廃トンネルと決戦

 鋼一郎は機体のシートに全体重を預けた。操縦桿を握りしめ、キックペダルを強く蹴り込む。


「電圧ヨシ。油圧ヨシ。エンジン回転数・正常。関節機構ロック解除。OS(オペレーティングシステム)プログラム並びに戦術補佐AI起動。万事オールグリーン。──アクティベート・スタンバイ」


 荷台でびしょ濡れになった凱機が、ゆっくりと起き上がる。回転数を高ぶらせるエンジンも、「待くたびれたぞ」と言わんばかりに唸りをあげた。


 翡翠色をした頭部のツインアイがとらえた情景は、正面のモニターへと映し出される。


 そこには鋼一郎の突入を見送る仙道たちの姿もあった。


「克堂隊員。現状でわかる範囲の情報は君の端末へと転送したが、やはりこちらからはトンネル内の状況を伺えない。私が外からあれこれ指図を出すより、現場に突入した君の判断の方が正確だろう」


「了解しました。これより、コロニーと思われるポイントへ突入。作戦行動を開始します」


 ◇◇◇



 湿り気を帯びたトンネル内は、とても「快適」とは言えそうにない。


 足元の路線にまで繁茂したコケと、ぬかるんだ足元はスリップの原因にもなりえるだろう。ライトの明かりを頼りに、慎重な足取りで機体を進める。


 鋼一郎の操縦する凱機は今年ロールアウトされたばかりの第三世代モデルに分類される〈ムラクモ〉という、最新鋭の機種だった。


 鎧武者然とした機体の見てくれは、三年前に稼働していた第二世代モデルの〈アカツキ〉とそう変わっていない。しかし高性能化を重視し、強化・改良された第三世代モデルの内部フレームは、過去のモデルを十二分に上回る完成度を誇っている。


 第二世代と同じ工場の製造ラインを用いることも可能であり、最新鋭の機体ながらに生産数や予備パーツも潤沢なのも有用な点だ。だからと言って、壊していい理由にならないというのが専属メカニックの口癖なのだが……


 そして、ムラクモはトンネルの中腹にまで踏み込んだ。レーダーには点々と妖怪の反応が灯っていく。


「目標確認」


 ブレードへと手をかけ、呼吸を浅く整える。


「駆除開始ッ!」


 鞘から引き抜かれたブレードはその蒼白に輝く刀身を剥き出しにした。鋼の巨人は迫る異形を目視と同時に切り捨ててみせる。


「抜刀──」


 どうやら、切り捨てたのは低危険度の二メートル弱しかない小型だった。だが、その一振りが皮切りになる。


 レーダーに映り込むのは鋼一郎を飲み込もうとする妖怪の雪崩だ。トンネルの暗がりに潜んでいた有象無象の人外の群れが波のように押し寄せる。


 鋼一郎も咄嗟にもう一本のブレードを抜き放ち、構えた。


 躍動するモーターが生み出す馬力は両腕の刀を振りまわすのにも十分だ。降り掛かる火の粉を払うがごとく、コロニーの妖怪を切り裂いていく。


「十……二十……思ったよりも数は多いが、一体、一体の危険度はそう高くない小型ばかり。ということは、」


 鋼一郎はもう一度、妖怪の反応を示すレーダーへと目をやった。消し去った小さな反応に対して、トンネルのさらに奥深く。動こうとしない巨大な反応が一つある。


 恐らくは、この反応がコロニーの主を示したものだろう。


「出て来いよ。先に突入した仲間をやってくれたのはお前だろッ!」


 吠える鋼一郎の声に応えたのは、しゃがれた声の主だった。


「よくも我が同胞を殺めてくれたな、カラクリ乗りめ……」


 暗闇の向こうから這いずり出してきたのは、何十本もの細長い脚だ。


 トンネルの壁面から、天井にかけてを這いずる異形の全長は把握するのは困難だ。それでも巨大であることだけは十分に伺えた。


 突き出した二本の触角と毒腺を潜ませた牙を震わせながらに、人語を介する妖怪の姿がライトによって照らし出される。節足動物・多足類に分類されるそれを、そのままスケールアップした巨大な百足(むかで)の妖怪である。


