真っ白少女との邂逅

墓参りと奇妙な少女

・ 二〇二八年 七月二十日 午後一時二十分 

・ 東京都 柄沢市・阿久津霊園


 季節は夏真っ盛り。ジリジリと照り付ける炎天下を恨めしそうに睨みながら克堂鋼一郎は額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。


 暑い。それが生地の分厚い隊員服を着っていれば尚のこと。


「やっぱ夏場の隊服はキツイな……」


 汗ばんだカーキ色の隊員服の襟には、二つの徽章が留められている。


 一つは鋼一郎が訓練生である期間を満了し、正規の祓刃になったことを示すツバキの徽章。


 だが、もう一つの徽章は何を象っていたのかもわからない。煤けて、溶け落ちたそれはサイズ感などから、元は徽章だったのだろうと辛うじて見当がつくような金属片だった。


「あれからもう三年ですか。時間が経つのは早いもんですね……桃教官」


 苦笑交じりに呟いて、鋼一郎は目前の墓標へと頭を下げる。


 なんの変哲のない墓には『百千家之墓』と彫られていた。ここは鋼一郎にとって訓練校からの恩師、百千桃の眠る場所である。


 鋼一郎は盆や何かの節目以外にも、毎年この時期になると足しげくここへ通っていた。やや季節外れの花と線香を備えたのなら、その場へしゃがみ込み、手を合わせる。


「引き続き、現状を報告致します。この一年でまた祓刃という組織は大きくなりました。先月で俺もようやっと、貴方と同じ一級戦闘員にまで昇進できましたし。他に報告しそうな事例と言えば──」


 鋼一郎は胸ポケットからメモ帳を取り出し、それを開いた。その中には最近起こった出来事が事細かにまとめられている。


 そう───あの実戦訓練の夜から三年がたったのだ。


 凱機という六メートル級ヒト型装甲兵器の運用、並びに妖怪駆除のために組織された特務機関こそが妖怪対策局・祓刃である。


 祓刃はこの三年でさらに大きな組織へと成長した。それに伴い、凱機を用いた駆除活動以外の妖怪対策に力を注ぐことが可能とした。


 妖怪は夜間ほど活発になる。これは全ての妖怪に共通する習性であり、そのために多くの都市では夜間の外出禁止令(ロックダウン)とバリケードを敷き、凱機を用いた巡回警備を行うのが三年前までの主な対策手段だった。


 だが現在では、増設された監視カメラや警備ドローンの配備が進み、妖怪の早期発見・早期駆除を可能となったのだ。


 わざわざ巡回すまでもなく、ビル同士の狭間、下水道、人気のない路地といった妖怪が潜むのに最適なポイントにも常に監視の目が行き届く。設備が整った都市であればあるほどに、妖怪被害の件数は低下していた。


 専門家曰く。このまま監視カメラやドローンの配備が進み、祓刃の規模が拡大していけば、数年後にはすべての妖怪を駆逐するのも不可能ではないそうだ。


「────今日までの殲滅作戦では、大蛇、蝦蟇、海坊主などの高危険度妖怪たちの駆除にも成功しました。近い将来。妖怪による殺人や傷害、放火に強盗。そうした妖怪被害が祓刃によって根絶される日もそう遠くないのかもしれませんね」


