閉店間際にはご注意

 レストランで働いているとよく不思議な光景を目にする。うちのレストランは通常は夜9時に店を閉める。金、土曜日は夜10時。バーではない為酒も数える程しか置いておらず、ほとんどの客は食事を楽しみに来る。その為夕方の6~7時頃に混むこと予想していた。


 確かにその時間帯も混む。だが一番忙しい時間帯は決まって閉店1時間前なのだ。平日なら8時以降、金、土曜日なら9時以降になぜか店が満席になる。そしてテイクアウトの客も増える。

 なぜなのか。こんな遅い時間に夕食を摂ることを習慣としている人がこんなに多いとは思っていなかった。ちなみにこの時間帯は、私達店員が一番客に来てほしくない時間だ。何故なら閉店の準備を同時に進めているため、他の時間帯よりも仕事が多いからだ。単純に忙しい。


 テイクアウトであれば問題ない。大歓迎だ。だが、ダイニングでの食事は話が別だ。というのも、1時間というのはレストランで食事をする上で微妙な時間だからだ。メニューを眺めてオーダーを決め、オーダーから料理の準備、配膳までを含めると平均して15分程度はかかる。場合によってはもっとかかる。そして1人客なら静かに食事をして、食べ終わるとすぐに帰る人が多いので短時間で済むが、数人で来た場合、多くの人は会話を楽しみながら食事をする。つまり時間がかかるのだ。


 友達と話していて時間があっという間に過ぎていた、という経験を持つ人は多いと思う。配膳されてからたとえば45分だけ食べる時間があったとして、食事を終えるには充分だが、友人との和気あいあいとした食事会には足りないように思う。

 つまり、1時間という時間は短すぎではないが、充分とは言えない時間なのだ。その為、多くの客が閉店時間を過ぎても長々と店に居座ってしまう。そういう客に対してなるべく失礼のないようにお引き取り願う仕事は、無駄に神経を使う作業だ。

「もう閉店の時間ですので」

 そう伝え、間接的にお引き取り願いたい旨を伝える。多くの場合客はすぐに理解し、帰り支度をする。が、そこで「私トイレ行ってくる!」と1人がトイレに駆け込み、「私もそのあとにトイレに行くね」と座り続けて待つ人達がいる。そこからまた客は居座り続けるのだ。それも計算に入れた上で閉店前に帰ってもらいたいのだが、そういう客たちは気にも留めない。


 なぜこんなに早く客を帰したいのか疑問に思う人もいるかもしれない。きちんとした理由がある。今回はそれについてお話ししたい。


 土曜日、夜9時20分。ある4人組の男女が店を訪れ、「ダイニングで」と言って席に座った。私と、もう1人のウエイトレスは10時に閉店することを伝える。ちなみにうちのレストランのダイニングのラストオーダーは閉店30分前。つまりその日は9時30分にダイニングの注文は終了となる。彼らには10分しか注文の時間が残されていない。そして30分程度しか食事の時間がない。

 それらをすべて説明した上で彼らは「OK」と答えた。そして9時30分に彼らは注文をする。しかし、彼らはよりによって一番時間がかかる食べ物を注文したのだ。調理に約15分かかるものだ。それも説明し、彼らは了承する。つまり彼らに残された食事時間は15分のみである。


 私は嫌な予感しかしなかった。彼らは恐らく食べ切れずに居座るタイプの客だろう。また遠回しにお引き取り願うよう声をかけなければいけないのか、それが功を奏すかどうかは客次第だと言うのに。

 そう思っていると、二人がこちらに来た。

「今日10時で閉めるの?」1人が聞く。

「そうです」私は答える。

「でも私達が注文した料理が15分かかるんでしょ?」

「そうです」

「15分しか食べる時間がないの。ちょっと短すぎだと思わない? だからもう少し長くいてもいい?」

「ダメです。10時で閉めますので、それまでにお帰りいただきます」

「でも時間が足りないの」

 彼女は恥ずかしげもなく堂々と聞く。そして文句を垂れる。だったらもう少し早く来たらいいだろ。それか遅くまで開店しているレストランは近くに沢山あるのだからそちらに行けばいい。