「お前、見たことあるぞ。殺人十二件、器物破損三十四件で高危険度妖怪としてデータベースに登録されていた個体だな」


「くくっ……そこまで知っておきながら、単身で儂の隠れ家に乗り込んでくるとは、勇敢な小童もいたようじゃ。お主の仲間はこうなったにも関わらずな」


 百足は物陰から何かを、その牙で器用に摘まみ上げる。巨大な鉄の塊。大破した凱機の残骸だ。


 コックピットを覆う装甲版には溶かされたような痕跡も見られ、そこから覗く隊員の首はおかしな角度に捻じれている。


 それに鋼一郎は、隊員の顔に見覚えがあった。彼もまた仙道と同様に、現場で幾度か顔を合わせたことのある隊員だ。先に昇進した自分に面倒な絡み方をしてくる先輩だったが、任務を共にしたあとには必ず一杯の缶コーヒーをおごってくれた。


 彼の口癖は「俺はすぐにお前を追い越してやるぜ!」というもの。「あと二階級上がれば、お前を追い越せるぜ!」と息巻いてもいた。


「祓刃隊員の名誉ある殉職には、二階級特進の賞与が与えられるか……ふざけんじゃねぇぞッ」


 くつくつと笑い声を零す百足の態度が、鋼一郎の琴線に触れたのは言わずもがなだ。


「その反応、もしやお主はコイツの顔見知りだったか?」


「だったら、どうだって言うんだよッ!」


 その鋼鉄の両脚でブレードの間合いへと一気に踏み込む。百足の首を両方向から挟みこむよう、二振りの刃を走らせた。


 描く軌道は確実にその首を着実に捉えていた。が、響いたのは鼓膜の奥を刺すような金属音だ。小さな火花が散りゆくと同時に、百足を覆う外殻がブレードを弾いてみせる。


 固い。


 鋼一郎はすぐに二本の刃を鞘へ戻した。ならば、打撃ではどうだろうか?


 すぐさま〈ムラクモ〉に腰を入れさせ、マニピュレータの五指をきつく結び合わせる。


「無駄じゃよ!」


 またしても百足の外殻は鋼一郎の一撃を弾く。結んだ拳は崩れ、それどころか腕部を接合する関節から、嫌な音が響いた。


「ぐっ……」


 日本政府が定めた妖怪の定義は以下の二つだ。


 一つ──既存の生物とは明らかに異なるサイズ、部位を持つ個体、或いは部位を欠損させた個体。


 一つ──その身に妖気エネルギーを宿し、超常的な現象を引き起こすことが可能な個体。


 この定義を満たした妖怪は一切の例外もなく、祓刃の駆除対象に指定される。


 そして妖術とは、内包された妖気エネルギーを用いての攻撃や、何らかの効果を発揮する現象を指す。


 自由に言語を操り、挑発の術も覚えたこの百足にも知性が備わっていることは確かだ。


 ならば仙道の想定通り、この妖怪にも妖術を操ることが出来るのだろう。


「硬化の妖術……妖気エネルギーをその外殻に浸透させ、硬度や密度を底上げしてやがるのか」


「ご名答。貴様らのカラクリで儂の身体に傷をつけるのは不可能じゃ!」


 今度は百足の方が迫ってきた。単純な体当たりでも、これだけ巨体を持っていれば凱機を圧し潰すことは難しくない。


 紙一重で飛び退いた〈ムラクモ〉の足元を、突進してきた百足がえぐり抜く。震えるトンネル内と出来上がったクレーターはその威力を十分なほど教えてくれた。


 ぴくぴくと。百足の頭部から延びる二本の触角はこちらの動きを鋭敏に感知する。


 だから、この狭いトンネル内で、何度もその突進を回避するのは現実的じゃないだろう。


「『ちょーっと不味いかも』……貴方ならそう言いますかね、百千教官?」


 鋼一郎はもう一度、鞘に戻した二振りのブレード・夜霧を引き抜く。蒼白に煌めく刃をただ静かに構えさせた。


「いいぜ、ムカデ野郎。少し、本気でやってやんよ」

 操縦桿を通して、ムラクモの握る二振りのブレードの感触を確かめた。程よい重量だ。次世代の近接武装である斬月はチェーンソーの刃を回すためのモーターとバッテリーを積んでいるせいで、どうしたって振り抜きが遅くなる。