 そこまでの報告を終え、鋼一郎はメモ帳を閉じる。


「最後に、あの夜の妖怪の件ですが。あの腕の本体は未だに駆除どころか、正体さえ掴めず」


 明らかに口調が重苦しものへと変わった。それでも鋼一郎は絞り出すように言葉を続ける。


「……ですが、奴は必ず俺が」


 なるべく平静を保とうともした。しかし、鋼一郎の感情は鋭い犬歯とともに剥き出しになる。


 目を閉じれば、いつだって思い出せた。


 妖怪の死骸をいきなり突き破って現れたあの腕も。金属がつんざかれる音に、オイルと血が混ざり合ったむせ返る臭いも。


「貴方の仇は必ず、この俺がッ!」


 そう吠えて、立ち上がろうとした時だ。ぴしゃり! と顔面に冷水を浴びせられる。


「冷たっ! な、なんだよ!?」


 振り返れば、後ろでは花束とひしゃくを握りしめた少女がムスッとした顔でこちらを睨んでいた。


 日傘の柄を細い首と小さな肩で器用に挟み込んだ彼女の足元には、水の入ったバケツもある。どうやら水をぶかっけてくれたのは彼女で間違えないらしい。


「何してくれんだよ……」


「ここは故人が静かに眠るための場所じゃ。なのに、バカみたいな大声で怒鳴りおって。どうやらお前さんは〝まなー〟という言葉を知らぬようじゃの」


 少女の言葉遣いはすこし……いや、かなり年寄り臭い。


 こういうのは、なんといえば良いのか。拗らせている? 中二さん? いや、仮にそうだとしても。初対面の人間に水を浴びせる理由がわからない。


「増して、それが自分にとって大切な者の墓前ともなれば尚のこと」


 しかしながら、その指摘に反論できないのも事実だ。


「うっ……たしかにデカい声を出したのは悪かったよ。……けど、見ず知らずの他人にいきなり水をかける奴がいるか? うへぇ、パンツまでびっしょりじゃねーか」


「そうかの? 少なくとも、いきなり自身の下着事情をワシのような乙女にするあたり、お前さんの煩悩に火照った頭を冷やしてやるべきじゃと思ったが、」


「いや、それはお前が水をぶかっけてくれたからだろうがッ!」


 十五か、十六歳くらいか。目の前の少女は口数を減らそうとしなかった。


「ぎゃー、ぎゃーと喚くな。それにワシはな、お前さんがいつまで経ってもそこを退いてくれないから、この身も焼け落ちてしまいそうな日差しの下。ずっーと待っておったのじゃぞ。いくら呼んでも聞こえてないようじゃったし」


 そう言われ鋼一郎は自分の腕に巻かれた時計を見る。どうやら本当に彼女にも気づかず、二十分近くもここに居座っていたらしい。挙げた線香もいつにまにか半分近くがすっかり白くなっていた。


 玉のような汗を浮かべ、待ちぼうけを食らっていた彼女。その細雪のように白く、肩のあたりまで伸ばした長髪が一番に目を引かれる。


 そして、右の手に握られた花束は鋼一郎が墓前に手向けたものと同様、恐らくは造花であろう桜の花束であった。


 季節の花を手向けるというのは、そう珍しい話ではない。だが、今は七月の中旬。照り返す日差しが、季節外れということを嫌でも教えてくれる。


 それでも鋼一郎がこの花を選んだのは、故人である彼女が好きな花だったからだ。


 彼女は春先には決まって訓練生を引き連れては盛大な花見を催すような人だった。……と言っても、本人は花より団子派。もしかしたら、花見より、ごちそうを好きに飲み食いできる口実が欲しかっただけかもしれないが。


 どちらにせよ。目の前の白髪少女がこの花束を選んだということは、彼女も何かしらの縁を持っていた人物に違えないはず。


 ただ、故人からはこの歳の妹や従妹がいるなんて話を聞かされてもいない。それにこれだけ目立つ白髪とおかしな話口調だ。葬儀で見かけていれば嫌でも記憶に残っているはず。


「もしかしなくても、お前も桃教官に会いに来たんだよな?」


「だから、そう言っておるじゃろ。……と、いってもワシは彼女に一言言っておきたいことがあるだけじゃ。お前さんのように何十分も座り込んだり、喚き散らしたりはしないがの」


