凶兆と再会
・ 二〇二八年 七月二十四日 午後六時四十七分
・ 東京都 柄沢市・祓刃基地「まんぷく食堂」
「はぁ。昼間はやっちまったな……」
鋼一郎は基地内に設けられた食堂で大きなため息を吐き出した。
食券で購入した唐揚げ定食はすっかり冷めきって、なかなか手を付ける気にもなれない。
へこたれた雰囲気が滲み出ているのだろう。周りの隊員たちはあからさまに自分との相席を避けていた。
まぁ、ボッチ飯はいつものこと。それを気にしたってしょうがない。
「……」
こんな自分を気にかけてくれるのなんて、由依くらいだ。
両親を妖怪に殺され、孤児院で育った鋼一郎の中学時代は荒れに荒れていた。連日、憂さ晴らしのように喧嘩を繰り返しては、擦り傷まみれで施設に帰る。
この期間で染み付いてしまった喧嘩癖は、訓練校でそう簡単に治るわけもない。よく問題を起こしてばかりの腫物扱いをされていた。そんな自分にも隔てなく接してくれたのが同期の由依だったのだ。
今のような無茶を辞めるつもりはない。それでももう少し、角の立たない誤魔化し方はあったのかもしれない。
「あー……多分ダメだ。……まず誤魔化そうとしてる時点で、アイツは納得しねぇだろうし」
悩めば悩むほどに、重たくなった頭を抱えてしまう。
揉め事の原因にもなったB・U以上に脳に負担がかかっているのではなかろうか。
「随分な様子だな、克堂隊員」
聞き覚えのある声に顔を上げたなら、そこには意外な人物が立っていた。
壮年ながらも、いまだ現役時代と変わらぬ迫力の眼光を備えた祓刃隊員。定食メニューのプレートを抱えた仙道特級指揮官である。
「珍しいっすね、仙道指揮ってあんまり食堂使わないんじゃ」
「そんなことはないと思うが、今日は早めに職務が片付いたからな。それで君とも顔を合わせることになったのだろう。あっ、向かいの席は空いているかな?」
「いや、まぁ、構わないですけど」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
先導は注文した天ぷら定食に手を付けながら、話を切り出した。
「君には廃トンネルの件でお礼を言おうと思っていたが、なにやら悩んでいるようだな」
「ちょっと訓練校時代からの同期と揉めてしまって」
「君の同期というと、あの眼鏡をかけたメカニックの……なるほど、色恋沙汰というわけか」
真顔でそう言われた。
説教ついでに工具で脅される彼女との関係のどこを見れば、そんな浮ついたものを想像できるのか? いや、さすがにそうは見えないはずだ。
「冗談は勘弁して下さいよ。ただの喧嘩で、非は俺にありますから。……それに廃トンネルの件だって、俺は先に突入していた先輩たちを助けられなかったんです。だから感謝されるようなことは」
鋼一郎の口調には、自身への苛立ちが滲んでいた。
だが、仙道はそれをきっぱりと否定する。
「いいや、君が現着する以前に彼らは殉職していただろう。君が早期に大百足を駆除してくれたからこそ、彼らの遺体は綺麗なままで回収できたんだ。それに彼らの死で責任を問われるべきは、君ではなく現場指揮を務めた私の方だよ」
箸を止め、彼はその瞼を静かに伏せる。
祓刃ほど同僚の葬儀に参列しなければならない職種も稀だろう。
仙道は預かった現場での死傷者を最低減に抑えるよう努めている。だが、近年問題視されている妖怪生活圏(コロニー)内での作戦は、あちら側の領域に踏み入る都合上、どうしたって後手に回ることが多い。
狡猾な個体であれば、コロニー内に罠を仕掛けることだってある。また今回の廃トンネルの一件のように先遣隊が、高危険度の妖怪に鉢合わせ全滅するケースだってザラだ。
いつだったか。葬儀の最中に、亡くなった隊員の婚約者らしき女性から仙道が激しく責められている現場に鉢合わせたことがあった。
────お前は戦わずに、彼を見殺しにしたんだ!
そんな罵倒を浴びせられて尚、表情を崩さぬまま指揮官としての責務に向き合える仙道の意志が堅牢であることに間違えはない。
「ところで」
そう話題を切り出されて、ハッとする。
ただ仙道は自ら話題を切り出しながらも、周囲の隊員たちを伺うような素振りを見せた。
「仙道指揮?」
「いや、すまない。人に聞かれるような場所ではできない話でね。できれば、聞き耳のない場所で頼みたい要件があるんだ」
「……要件ですか? それに人に聞かれちゃいけないっていうのは」
怪訝な表情を浮かべる鋼一郎だが、仙道は続けた。
「そうだな、第八資料庫がいいだろう。ここに時間をメモしておくから、訪ねてほしい」
「えっ……ちょっ! 仙道さん、待ってくれよ!」
そう言ったが遅かった。仙道は最後の楽しみに残していた海老天をヒョイと放り込んで、席を立ってしまう。
向かいのテーブルには紙ナプキンの上に即席で書かれたメモだけが残されていた。
◇◇◇
メモには「深夜零時・第一資料庫」とあった。恐らく、食堂で第八資料庫と口にしたのはワザとなのだろう。
彼が頼みたい要件とはそれほど機密性が高いのだろうか?