 軽い。それだけが、あの夜に大破した咲楽機から回収されたこの刀剣の利点であった。


「ふぅ……」


 短い呼吸で動機を鎮めると同時に、集中力のギアを一段跳ね上げた。


「標的、高危険度妖怪・百足……これより駆除を開始するッ!」


「何度やろうと、そのナマクラで儂の身体は切れんよ!」


 先に仕掛けたのは百足の方だ。今度は毒腺のある牙を構え、暴走特急のように突っ込んでくる。


 ムカデの毒は神経毒の類がほとんど。だが相手にしているのは巨大な百足の妖怪であった。


 先輩の凱機には、装甲を溶かされたような痕跡があることも覚えている。恐らくは毒自体も妖術で性質を変化、或いは強化することができるのだろう。


「……もっとだ……もっと集中を研ぎ澄ませ」


 鋼一郎もまた、飛び出した。


 不要な装甲をパージ、軽くなった機体はさらに速度を増す。牙は鋼の身体を擦過、垂れた毒液は白煙と共にその装甲を溶かすのだろう。


 だが、鋼一郎はそれを意にも介さない。


 集中を研ぎ澄ませた果てに──鋼一郎の目には百足の動きは限りなく遅く、そして鈍重に見えた。


「そこだっ!」


 強化された外殻と、甲殻のその隙間。剥き出しになった百足の筋線維へと刃を深くにねじ込んだ。


 勢いを余らせた突きは、百足を食い破るだけでは足らず、トンネルの天井にまで達する。


「かはぁッ!!」


 流れた赤黒い体液が、凱機の装甲にべっとりと垂れる。装甲を脱ぎ捨て、血をかぶったその様は鎧武者というよりも落ち武者のようでもあった。


「こっ……この程度の傷、妖術を用いれば……すぐにでも塞ぐことが」


「無駄だ」


 凱機のブレードや銃火器に装填されるAA弾には、特殊金属・白(はく)聖鋼(せいこう)が用いられている。


「俵フジ太の大百足退治だったか……昔話の大百足は人間の唾液を嫌い、最後は唾を吐きかけられた矢に貫かれたそうじゃねぇか」


 もちろん、それは単なる昔話。実際の大百足に唾を吐きかけたところで、どうということはない。


 それに、この白聖鋼は唾なんかよりもよほどタチの悪い代物だ。


 どれだけ危険度の高い妖怪でも、一度この白い金属が食い込めば呼吸中枢が麻痺し、血圧低下やチアノーゼ引き起こした果てに死に至る。白聖鋼は妖怪にとって紛れもない猛毒であった。


「がっ……! がっ……!!」


 百足は誰の目にも明らかに弱り始めた。


「まだ、くたばるな。最後に一つ聞きたいことがあるんだよ、クソムカデ」


「くっ……くくっ、奇遇だな小童。………儂もお主に聞きたいことができた」


「ダメだ、俺が先だ。もし、くだらない嘘や言い逃れをしようものなら、このまま首を切り落とす」


 そう、ブレードの刀身をさらに奥まで押し込んだ。


「俺は巨大な腕の妖怪を探してる。大きさは腕だけでも、八メートル。言葉は話さないがお前と同様に外殻の強度を増すような妖術も使っていた。知らないか?」


「……腕の妖怪じゃと? ふん、もはやこの世は人の世じゃ………お主らカラクリ乗りの見つけられん妖怪を、儂が知るわけなかろう」


 息も絶え絶えに。嘘をついているようにも、それほどの余裕があるようにも思えない。


 今日まで生き延びた高危険度の妖怪ならば、と期待していたが、どうやらコイツも外れなようだ。


「……そうか。なら、冥途の土産だ。お前の質問にも答えてやるよ」


「くくっ……お主の最後の一撃、見事じゃったよ。……儂の動きを完全に見切っていた。……だが、お主は声からして若すぎる」


「もう十八だ。法律上じゃ、俺は成人なんだ。ガキ扱いしてんじゃねぇよ」


「……だとしても若すぎる。……なぁ、お主。……お主はどうやってそれだけの見分を身に着けた?」


 鋼一郎は少し答えに迷う。


 この妖怪にどう言えば、うまく伝わるだろうか。


「なんつーか、そういう体質なんだよ。……幼少期のトラウマつーかさ、とにかく動体視力がちょっと異常なんだ」


 百足の首がぐったりと垂れ下がる。


 鋼一郎は腕時計へと視線を落とし、仙道に通信を繋げた。


「……こちら、克堂。高危険度妖怪・大百足の駆除。並びに廃トンネルの妖怪コロニーの解体が完了しました」

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