アルゼンチン人の国民性
アルゼンチンの人達は、家族との距離が非常に近い。異常に近い。めちゃめちゃ近い。アルゼンチンに来て一番驚いたのは、人との距離の近さと言っても過言ではない。
まず、家族が頻繁に会っている。特に仲のいい兄弟姉妹は週3回ほどお互いの家を行き来している。近い。
お義母さんも同じ市内に姉妹が何人も住んでおり、そのうちの3人とは最低でも週2~3回は会って食事を楽しんでいた。そして一番近くに住む妹とは週5で会っていた。近い。
子供が独立し親元を離れても、近距離の家族交流は変わらない。週1か2週間に1回は会っているという。忙しくて会えないことがあっても頻繁にメッセージや電話でやり取りをするらしい。
日本と同じように子供が大人になると親元を離れて一人暮らしを始める為それぞれの世帯人数はそこまで多くないが、日本で問題視されている核家族のデメリットを、ここでは何故か感じない。そう思う程に家族の距離が近いのだ。
そもそも親と子が離れて住んでいると言っても、中には「数ブロック離れたアパートに住んでるよ」というような、あれ、それ、離れて住む意味ある? と思ってしまう程の近距離で別居している人も少なくない。
適度にパーソナルスペースを保ちつつ、頻繁に会って家族との交流を維持するのがアルゼンチンの家族関係のようだ。一人暮らしをしていても孤独を感じる暇がないほど、アルゼンチンの人達は人との交流がとにかく多い。
余談だが、私の夫はいとこが100人ほどいるという。
え? どういうこと? 100人? そんなことある? 多すぎない? 過疎地域の廃校寸前の小学校の全学年生徒数より多い。夫の親族だけで学校を救えるレベル。
1年生になったら友達100人できるかなとかそんなことを心配しなくてもいい。いとこ(恐らくはとこも含まれているだろうが)の時点ですでに100人いるのだ。もちろんすべてのいとこと交流が深いわけではないらしいが、それくらいの親戚がいることは把握しているらしい。
家族との近さを特に感じたのは、夫の友人たちから食事に誘われた時だ。久しぶりに帰国した夫は多くのいとこや友人と連絡を取り、会う約束を取り付けていた。私は夫の友人と1人ずつ会うのかな、などと勝手に考えていたが、いざ招待された友人宅に着くと、ダイニングテーブルに6人分の皿とグラスが用意され、夫、私、夫の友人のほか、友人の両親、友人の恋人が同席した。
まじか。
私はこの時本当に驚いた。友人の両親や恋人と会いたくないとかそんな理由ではなく、単純に友達とのご飯に両親や恋人も参加するその距離の近さに慣れていなかった。世代が違う者同士、話が合うのか? などと思っていたが、日本人のような年功序列の文化はなく、お互い過剰に気を遣うこともなく、とにかく和気あいあいとみんな会話を楽しんでいた。
さらに驚いたのは、別の友人に呼ばれた時だ。その友人は両親が離婚したために父親と母親が別居しているのだという。そして食事の席には友人、友人の父、父の恋人が同席していた。さらに話を聞くと、元妻は数ブロック先のアパートに住んでいるという。また友人の弟も近くに住んでいるらしい。
すげーな。
もう、純粋にそう思った。その距離で、離婚後の元夫婦関係も、離婚後にできた恋人との関係も、子供と新しい恋人との関係も維持できていることがすごい。話だけ聞くと修羅場不可避、と結論付けたくなるが、家族関係は良好そうだ。
ちなみに同じ友人に再度食事に誘われたが、その時は友人の母、友人の弟と一緒に食事をした。みんな人柄が良く、フレンドリーで優しい人達だった。
もちろん夫、私、夫の友人の3人で食事をすることもあったのですべてのケースがそういうわけではないが、友人と家族が同じテーブルについて食事をすることはよくあることらしい。つまり家族ぐるみの付き合いが濃厚なのだ。
もう一つ驚いたのは、アルゼンチンでは恋愛に年齢が関係ないことだった。友人の父親が離婚後に新しい恋人ができたことはすでにお話したが、その父親の年齢は60歳を超えている。またお義母さんの妹(週5で会っている一番近くに住んでいる人)も60歳を超えて恋人と同棲している。日本ではあまり見ない光景だが、アルゼンチンでは珍しいことではないらしい。
恋愛をするのに年齢なんて関係ない、と訴え、偏見と闘い、いちいち世間を説得しながら交際を続ける必要はない。え、恋人いるけど、何か? のスタンスである。この恋愛の自由度には素直に驚いたし、ここまで自由だからこそ、元妻との子供と離婚後にできた恋人の関係も良好にできるのかもしれない。
アルゼンチンの人達は家族との距離が近ければ、知らない人と距離を縮めるのも異常に速い。
夫の叔父さんに誘われ、ティグレ(Tigre)という観光地を訪れた。レストランでBBQを堪能したのだが、その際叔父さんは若い女性店員と仲良くなった。ちなみに性的な目的ではなく、お互い共通点があり話が弾んだらしい。店を後にし、帰りの電車に乗ると、叔父さんは会話の内容からInstagramを検索し、女性店員のアカウントを発見。すぐにフォロー申請し、DMでやり取りしていた。そして次の日には叔父さんは一人でそのレストランに赴き、女性店員と会話を楽しんで一緒に写真を撮り、「友達ができた」と喜んでいた。
いや、距離の縮め方がクレイジー。叔父さんが社交的だからかもしれないが、それにしてもこのスピードはスタンディングオベーションをするレベルですごいと思った。
おまけに叔父さんは76歳。その年齢でInstagramを使いこなしていた。これも珍しくないらしい。お義母さんも70歳を超えてInstagramとFacebookを使っていたし、他の同世代の人たちも同じようにSNS上での交流を楽しんでいた。そして夫との結婚をきっかけに、夫の親族からの友人申請が次々に届いた。
いや、もうすげーよ。どうなってんの、アルゼンチン。
私はその年代になったら、流行っているであろうSNSを使いこなせる自信はまったくない。SNS上での交流はなくなり、直接的な交流も極端に減って、孤独な中老後を細々と生きる想像しかできない。
人との交流をとにかく大事にするアルゼンチンの人達は、年齢やテクノロジーなどの壁をいとも簡単に越えて、その時代のやり方で人間関係を築き上げる。そのスキルと社交性の高さに私は驚くばかりだった。
素晴らしい。人間関係と聞くとストレスフルなイメージが先行してしまうネガティブ思考な私なのだが、アルゼンチンの人達はそういう経験をしても人との交流を止めない。
合わない人といてストレスが溜まるなら会わなければいい。合う人を見つければいい。そんなスタンスだ。
私はスペイン語は話せないので、滞在中に出会った多くの親族や友人達とはろくに会話もできなかったのだが、言語は関係ないと言わんばかりに歓迎して迎え入れ、たくさん話しかけてくれたその社交性と人の温かさはアルゼンチンが誇るべき素晴らしい国民性だと思う。
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