第24話

 こうして、伯爵令嬢だったミラベルは死に、新しい生活が始まった。

 夜会で失踪したまま、もうあの屋敷に戻ることはできなかったが、あまり寂しさは感じなかった。

 部屋には、ドレスも装飾品も大量にある。

 でもそれらはすべて母が、ドリータ伯爵家の娘にふさわしいものだと用意したものばかりである。

 ミラベルの好みなどまったく関係なく、持ち出したいほど思い入れのある品はひとつもなかった。

 友人は何人かいたが、彼女達とはソレーヌほど深い付き合いではなかったから、もう会えなくなっても仕方がないと思える範囲だ。

(こうして考えてみると、私の人生って、けっこう薄っぺらなものだったのね)

 思わず溜息が出るが、これからは自分の人生を、自分のために生きてみようと思う。

 ソレーヌとリオも傍にいてくれる。

(これからはメイドとして、しっかり働かなくてはね)

 今のミラベルはドリータ伯爵家の令嬢ではなく、サザーリア公爵家で働くメイドである。

 色々と力になってくれたリオの専属メイドとして、彼が安心して心地良く暮らせるために頑張ろうと思う。

(それなのに……)

 リオは最近とくに忙しいらしく、ほとんど屋敷に帰ってこなかった。

 広い公爵邸にひとりきりで残されたソレーヌは、頻繁にミラベルを呼び出す。

 ミラベルも、なるべく彼女の傍にいるようにしていた。

 今日もソレーヌにお茶をしようと誘われ、ミラベルは彼女の部屋にいる。

 リオはそんなに忙しいのかと尋ねると、ソレーヌは困ったような顔をして頷いた。

「お兄様は最近、隣国に行っているのよ」

「ロヒ王国に?」

 ソレーヌの婚約者であるロランドの母は、そのロヒ王国の王家出身である。

 だが、国境近くで発掘された貴重な鉱石を巡って、ここ最近は両国の関係が悪化していた。そのため、正妃の子で第一王子でありながら、ロランドは冷遇されてきたという過去がある。

「危険ではないの?」

 敵対はしていないが、それなりに緊迫した関係だったはずだ。リオの身を案じてそう言うと、ソレーヌは大丈夫だと笑った。

「心配はいらないわ。お兄様がロヒ王国の血を引くロランドを支持していることは、あの国でも広く知られているもの」

 ロランド派のリオが、ロヒ王国で危害を加えられることはない。そう聞いて、ほっとする。

「ただ前回は、ロヒ王国の仕業と見せかけてお兄様を狙う者はいたようね」

「えっ?」

 安堵したのも束の間。

 襲撃があったと聞かされて、ミラベルは声を上げた。

「いつ?」

「ミラベルがここに来る前のことよ。心配しなくても大丈夫。お兄様には、ロランドが護衛騎士をつけてくれたから」

 おそらく第二王子派の者だろうと、ソレーヌは言った。

 ソレーヌにとって、リオはたったひとりの家族である。もちろん心配しているはずだ。

 それなのに襲撃があったことを、こんなにも淡々と告げている。

 このふたりにとって、襲撃や暗殺は珍しいことではないのだとわかってしまって、切なくなる。

 自分の人生は薄っぺらいと思っていたが、平穏に暮らせただけでも有難いことだったと思い知った。

「でもお兄様のお陰で、ロヒ王国との関係もかなり改善されたのよ。国交が正常化すれば、ロランドの立場も、今よりも良くなるわ」

 リオはこのララード王国の国王も説得し、今では国王からの正式な命を受けて、ロヒ王国との関係改善に取り組んでいるという。

 きっと近いうちに、ロヒ王国との国交は正常化するに違いない。

 そうなれば、もうロランドが冷遇される理由もなくなる。正妃の嫡男であり、第一王子であるロランドが、王太子に任命される日も近いかもしれない。

 第二王子派も、かなり焦っていることだろう。

 だからリオを抹殺しようと、専属メイドに毒を盛らせ、さらにロヒ王国の仕業と見せかけて襲撃したのか。

(本当に大丈夫かな……)

 ソレーヌは、リオには護衛がついているから大丈夫だと言っていたが、それでも心配になってしまう。


 だから数日後に、リオが無事に公爵邸に戻ってきたときは、心から安堵した。

「おかえりなさい。お仕事お疲れさまです」

 すっかり定番になった挨拶で迎えると、やや険しい顔をしていたリオの表情が柔らかくなる。

「ただいま、ミラベル。留守中、変わりはなかったか?」

「ええ、何もなかったわ。リオこそ、大丈夫だった?」

 もうすっかり名前で呼ぶことにも慣れ、彼のためにお茶を淹れて、そっと差し出す。

「ああ。ロランドが、少し過剰なほど護衛を同行させてくれたからね。警護というよりは監視されているようで、落ち着かないくらいだった」

 リオはうんざりした様子だったが、それを聞いてミラベルは安心する。

「よかった。すごく心配していたの。ソレーヌは大丈夫だと言ってくれたけれど、やっぱり落ち着かなくて」

 リオとソレーヌになら、飾らずに自分の本音を話せる。

 だから、心配だったと素直に言うと、リオは嬉しそうに表情を緩めた。

「心配してくれたのか」

「当然よ。大切な友人だもの」

「……友人、か」

 ミラベルの言葉に、リオはそっとミラベルの手を握った。その指には、預かったままの指輪が嵌められている。

「リオ?」

 手を握ったまま沈黙してしまった彼に、ミラベルは首を傾げる。

「どうしたの?」

「いや、何でもない」

 まだ早い。

 そう呟いたような気がしたが、聞き返しても、リオはもう何も言わなかった。

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