婚約者ともなれば、彼の言うように、危険に晒されることもあるだろう。

 公爵家当主であるリオが、今まで結婚どころか婚約者もいなかったのは、きっとそれが理由かもしれない。

 しかも今のミラベルは、後ろ盾も何もない。

 ただのメイドでしかない。

 サザーリア公爵の婚約者がメイドであると知られたら、リオを狙う者に、危害を加えられる可能性もある。

 でも、そう考えても恐怖は感じなかった。

 むしろリオが襲われてしまう方が、何倍も恐ろしい。

 だから、こうなってしまったことを深く後悔しているらしい彼を、何とか励ましたい。

 そう思って、ミラベルはこう口にしてしまっていた。

「気にしないで。こうなって、私は嬉しいくらいよ。だって、好きなひとを助けることができるもの」

 好きなひと。

 はっきりとそう言ってしまったことに、ミラベルはすぐには気付けなかった。

 だから俯いていたリオが、過剰なほど反応したことに驚いてしまう。

「今、何と……」

「え?」

 聞き返されて、自分が何を言ってしまったのか思い返す。

(もしかして私、好きなひとって言った?)

 そう気付いた途端に、頬が熱くなる。

 顔が真っ赤になっているのが自分でもよくわかった。

「えっと。その、今のは……」

 恥ずかしくてたまらなくなって、リオから離れようとする。

 けれどリオは、そんなミラベルの手を引いて、自分の方に引き寄せた。

「俺の聞き間違いではなかったのか。まさかミラベルの方から言ってくれるとは」

「リオ?」

 ミラベルに触れたリオの手が、僅かに震えている。

 それに気が付いて、ミラベルは恥ずかしさも忘れて、その手を握った。

 先ほどは意図せずに告白めいた言葉を口にしてしまい、羞恥が勝ってしまったが、彼を思う気持ちは本当だ。

 だから、ミラベルを見つめるリオの瞳に、いつもは見られない熱がこもっているのがわかる。

「俺もミラベルが好きだった。初めて会ったときから、ずっと」

「……嘘」

 その瞳を見ても、言葉を聞いてもすぐには信じられなくて、思わずそう言ってしまう。

 それくらい、見込みのない恋のはずだった。

 それに初めてリオと会ったのは、ミラベルがニースと結婚する未来に、不安や疑問を感じていなかった頃だ。

(あのときから、私のことを? まさか、そんなことが……)

 たしかに、敵対する派閥に所属しているミラベルに、リオは優しかった。

 それも、大切な妹の親友だからだと思っていたのに。

「嘘ではない。だが、ミラベルには婚約者がいたから諦めていた。まさか、こんなことになるとは思わなかった」

 リオの言うように、もしミラベルがあのままニースと結婚してしまえば、もうソレーヌやリオとは親しくすることはできなかっただろう。

「あの日の夜会で、庭園に出てよかった」

 それを考えたとき、ミラベルは、思わずそう口にしていた。

「だってあの日にニースの裏切りを目撃したからこそ、こうして自由を手に入れた。さらに仮とはいえ、好きな人の婚約者を名乗ることができたもの」

「仮ではない」

 それだけでもう充分だと思えるくらいしあわせだったのに、リオはそんなことを言う。

「ミラベルがニースとの婚約破棄を望んだときから、いずれこの気持ちを伝えたいと思っていた。この指輪も」

 リオの手が、そっとミラベルが身に着けていた指輪に触れる。

「これを渡したのは、もちろんミラベルの身の安全のためではあるが、公爵夫人に与えられるこの指輪を、身に着けてほしいと思ったからだ」

 まだリオには、敵が多い。

 そんな状態でミラベルにプロポーズすることはできない。

 だからロランドが無事に王太子に選ばれ、そのときにまだミラベルがひとりだったら、愛を告げようと思っていたと、リオは語る。

「そうだったの」

 まさかリオが、そこまで考えてくれていたなんて思わなかった。

「ミラベル。昔から君だけを愛していた。仮ではなく、本当の婚約者になってほしい」

「……」

 そう言われて、静かに息を呑む。

 涙が零れてしまいそうなくらい、嬉しい。

 でも、即答はできなかった。

 ミラベルは死んだと思われているので、社交界にも出られないし、身分的にもただのメイドでしかない。

(リオが、私を愛してくれていた。それだけで、もう充分だわ)

