形見と奇人

 二〇三八年 七月二一日 午前二時十八分 

 東京都 柄沢市・山中へと続く道路


 祓刃のガレージで待機をしていた鋼一郎にお呼びがかかったのは、今から一時間前のことだ。


 昼間とは打って変わった曇天の下。分厚い雨雲は月明りさえも覆い隠す。


「……」


 パラパラと夜雨の粒が天井を叩く音は、荷台に積まれた凱機のコックピット中でもはっきりと聞こえていた。


 凱機運搬用のトレーラーは舗装された本道からルートを大きく外れて、山中へ続く脇道へと逸れる。そんな荷台で鋼一郎はタブレット端末を片手に、与えられた任務の概要について確認していた。


「廃トンネルの妖怪生活圏(コロニー)か」


 この三年で都市部の妖怪対策は十分に整ったといえる。


 しかし、その弊害として都市部から居場所を奪われた妖怪が山中や廃屋といった、まだ人の手が入り切っていない場所に密集するようになってしまったのもまた事実。


 以前までは単独行動が主だった妖怪たちが、追われた先で集い一つのコロニーを築くようになってしまったのだ。


 この先をしばらく進めば、ぽっかりと大穴を開けた廃トンネルが見えてくる。その廃トンネルにも数十体の妖怪がひとつのコロニーを形成していた。


「『本日、深夜零時。祓刃は廃トンネルの周辺を包囲。コロニーの解体、並びに潜伏している妖怪の駆除を目的とした殲滅作戦を展開した。だが、作戦開始から間もなくして廃トンネルへ突入した凱機小隊との連絡が途絶えた』……か」


 今回の任務を一言で言うのなら、味方の救援だ。


 祓刃隊員はそれぞれが担当する地域、任務などが明確に割り当てられている。


 廃トンネルのある地域は本来、鋼一郎の管轄外であったが、緊急事態となれば話は別だ。ガレージで待機、さらに専用の凱機もすぐに出せる状態にあった自分へ救援要請がかかるのは必然だったとも言えよう。


 ざっくりと任務の概要を洗い出した鋼一郎はもう一度、乾いた瞳を閉ざす。


 瞼の裏に浮かんだのは、昼間遭遇した彼女──幸村白江が去り際に見せた表情だった。彼女はたしかにおかしな奴だったが、なぜあんな空虚な顔をみせたのか?


 墓参りで偶然にも鉢合わせただけの自分に分かるわけもないのだが、それでも何処かに引っ掛かりが残る。


 なぜあの場で、彼女を呼び止めなかったのか。


 今更ながらに後悔がこみ上げてきた。……いや。後悔なんて今回に限ったことじゃない。少なくとも三年前のあの夜。


「今更すぎるか」


 自嘲気味な笑みが漏れると同時に、トラックのスピードも緩やかになってきた。


 どうやら、目的地に到着したようだ。


 頬を強く叩いて、思考をリセットする。


「いけねぇ、まず任務に集中しろ」


 ◇◇◇


 廃トンネルの入り口には厳重にバリケードが敷かれ、その脇には簡易的な仮説テントが建てられていた。鋼一郎はトラックから降りると、現場指揮官の元へと歩み寄る。


「来てくれたのは君だったか」


「克堂鋼一郎・一級戦闘員、現着しました。大蛇の殲滅作戦以来ですね、仙道(せんどう)指揮」


 レインコートを羽織った男がゆっくりと振り返る。堀の深い顔立ちをした壮年の男だ。


 仙道和樹(かずき)・特級指揮官。彼とは今回のような救援任務や大規模な殲滅作戦で何度か顔を合わせる機会があった。


「救援は君ひとりか?」


「えぇ。下手に人員を割いては犠牲者を増えますし。それに俺の目なら」


「そうだったな、ただ用心は怠るなよ。真っ先に連絡が途絶えたのは隊長機だ。このコロニーに潜む個体の中には、敵の頭を潰すという判断を真っ先に下せる者がいるのかもしれない。それに賢い個体であれば、妖術にも精通しているはずだ」


 仙道は顎に手を当てると、押し黙るようにしてトンネルの穴の向こうを睨んだ。歳の衰えから凱機を降りることになろうと、その眼光は顕在と言ったところか。


 縦幅、横幅、と十分スペースのある廃トンネルは何十年も昔に貨物列車などを通すために掘られたのだろう。電飾の一つもないトンネル内の状況を外から伺い知ることは難しかった。


 それに凱機小隊が帰ってこなかったのだから、探査用ドローンを突入させたところで壊されるのが関の山であろう。


「ここが黄泉平坂に繋がる入り口ですって、感じですかね?」


 妖怪の持つ知能や体の大きさにも個体差というものが存在する。


 人の言葉を操るものから、何十メートルにも及ぶ巨体を誇るものまで。そういった危険度の高い個体は祓刃が設立される以前、時を遡れば陰陽道を対抗手段用いていた時代から、優先的な駆除対象となってきた。


 しかしながら駆除の手を逃れ、現代にまで巧妙に生き抜いた個体も一定数が確認されているのも、また事実だ。


「妖怪のコロニーは知能が高い個体を中心に形成される場合がほとんどだ。まとめ役がいなければ、コミュニティが運営できないのは奴らも私たち人間と同じらしい。現在でも野放しになっている九尾のコロニーがその典型例だな」