「10時になった時点で帰っていただきます」

 口を尖らせる彼女に私はぴしゃりと言う。彼女は不満そうな顔をする。すると隣にいた男の子が口を開く。

「わかるよ。俺達がここにいたら、君は店員として閉店後も俺達の世話をしないといけないんだろ? それが大変なんだよね? でも大丈夫。俺達はただ座って食べるだけだから、君は何もしなくていい。これでどう?」

 彼は何を言っているのか。確かに店員として客の世話をするのが私の仕事だが、問題はそこではない。

「じゃあ必要ならお金も払うよ。チップも追加する!」彼は加える。

 馬鹿にしているのか。私は苛立っていた。ただ居座るだけで金など請求できるわけもないし、チップを追加されたところでせいぜい数ドルだろう。私達店員はそれを平等に分け合っている。その日出勤していた職員は全部で5人。たとえば彼が5ドル払ったとして、1人1ドル(100円)しか受け取れない。たかが100円ごときの為に私達が要求を受け入れるとでも思っているのだろうか。私達はそこまで貧乏ではない。


 それに「わかるよ」と言いつつ、彼は何ひとつわかっていない。金を払えばなんとかなる、ではないのだ。寧ろこの状況では金など要らない。私達はただ1分でも早く仕事を終わらせて家に帰りたいだけなのだ。


 飲食店で働いたことがない人は知らないかもしれないが、閉店後店員がすぐに帰れるわけではない。テーブル、床、トイレ、キッチンなどあらゆるところを掃除し、皿など洗浄し終えたものを片づけ、ゴミをまとめ、レジのお金を計算し収支の確認をし、翌日の準備をする。挙げればきりがないが、とにかく閉店後というのはやることが多いのだ。最低でも30分はかかる。

 その多くは客がいる間はできない作業ばかりだ。つまり閉店時間を過ぎても客が居座るというのは、これらの作業が滞り、何もできない時間がただ過ぎるということだ。客が居座れば居座るほど、店員の退勤時間は伸びていく。特に週末の忙しい時間をあくせく働いた店員にとっては地獄ともいえる状況なのだ。


 さっさと終わらせて帰りたい。お腹が空いているから早く何か食べたい。シャワーを浴びたい。早く寝たい。いつ帰れるんだろう。閉店間際、店員は皆そんなことを考えている。この状況で、たかが100円の為にだらだらと客を居座らせたいと思う店員などこの世にいない。時間の方がずっと大事なのだ。


 上記の彼は恐らく飲食店で働いた経験がないのだろう。彼の純粋無垢な、俺達の世話しなくてもいいし、お金もあげるから、ほら、いいでしょ? と言いたげな目は私達の神経を逆なでる。

「レストランのオーナーに聞いてみてよ! 彼ならいいって言うかも!」彼はまた加える。

 聞くまでもない。ダメに決まっている。こんなのを許してしまえば、閉店時間などないに等しい。

「ダメです。うちの閉店時間は10時ですのでそれまでにお引き取りください」

 私は頑として返事を変えなかった。そして彼らは諦め、テイクアウトに切り替えた。そして料理ができ、彼らは支払いをする。

 純粋無垢な男の子はチップを払おうとした。すると、横から女の子が手を伸ばし、「No Tip」というボタンをタップする。

「いいのよ、チップなんて払わなくて」彼女はちらりとこちらを見て言う。

 テイクアウトだからチップは払わなくてもいい、という意味ではないだろう。恐らく彼らの無理難題な要求に答えなかった私達への腹いせだ。彼女の目はそんな意図を含んでいる。

 週末の激務で疲れた私は、チップいらないから早く帰れよ、と心の中で毒づいていた。どこまでも金で何とかなると信じて疑わないらしい。金を払う客の要求を吞まないとこうなるのよ、とでも思っているのだろうか。このような勘違いをした客には溜息が漏れる。


 このような客の相手は二度と御免だ。

 閉店前1時間を過ぎる頃、来店する客を見る度に私達は戦々恐々とする。

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とある日本人がカナダのモントリオールで生活する話 鈴美 @kasshaaan

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