壊滅的な医療サービスにとどめを刺した話

 前回のエピソードでカナダの医療サービスについてお話しした。今回は、私が実際に病院受診した時のことをお話ししたい。


 私は日本にいるときに、子宮頸がん軽度異形成、チョコレート嚢胞(子宮内膜症)と診断された。これらは若い女性でもなる可能性が十分にあり、これらが原因で不妊になったり、最悪の場合亡くなる方もいる。私がその病気を発見した時は、症状などは全くなく、市役所から来た子宮頸がんの集団検診のお知らせを見て、まあ安いし、行ってみるか、と軽い気持ちで検査に行った。そして病院で精密検査を受けてください、という結果を受け取った。怯えながら産婦人科に行き検査をしたところ、子宮頸がん軽度異形成と診断を受けたのだ。そして定期的に検査をする必要があった。またそうして病院に通う中で子宮内膜症も見つかった。


 異形成とは、子宮の入り口近くにある細胞の形がいびつになっている状態を差す。これが進行するとそれらの細胞が癌化し、子宮頸がんとなってしまう。これはウイルスが原因でそれを予防する為のワクチンがあるが、日本のメディアでは副作用の方が大々的に取り上げられてしまい、多くの人の足を遠ざける結果となった。これは男性も持っている可能性のあるウイルスなので、男女ともに検査やワクチンを打つことで効果的に避けられる癌なのだが、日本では悲しくもそれに対する関心が薄いように思う。実際には年間約3千人の女性がこの子宮頸がんで亡くなっているらしいのだが。


 ワクチンに関する意見は人それぞれなので、ここでは明記しない。ただ、女性の皆さんには婦人病に対してもう少し関心を持ち、子宮頸がんの集団検査に行くことを強くお勧めする。短時間で済むし、市から補助が出る為安価にできる。そしてそれがあなたの将来を変えるかもしれないのだ。


 さて、話を戻そう。すでにお話しした通り、私は子宮関連の病気を持っている。症状はなく、病状も軽い。が、進行すると厄介なことになる危険な病気なので、病院で定期的に検査を受ける必要がある。頻度は年に3~4回程度だが、その頻度でカナダから日本に帰る程私の懐は温かくない。ゆえに、カナダで産婦人科医を見つけることにした。そして前回のエピソードでお話しした通り、公立病院はあてにはできない。いつ予約を取れるかもわからず、緊急ではない病気は「大丈夫でしょ。もう来なくていいよ」と言われそうで怖い。


 ちなみにカナダにはファミリードクターというものがある。日本で言う主治医だ。何かあったらすぐに自分のファミリードクターのとろこに行って検査してもらう、というのが通常の流れだ。が、人材不足により多くの医者が患者を受け持ちすぎてパンク状態になっている。その為、新たにファミリードクターを見つけるのはほぼ不可能に近い。自分の家族がファミリードクターを持っていれば、それを伝って診てもらえるが、そうでなければ新しいファミリードクターを見つけるのは現実的ではない。


 というわけで、私は私立病院に行くことにした。医療保険から返金が来るためお金の心配はしなくてもいい。そうして行った地元でも評判の産婦人科は、受付の人も看護師も医者も皆優しく親切だった。私は子宮を診てもらう為に専用のガウンに着替える。

 私の病状は軽度のまま変わらず、定期的に様子を見ることとなった。薬を処方するからね、と担当医は優しく言い、診察室を出る。私はガウンを脱ぎ、着替えを済ませる。そして椅子に座って担当医が戻るのを待った。


 どれくらい経っただろうか。20分くらいだろうか。担当医は戻ってこない。何もせずただ見慣れない白い壁をひたすら見続けるという無駄な時間を過ごし、担当医を待つも、まだ来ない。ちらりと診察室のドアを開け、外を見る。看護師は忙しそうに動き回っている。忙しいのかもしれない。人材不足が深刻な医療現場だ。ここで「早くしてちょうだい」などど言ってはいけない。


 私は待ち続けた。担当医は来ない。そわそわしていた。いつまで待てばいいのだろう。トイレにも行きたい。あとどれくらいかかるだろう。早く終わらせて帰りたい。

 トントン、とドアをノックする音が聞こえる。やった、ようやく来た! と心を躍らせるも、開いたドアから顔を出したのは看護師だった。


「あの、診察はもう終わってるはずだけど、まだ着替えに時間かかってる?」


 私はあっけにとられ、そして「終わりましたあああ」と慌てて荷物をまとめ外に出た。看護師は不審な目で私を見ている。こいつ、着替え終わったのに30分もここで何をしていたんだ? と言いたげな目だった。


 なんとすべての診察が終わっていた。日本にいた時は「これで診察は終わりですので~」と丁寧な説明をもらってそれに従っているだけでよかったので、てっきり説明されるものだと思っていた。


 カナダの人達から見れば、「薬処方するって言ったんだからそれで終わりよ、わかるでしょ?」の感覚なのかもしれない。日本のすべてを教えてくれる懇切丁寧なサービスに慣れていた私は、まるで何もしらない赤子のようだ。


 慌てて診察室を出た先に見えたのは、廊下に並ぶ椅子に座る多くの患者たち、そして何人かは座る椅子が足りず、立って診察を待っている、という光景だった。人材不足が日本よりも深刻なカナダの病院で、こんなに多くの患者が待っているこの状況で、私は無意味に30分も診察室を占領していたのだ。看護師たちが訝しむのも当然だ。私の着替えが終わらない限り、誰一人この診察室に入ることはできないのだから。そして誰一人診察を受けることができないでいた。私は壊滅的な医療サービスにとどめを刺してしまった。


 私は廊下を通る時、犯罪者のように顔を下に向け、速足で歩いた。恥ずかしくて顔を上げられない。申し訳ございません、申し訳ございません、と心の中で呟きながら私は病院を飛び出した。


 次の診察は4か月後だ。どうか、誰も私の顔を覚えていませんように。

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