 リオには、もっとふさわしい女性がいる。

 今の自分では、彼の負担になるだけだ。もしミラベルが生きていることが知られてしまったら、リオがあらぬ疑いを掛けられてしまう可能性もある。

 手助けどころか、足を引っ張ってしまうだろう。

「それに、ミラベルには手伝ってほしいこともある」

「私に?」

 愛しているからこそ、身を引くべきだ。

 そう思って断りの言葉を探すミラベルに、リオはそう言った。

「ああ。社交界など出なくても良いから、サザーリア公爵家の領地の運営を手伝ってもらいたい。領民を守るのは、ソレーヌを守るのと同じくらい大切なことだ」

「領地運営を?」

 たしかに今のリオは、ロランドと側近としての仕事と、サザーリア公爵家の当主としての仕事を両立している。どちらも多忙なので、ほとんど屋敷に帰ることもできないほどだ。

 領地の運営を誰かに任せることができたら、かなり楽になるだろう。

(それを、私に? でも私に領地運営なんて……)

 父は従兄弟ばかり連れ歩いて、ミラベルには最低限の教師しかつけてくれなかった。学園ではそれなりに勉学には励んだが、貴族として当然の教養しかない。

 できるのだろうか。

 そう考えかけて、ミラベルはそれを否定する。

 負担にしかならないと思っていた自分が、彼を助けることができるのならば、何としてもやらなくてはならない。

 それに、家庭や領地を守ることを最優先させて、あまり社交界に出てこない夫人もいる。

 この恋を、諦めなくても良いかもしれない。

 そう思った途端、ミラベルはリオの手を握っていた。

「本当に、私でいいの? リオならば、もっと他に……」

「ミラベルがいい。他の女性など、俺には必要ない。だからどうか、俺の妻になってくれないだろうか?」

 そう懇願されて、ミラベルは真摯に頷いた。

「はい。私で良かったら、喜んで」

 リオがあらためて、公爵家の紋章が入った指輪をミラベルの手に嵌めてくれる。

 もう仮ではない。本当の婚約者になれたのだ。

 そう思うと嬉しさがこみあげてきて、ミラベルは微笑んだ。

「リオを助けられるように、精一杯がんばるわ」

 そう意気込めば、リオは少し困ったように笑う。

 きっと彼は、ミラベルが傍にいればそれでいいと思ってくれている。

 でもそれではミラベルが納得しないことを知っていて、領地運営を手伝ってほしいと言ってくれたのだ。

 でもミラベルはそんな彼を助けるためにも、本気で領地運営に取り組もうと思う。


 リオにプロポーズされ、それを承諾したことを、ソレーヌに伝える。

 すると彼女は絶句したあとに、ミラベルを力いっぱい抱きしめた。

「……ありがとう。ミラベル。あなたと家族になれるなんて、本当に嬉しい」

 そう言って子どものように泣きじゃくるソレーヌは、ミラベルがリオのプロポーズを受け入れたことを、心から喜んでくれた。

「今だから言うけれど、本当はミラベルとニースの婚約が駄目になって、少し嬉しかったの。これで、ミラベルと一緒にいられると思って。本当にごめんなさい」

 そう打ち明けたソレーヌに、ミラベルは首を振る。

「ううん。いいの。だって私もそう思っていたから」

 ソレーヌが言っていたような、遠慮などしない、何でも話せる大切な家族の中に、ミラベルも入れてもらえる。

 そう思うと幸福感が胸に満ちて、ミラベルは微笑んだ。

 きっと、これからはしあわせになれる。

 そう信じていた。











※間が空いてしまって申し訳ございません。

年内に完結できるように、頑張ります。

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