「けど、それを駆除するのが俺たち祓刃隊員ですから」


 鋼一郎はキッパリ言い切った。


 そんな彼へと称賛の拍手を贈る男が一人。


「すんっばらしいッ! うん、うん! それでこそ、一人の立派な祓刃隊員ですよ!」


 今度は見知らぬ男がややオーバーなリアクションを織り交ぜて、二人の会話に割り込んできたのだ。


 白の高級そうなスーツを纏った男はどう見たって隊員には見えない。線の細い見てくれと、その顔に張り付けた営業スマイルも同様にだ。


 部外者は立ち入り禁止のはず。鋼一郎は彼について、若干引きながらも尋ねた。


「えっと、仙道指揮……この方は?」


「この方はな、」


 間を取り持とうとする仙道に被せるよう、男はまたもオーバーな様子で名刺を差し出す。


「あぁ、大変申し遅れてしまいました! 僕はこういうものですので、是非お見知りおきを!」


「……奈切(なきり)コーポレーション代表取締役……奈切総一(そういち)だと⁉」


 差し出された名刺にはそうあった。


 奈切コーポレーションと言えば、凱機を筆頭に様々な備品を祓刃に提供してくれる大企業。祓刃設立から、今日まで多額の資金援助で組織を支えてくれた影の立役者でもある。


 いうなれば、祓刃にとってのスポンサー。奈切総一はそのトップともいえる人物だった。


「そうです。僕こそが奈切総一なのです!」


「し、失礼しました! 自分は祓刃の、」


「全然、お構いなく」


 奈切はまた言葉を被せた。


「貴方は克堂鋼一郎・一級戦闘員でしたね。ふふ。まだお若いのに有望な隊員がいると、我が社でも噂になっていましたので。あっ! サインとか貰ってもいいですか?」


「へ……?」


「オフィスに飾りますので。今度の役員会でも、自慢できそうですし」


 奈切はイメージしていた人物像よりもずっと若く、飄々としている。代表取締役らしい威厳や雰囲気というものも薄い。


 ふざけているのか、それとも素でこれなのか。初対面で困惑が勝ってしまうのだけは、確かだ。


「……あの代表取締役……あまり、ウチの隊員にちょっかいをかけないでください」


「ん? 僕は本気ですよ、仙道和樹・特級指揮官殿」


「そ、そうでしたか……」


 仙道の表情も引きつっていた。それでも笑顔を保てているのは、長いあいだ中間管理職をこなしている賜物か。鋼一郎にも「こういう人だから」と耳打ちで教えてくれた。


「えっと……一つ、お伺いしたいのですが、代表取締役はどうして現場まで?」


 たしかに奈切ならば「部外者だから」という理由でここから追い出されることもないだろう。


 ただ、それは奈切がこの場にいる理由にもなっていない。


 ここは包囲網と言えど、バリケードを跨げば妖怪の巣食うコロニーだ。そんな危険も伴う場所に、なぜ彼が訪れたのか?


「僕がこんなところにいる理由ですか……まぁ、視察と言ったところですよ。我が社の製品たちがどのような使われ方をしているのか? 凱機が妖怪駆除を担うヒト型装甲兵器として本当に有用なのか? ちょうどスケジュールにも空きができたので、それらを現場で確認したくって、」


 彼はそこで言葉を区切ると、口の端を釣り上げた。


「あとはやっぱり間近で見たいじゃないですか。凱機が妖怪を駆除するとこなんて」


「その……さすがに奈切社長はトンネルの中に入れませんよ。安全の都合上」


「えっ……ダメなんですか?」


 奈切は本気で驚いていた。


 仙道に言われたばかりの「こういう人」だからという言葉が頭をよぎってしまう。


「はは……」


 戸惑う鋼一郎に、今度は奈切の方から質問を投げかけられた。


 彼の視線が向く先は、開放されたトレーラーの荷台で雨晒しになっていた凱機へと向けられている。


「ところで。僕からも質問なのですが、貴方の機体には少々珍しいカスタマイズが施されているようで。旧日本刀型ブレード夜霧とは、また懐かしいですよね」


 駐機状態で鎮座する鋼一郎の凱機には、ブースターユニットが脚部にも増設されたほか、基本装備であるアサルトライフルが外され、その代わりに両腰に一本ずつ、計二本のブレードがラックされていた。


 奈切は眉間をつまみながらに、思考を巡らせる。


「貴方は近距離での戦闘を好まれているのでしょうか? いや、しかし、夜霧は三年前の旧モデルのはず。今の主流は刀身にチェーンソーの機構を仕込んだ斬月(ざんげつ)ですし、もっと高性能な近接武器だって我が社が製造しています。それに、二刀流を使うならば機体にもそれなり調整がいるはず。メカニックにだって相当の負担になるんじゃ」


 そう言われて鋼一郎の頭には、あるメカニックの顔が浮かんだ。不本意そうな態度で機体をバラす訓練校からの同期の顔だ。


「鋼一郎くんにはなにか、この武器に思い入れでも?」


「そうですね……強いて言うのなら形見といったところですよ。この刀も、この襟元の徽章も」


 鋼一郎はあくまでも淡白な口調で答える。襟に留めた、焼け落ちた方の徽章を強く握りしめて。


「探している妖怪がいるんです。この刀でぶっ殺さなきゃならない妖怪が」

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