第36話

 どう言葉を返せばいいのか迷った。でも、自分はこれからサザーリア公爵家のメイドになるのだからと、そう言って頭を下げる。

「もう、ミラベルったら」

 ソレーヌは呆れたように笑っていたが、もうドリータ伯爵家は存在しない。

 少しだけ、生まれ育った屋敷を思い出す。

 かなり広く、屋敷の中には骨董品や美術品もたくさんあった。

 ミラベルの部屋にも、豪華なドレスや装飾品で溢れていたはずだ。

 だがすべて、母からドリータ伯爵家の娘として恥ずかしくないようにと与えられたものばかり。惜しいと思うような品は、何ひとつなかった。

 あれほどの財産を有していたのにすべてを失い、貴族位すら失ってしまったのは、たとえ罪に問われなかったとはいえ、貴族令嬢としてはつらいことに違いない。

 人によっては、生きていけないほどの絶望感を味わうことになる。

 母は父と離縁し、実家に戻れば、一応貴族として生きられるかもしれない。でも、実家はもう伯父夫婦が継いでいて、子どもも成人している。

 しかも、夫が爵位を剥奪されるほどの罪を犯しているのだ。

 肩身の狭い思いをすることになるだろう。

 でもミラベルは、両親にも屋敷にもそれほど思い入れはない。

 白状かもしれないが、それが本音だった。

 むしろ、このサザーリア公爵邸にある部屋の方が、大切なものがたくさんある。

 リオにもらった鉢植えの花と、手紙。

 ソレーヌが買ってくれた、生活雑貨品。

 そして、今日のドレス。

 ミラベルは自分の部屋に戻るとすぐ、鉢植えの花を確認した。

 不在の間にも誰かが水遣りをしてくれたらしく、可憐な花が咲いている。

(……よかった)

 ほっとして、そっと花びらに触れる。

 優しい色合いの可愛らしい花は、遠い昔、リオと一緒に育てた花と同じだ。

 ミラベルが昔のことを覚えていないと思っているリオは、どんな想いでこの花を贈ってくれたのだろう。

 早くリオに会いたい。

 でも、会うのが怖いような気もする。

 そんな複雑な思いを抱えながら、ドレスからメイド服に着替える。

 リオに贈ってもらったドレスを脱ぐのは少しだけ惜しかったけれど、もう貴族令嬢ではないのだから、いつまでもドレス姿ではいられない。

 それからソレーヌの部屋に向かった。

 彼女はすぐにメイド服になったミラベルを見て、呆れたように笑った。

「もう、ミラベルったら。お兄様が贈ったドレスは、そんなに気に入らなかったの?」

「そんなことはないわ」

 そう言われてしまい、慌てて首を横に振る。

「いつも着ないデザインや色合いだったけれど、本当はとても好きなドレスだったの。だから嬉しかったし、ずっと着ていたかったわ。でも、もう私は貴族ではないから」

「……うーん。それについて思うことはあるけれど、私の役目ではないから、今は何も言わないわ。お兄様はしばらく戻れないかもしれないから、その間は私の傍にいてね」

「ええ、もちろんよ」

 ミラベルは大きく頷き、そして表情を改めて、ソレーヌに向き直った。

「私のことを、大切な親友だと言ってくれてありがとう。私にとっても、ソレーヌは一番大切な親友よ」

「……うん」

 ソレーヌは瞳を潤ませて頷き、それから照れたように笑った。

「あの話、ロランドには内緒にしていてね」

「そうね」

 そう答えて、ミラベルも笑みを浮かべた。


 それからミラベルは、サザーリア公爵家のメイドとして暮らし始めた。

 リオが不在なので、ほとんどソレーヌの話し相手のような立場ではあるが、使った茶器を片付けるなど、少しずつ自分でできることを増やしている。

 いずれは、何でもできるメイドになりたいと思っているが、やはり将来のことを考えると、少し不安になるときがある。

(これから私は、どうなるのかな……)

 あの事件の事後処理が大変らしく、リオはあれからずっと、王城に泊まり込んでいる。

 ロヒ王国の王女であるジアーナは、向こうの国王に報告もしなければならないと、一度帰国した。帰る前にサザーリア公爵邸にも寄ってくれて、ミラベルに協力のお礼を言ってくれた。