「はい、はい、それは悪うございましたね。けど、お前はどこの誰なんだよ? 俺の記憶が正しければ、あの人の知り合いにお前みたいなチンチクリンはいなかったはずだぞ」


「ふむ。下着事情の報告の次は、ワシの名前を問うか。そうか、お前さんは巷でよく耳にする、〝ろりこん〟とやらじゃの!」


「…………は?」


 渾身のキメ顔を作った彼女に、鋼一郎は困惑するしかない。


「ごほんっ! 単なる冗談じゃよ。ワシは幸村白江。お前さんは揶揄いようがあるからの。少し、悪ふざけが過ぎてしまったわい」


 白髪少女、改め白江。


 彼女は花と柄杓を置き、自由になった手で日傘を持ち直す。墓前にかがみこみ長々と話していた鋼一郎とは対照的に、本当に短く手を合わせるだけで彼女は立ち上がった。


「なぁ。ほんとにそれだけでいいのか? ……このクソ暑い中、日傘をさしてまできたんだろ」


「言いたいことは言ってやったからの、要は済んだ。ところで。ワシも毎年、この時期になると彼女の墓参りに来てるのじゃが、いつも決まってこの造花と線香が上げられていた。もしや、これはお前さんの仕業か?」


「まぁ……この時期って言うんなら多分、俺だろうけどよ」


「そうか。ならばお前さんに少し訊ねたいのじゃが」


 白江は小さくうなずくと、その端正で小さな顔をぐっと近づけた。


「ここに眠る百千桃とはどのような人物だったのか?」


「……は?」


 あまりに突拍子のない質問に思わず、そう声が出た。


 普通、よく知らない相手の墓に来るものなのか? 


 しかし、詰め寄ってきた白江の表情は真剣そのものだ。


「彼女はワシにとって恩人じゃ。けど一緒にいれた時間なんて、数か月程度。じゃから、ワシは彼女のことをほとんど知らぬのじゃよ」


「待て、待て! わかんねぇって! そんなに顔されたって、いきなり畳みかけられた俺も整理がつかねぇよ!」


 一区切りを置いて。鋼一郎は改めて、桃教官という恩師の顔を思い浮かべた。


「えっと……まず俺らと大して歳も変わんないクセに色々と達観した人だったよな、そのわりにはちょっと抜けてたりもして。……それから、スゲー人ってのも間違いはない。操縦技術が卓越してたからこそ、十八歳でも一級になったうえに、特例で俺らの教官をやってたわけだし……あとは、」


 ふと、鋼一郎の頭の中にある言葉が浮かんだ。


「『誰かに護られるより、誰かを護れるようにならないか?』孤児院で荒れに荒れて、中学では喧嘩に明け暮れていた俺に、初対面だった桃教官が掛けてくれた言葉だよ」


「なるほど、そうじゃったか」


 気恥ずかしそうに語る鋼一郎に反して、白江はそう短く呟くだけだった。自分から聞いてきたわりに、随分と淡白な感想だ。


「……んだよ、聞かれたから話してやったんだぞ。変な奴だな」


「いいや。お前さんは彼女のことを十分に教えてくれたさ」

 日傘を手に幸村はくるりと、その身を翻す。


 それによく考えてみれば、白江は一から十まで全部が変だった。だから今更何を言っても無駄なのではなかろうか。


「実に有意義な時間じゃったよ。ここに来たのも、無駄足ではなかったようじゃ」


「……なんじゃそりゃ」


 去り際の彼女は、その口元をいたずらのように釣り上げてて、鋼一郎に背を向けた。


 ◇◇◇


 墓参りで偶然出くわした年寄り口調のおかしな少女──ここまでならば、幸村白江という少女はそれ以上でも、それ以下でもなかったのだろう。


 だが、彼女の去り際に鋼一郎の特異な動体視力は、それを見逃せなかった。


 笑顔を浮かべた彼女の表情が日傘によって遮られ、見えなくなる直前に。彼女は表情を変えていた。


 能面をそのまま張り付けたような無表情。白い髪とは対照的に、夜闇をそのまま映した氷塊のように、真っ黒な瞳をしていたのだ。

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