医療サービスは壊滅的

 アメリカの医療サービスが崩壊していることは世界的にも有名な話だと思う。救急車を呼ぶだけで20万円前後かかり、緊急にもかかわらず救急車を呼んでもいいかどうかを本人に確認しなくてはならないという話を聞いたことがある。(貧困により払えない人がいる為)医療も信じられない程高く、私立の医療保険に加入しなければカバーすることは不可能だ。しかしその保険も安いわけはなく、多くの人は自らの健康を犠牲にしお金を節約している事実があるという。


 アメリカに比べてカナダの医療はましだと聞く。ただここに住んでいると、まあ、アメリカの現状に比べればましかな、くらいにしか思わない。


 日本の医療サービスは世界的に見ても素晴らしい。高い医療水準を、安価でフェアに提供できる医療システムになっている。体調が悪ければ予約なしでも病院に行き、多少待ち時間はあれどその日のうちに診てもらえる。医療保険のお陰で子供と高齢者を除けば、支払う医療費は全体の3割に留まる。救急車は無料で、救急搬送されれば医者は運ばれた患者を最優先ですぐに治療する。場所によるが、夜間であっても救急を受け付け、病院に駆けつければ必ず治療や検査を受けることができる。不満がある人はいるかもしれないが、日本の医療システムは素晴らしいと言わざるを得ない。


 しかしシステムが素晴らしいかと言われればそういうわけではない。この日本の医療、医療保険システムは他の国にそのまま導入してもうまく回らない。これは本来うまくいかないシステムを、長時間労働を厭わない医療従事者がなんとか回してくれているからうまく回っているように見えるのである。彼らの自己犠牲をなくしては日本の医療サービスも崩壊する。そういったいい面、悪い面の両方含めて日本の医療制度はクレイジーだと囁かれる。


 今回医療サービスについてお話しするのは、職場の同僚が先日緊急搬送されたからだ。彼女は仕事終わりに店を出た。店の前は若者で賑わい歩道を封鎖していた。彼女は彼らを避ける為、歩道を下り、自転車用道路に出た。そして走って来た自転車に轢かれてしまった。彼女は普段注意深い人だが、恐らく疲れていたのだろう。左右を確認しないまま道路に出てしまったらしい。そして彼女は道路に倒れそのまま気を失った。周囲にいた人は職場のオーナーに助けを求め、彼女に語りかけ無事かどうか確認したりし、徐々に騒ぎが大きくなった。そしてうちの店長が救急車を呼んだ。彼女は夜間救急を受け入れている病院に搬送された。


 翌日、彼女から店長宛に無事を知らせるメールが届き、私達は胸を撫で下ろした。その数日後、彼女は元気な様子で出勤した。病院で治療を受けたか聞くと、

「何もなかったよ。いつまで待っても医者は来ないし、看護師には医者がいない、と言われた。特に検査もされず、治療もされず、ただ病院のベッドで一晩過ごして翌朝に帰った」

と、呆れた様子で話す。


 緊急搬送とは? と私は疑問に思った。夜間救急を受け入れているはずなのに病院には医者がいない。夜勤の看護師はいるが、ただ緊急搬送された患者をベッドに寝かせ、翌日検査も治療もせずに家に帰すだけ。病院というより、ただのホテルだ。救急車が間違えて患者をホテルに運んだわけではあるまい。ただ夜間の病院は「夜間救急を受け入れている」と豪語しているにも関わらず、ただのホテルと化しているだけなのだ。


 彼女は多少の疲れは見えるが、どこにも怪我も異常もなく、今も元気に働いているからよかった。もし彼女が重傷を負っていたとしたら、対応は違っていたのか、それとも同じなのか、疑問が残る。後者であればぞっとする。


 また別の日には私の友達が皮膚に異常を訴えた。右頬が全体的に腫れあがり、赤い発疹ができていた。突然現れたそれに彼女は驚き、市販の薬を試すも効き目はなかった。私は病院受診を勧めた。彼女は渋る。

「公立病院って無料だけどすごい時間かかるし、忙しくてそんな時間はない」

 だが、彼女の症状は悪化していった。私は私立病院の受診を勧める。予約も受診も速くできるからだ。

「でも私立は高い。医療保険には入っているけど、まず最初に払わないとお金返ってこないし、そんな高い金を払う余裕がない」

 彼女は金欠状態だった。が、皮膚状態は日に日に悪化する。とりあえず公立病院に予約の電話だけした方がいい、と彼女に伝え、彼女は渋々電話する。そして病院の受付が電話に出るまで彼女は電話の前で一時間待ち続けた。そして電話に出た受付の人に症状と、受診の予約をしたいことを伝える。

「わかりました。私の方から看護師に伝え、看護師から折り返しの電話があります。そこで予約できます」スタッフがそう説明する。

「折り返しの電話はすぐに来ますか?」彼女は聞く。

「看護師からの折り返しは48時間後に来ます」

 48時間? 2日後?

「今日中じゃないの?」

「48時間後です」

 なぜそんな具体的な数字なのかはわからない。でも受付の人は頑なに48時間後を連呼したという。病院のルールだから仕方ない、と彼女は電話を切り、2日待った。が、折り返しは来ない。何故なら彼女が電話したのは金曜日だったからだ。恐らくこの48時間後は実質的な時間ではなく、48営業時間なのだろう。つまりもっとかかる。平日であっても2日で折り返しが来るかどうか怪しい。

 そして待ち続けた結果、彼女は6日後に折り返しの電話を受け取った。予約を取れるとのこと。が、次の予約の空きは2週間後。予約を取るだけで1週間弱かかり、さらに予約は2週間後だ。亀足走行のカナダのサービスは医療でも変わらない。


 ちなみに、この時彼女は知り合いから貰った市販の薬が効き、皮膚状態は好に向かっていた。そして散々待たされた電話に苛立っていた彼女は予約を取ること自体を断り、電話を切った。このような医療サービスに関する話はあとを絶たない。中には癌の手術の予約が1年後と言われ、待っている間に癌が進行して亡くなったカナダ人の話を聞いたことがある。こういった面を見ても日本のサービスは患者の健康を第一に考えられている。それが医療従事者の自己犠牲によるものなら、彼らに頭が上がらない。地球の反対側から土下座して、地面に向かって感謝を述べたいくらいだ。ブラジルならぬ、カナダから「ありがとう」だ。


 1つだけ言わせていただくと、何もカナダ人は人の健康に対し「おちゃらご」と言っているわけではない。単純に慢性的な人材不足がこの現状を作っている。日本のシステムが成り立っているのは単純に人口が多いからだ。人口減少、医療現場の人材不足が騒がれているが、カナダの比ではない。日本の人口は約1億2千5百万人。比べてカナダは約4千万人。日本の3分の1しかない。世界第2位の国土を持ちながら非常に少ない人口で国を回しているのだ。当然人材が足りなくなる。人がいなければサービスを縮小せざるを得ない。その結果が上記の医療サービスなのだ。

 先日、トロントのある病院が夜間の救急搬送受け入れを止めるというニュースが流れた。原因は勿論、人材不足。そしてカナダ政府は医療従事者の移民を積極的に受け入れようと躍起になっている。どうか、この取り組みが功を奏し、カナダの医療サービスが向上しますように、と祈るばかりだ。

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