 だが、もともとは父のせいである。

 それを解決する手伝いをさせてもらえたことに、ミラベルは感謝していた。

 一日の仕事が終わり、自分の部屋に戻ったミラベルは、そっと机の上に置いてある小物入れを開いた。

 そこには、サザーリア公爵家の紋章が刻まれた指輪が入っていた。

 メイドとして過ごしていた頃は、片時も離さずに身に付けていたが、さすがにドリータ伯爵家のミラベルが嵌めているわけにはいかないと、一度外している。

 それからメイドに戻ったが、どうしたらいいのかわからなくて、こうして入れたままになっていた。

 一度はリオにプロポーズされて、それを承諾したミラベルだったが、あれはロヒ王国の王女ジアーナの目を逸らすという意味合いが強かった。

 ジアーナの目的がリオではないとわかった今、もう不要な約束だろう。

 それに、リオはサザーリア公爵家の当主である。

 ふたつの国を巻き込んだ犯罪をした父の娘で、今はもう貴族ですらないミラベルでは、とても釣り合わない。

 だから、せめてメイドとして、傍に居ることができればと思う。

「この指輪も、返さないと……」

「どうして、返す必要がある?」

「!」

 突然聞こえてきた声に驚いて、ミラベルは背後を振り返った。

 見ると、いつの間に戻ったのか、リオが部屋の入り口に立っていた。

「リオ」

 呆然として彼の名前を呼ぶと、リオは疲れたような顔をしながらも、そっとミラベルに手を差し伸べる。

 どうしたらいいのかわからず、けれど無視することなどできなくて、ミラベルはその手を取った。

 リオは小物入れに入れておいた指輪を手に取り、そのままミラベルの指に嵌めた。

「私は……」

 またこの指輪を嵌めることができた。

 それだけで、嬉しくてたまらない。

 けれど、自分の存在はリオのためにならない。むしろ、彼の足を引っ張ってしまう可能性が高い。

「何もかも失った私は、あなたに相応しくありません。身分も財産も家族も、すべて失いました」

「俺が妻にしたいと願ったのは、最初からメイドだったミラベルだ。今の状況と、何も変わらない。だが、君がすべてを失うきっかけを作ってしまったのは、間違いなく俺だ。恨まれても仕方がないと思っている」

「恨むなんて……」

 ミラベルはリオの言葉を即座に否定した。

「父はそれだけの罪を犯しました。ドリータ伯爵家も、取り潰されて当然です。だからリオを恨むなんて、そんなことはあり得ません」

 そう言うと、リオは明らかに安堵した様子で、そっとミラベルの手を握る。

「良かった。では、俺の妻になってくれるだろうか」

「……」

 すぐに答えることができなかった。

 リオを愛している。

 それは間違いなく、本当の気持ちだ。

 けれど、環境があまりにも変わりすぎて、どうしたらいいのか自分でもわからずにいた。

 リオもそれを察してくれたのだろう。

「返事は、今すぐではなくともかまわない。まだ少し、忙しい日が続きそうだ。ただ、この指輪を嵌めていてくれないか?」

「わかりました」

 少し迷ったが、ミラベルだって本当はそうしたい。

 だからそう返事をすると、リオは嬉しそうに笑った。

「こんな時間に尋ねてきて、すまなかった。でもようやくミラベルの顔を見ることができて、安心した。これから王城に戻らなくてはならないが、ソレーヌにはよろしく言っておいてくれ」

「これから、ですか?」

 もう夜である。

 今夜はここで休んで、明日の朝早くに王城に行くのではないかと思っていたので驚いた。

 どうやら本当に、ただミラベルに会いに来てくれただけのようだ。

「忙しいのに、会いに来てくれてありがとう。私も会いたかった。身体には気を付けてね」

 幼い頃の話ではあるが、リオはあまり身体が丈夫ではなかったことを思い出して、そう言う。

「ああ、行ってくるよ」

 そう言うと、リオは部屋を出て行く。

 ミラベルは窓辺に移動すると、リオの姿が見えなくなるまで見送った。

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