高性能は活かされない
電子レンジは日本ではかなり重宝されている家電製品だ。どこの家庭にもあり、1人暮らしを始める学生たちも買いに走るほどの必需品である。私も例に洩れず、日本にいた頃は大分お世話になった。しかも電子レンジのみで調理できるレシピも続々と増え、洗い物を減らし、時短できると人気を博している。レンジで肉も魚も調理できるなんて素晴らしい。私はこの便利さに感動していた。
が、カナダに来て電子レンジの扱われ方に驚いた。ただ食べ物を温め直す為の道具としか使われていないのだ。しかも一部の人達からは「電子レンジが発する電磁波は体に悪い」と不評なのである。代わりに彼らは巨大なオーブンやトースター、エアフライヤーなどを重宝している。私が過去に住んでいたシェアハウスでも、キッチンに置いてあった電子レンジは上記の理由で物置の奥にしまわれてしまった。便利な調理器具を失った私は、泣く泣く慣れないエアフライヤーを使って毎度大量の煙を発生させたのだ。
夫と暮らし始めて暫くは丁寧に自炊をしていたが、やがて飽き、疲れ、適当に済ませるようになった。物価の高いカナダで毎日買い食いをするのは現実的ではないので、手っ取り早く調理ができ、さらに洗い物が少なくて済む電子レンジを使い始めた。
その日は薄切りの豚肉とキャベツを耐熱容器に入れて電子レンジで調理し、ポン酢でもかけて食べようと思っていた。が、生の豚肉を入れた耐熱容器を電子レンジに入れようとした私を見て、夫は驚愕したのである。
「え、なんで、どういう、え? これ生だよ? わかってる? 調理しなきゃ生の肉は食べられないんだよ? 知ってる? 大丈夫? 疲れているの?」
そんな感じの言葉を連呼し激しく狼狽していた。私は「知ってるよ。今から肉に火を通すんじゃん」と真顔で夫に伝えると、
「電子レンジで調理できるわけないじゃん! これは温める器具だよ!?」
と大声で叫ぶ。
「できるよ。電子レンジを使ったレシピって日本にたくさんあるんだよ」
「いや、信用できない。そんなものあるわけない」
私はアプリを開いてレシピを見せるが、日本語なので夫は読めない。そしてますます信用してもらえない。
「考え直して。鍋もフライパンもそこにあるじゃん。すぐに調理できるよ」と夫は私を説得する。
「そしたら全部洗わないといけないでしょ? めんどくさいの」
「だからって、自ら食中毒になるの?」
「ならないから。何回もこのやり方で作ってるから大丈夫だよ」
「いや、信用できない。こんなことあるわけない」
夫は引かなかったが、私も引かなかった。何より仕事終わりで疲れていて、さっさと調理して食事にありつきたかった。夫の静止を振り切り、私は豚肉とキャベツが並んだ耐熱容器にサランラップをふんわりとかけ、電子レンジに入れる。
途端に夫が叫ぶ。
「何してるの!? これサランラップだよ!? プラスチックだよ!?」
「知ってるよ。だから?」
「プラスチックを電子レンジに入れたら溶けるじゃん!」
「そんな高熱でやらないから溶けないよ」
「いいや、溶ける。熱を与えればプラスチックは必ず溶けるんだ。これをやったらとんでもない料理ができる!」
なんと、ここではサランラップすら信用に値しなかった。サランラップは電子レンジで料理を温める時に使うのではなく、冷蔵庫などで料理を保存する際に上にかぶせるだけの物、という認識らしい。
「ラップしなかったらご飯温めてもパサパサになるじゃん」
私の反論は空しくも夫に届かず、夫は「生の豚肉をただ温めて溶けたラップと混ぜた闇鍋を作る気か」と私の両肩を掴み必死に止める。疲れていた私はそれを無視し、そのまま電子レンジに入れる。
「だめだって、あ、いや、そんな、だめ、あーーーーーーー!」
夫は悲痛な叫び声を上げる。近所迷惑だ。そして電子レンジが調理している間、夫は私への説得は届かなかった、もう手遅れだ、と肩を落としリビングに戻った。
結果は、やはり日本にいた時と同じようにきちんと調理できていた。赤い部分もなく、豚肉からの肉汁がキャベツに滴りおいしそうだ。そして当然サランラップは溶けていない。
私はどや顔で夫に見せる。闇鍋ができると想像していた夫は、
「ふーん、なかなかうまそうじゃん」
と見る目を変えたよう。どうだ、と私が言うと、
「今回はたまたまうまくいっただけだからね! 次はやっちゃだめだよ!」
と私に警告する。成功例を見せても電子レンジとサランラップの信用度はなかなか上がらない。「食べてみる?」と夫に聞くも「絶対食中毒になるから嫌だ」と口をつけない。その後数日間ピンピンしている私の姿を見せても「今回はたまたま、運がよかっただけ」と夫は頑なだ。
それ以降は調理の為に電子レンジを使用する度に、叫ぶ夫を説得するという余計な仕事が増えた為、仕方なく鍋やフライパンを使用して、気難しい電熱線コンロと格闘しながら調理する。サランラップも冷蔵庫での保存以外に出番はない。せっかく便利な道具があっても価値観の違いの為に使えない。これもまた違った理由での不便さである。
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