それほどまでに機密性が高いのなら、なぜ他の隊員でなく自分に声がかかるのか?
肝心な要件とやらを聞かなければ、いくらでも邪推ができてしまう。鋼一郎は疑念を抱えたまま、資料室の前に立つ。
第一資料庫に保管されている妖怪の資料ファイルは、低危険度かつ駆除が完了した古いものばかり。すべての妖怪の情報を記録したデータベースも導入された今、わざわざ紙の資料を確認し直そうとする隊員も滅多にいない。基地内で密談をするのに、これほど適した場所もないだろう。
ドアを開けたれば、ひんやりとした冷気が鋼一郎の頬を撫でた。
冷房をつけているのか。そうだとしても冷やしすぎだ。
「寒っ……これじゃあ、風邪を引いてもおかしくねぇぞ……」
資料庫の広さ自体はそれほどでもない。ただ室内の電球は最近交換をしていないようで、いくつかが切れたままになっていた。おまけに資料ファイルがぎっしりと詰まった棚が所狭しと並べられているせいで、部屋の全容を伺うことも難しい。
「ふふっ、またしてもお前さんに待たされるとはな」
棚の影から声がした。
だが、声の高さも口調も明らかに仙道のものではない。ヒョイと現れたシルエットは小さく、そして鋼一郎の予想だにしていない人物だった。
「お前……確か、墓参りで会った!」
「なんじゃ? お前さんは、もうワシのことを忘れてしまったのか?」
いや、そういうわけではない。年寄り口調で話す変人白髪少女、幸村(ゆきむら)白江(しろえ)。自分の顔に冷水をぶっかけてくれたヤツを、なによりあんな顔をした少女をそう簡単に忘れるわけもない。
「……いや、さすがにお前みたいな変なヤツ、簡単に忘れられねぇよ」
聞きたいのはそうじゃない。
ここは祓刃基地内の倉庫。一般人の立ち入りは当然禁止なわけだ。そもそもこんな時間に基地の敷地内で、部外者である白江がいること自体もおかしい。
「なんで、お前がこんなところに居るんだ。基地内は関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「そんなのワシが関係者だからに決まっておるじゃないか」
「嘘つけ。お前みたいなチビが関係者なわけないだろ」
「むぅ、失礼な! ワシはアレじゃ、えっーと、なんて言ったか……そう! 〝すれんだー〟体系という奴じゃ!」
スレンダーというには身長が足りないのではないだろうか。彼女のそれは類稀なるツルペタボディだ。
「というか、お前はこんなところで何をしてるんだよ? ことと場合によっては不法侵入じゃ済まされねぇぞ」
「もう、よい。それについては、お前さんの上に聞け」
そう言って彼女が差し示した背後では、仙道が扉を閉めていた。
「あぁ。彼女は私が招いたのさ」
これで部屋の中にいるのは三人だけ。妙な空気にはむず痒さのような緊張を覚えてしまう。
「部外者を基地内に入れるなんて、ちょっと勝手が過ぎません? それともまさか、この間の代表取締役みたいに、コイツも祓刃のお偉い様でしたなんて言いませんよね?」
鋼一郎の発言は深い意図のない、単なるたられば話の類だった。
しかし仙道はそれとなく気まずそうに鋼一郎から目を逸らす。
「……実はその、まさかなんだ。……彼女は奈切社長に次いで、祓刃への資金的な援助を施してくれる幸村財閥の一人娘。つまり私たちから見た彼女はスポンサーの親族ということになる」
「……は?」
「お前さんや。ワシにあんまり舐め腐った態度をとっていると後が怖いぞ。ワシの機嫌一つで、お前さんのクビの一つや二つ」
「はぁ!? んな理不尽があってたまるかよ!?」
あんぐりと大口を開けて驚愕の表情を浮かべる鋼一郎。その顔がよほど面白かったのか、白江はケラケラと笑いを零す。
「クビというのは冗談じゃ。やはりお前さんは揶揄(からか)いがいがあるわい」
こっちは全然笑えない冗談だ。
鋼一郎は先日に知り合った奈切コーポレーション代表取締役のことを思い出す。自ら現場視察に訪れる精神性は尊敬するが、彼もなかなかの変人であった記憶している。
祓刃のスポンサーは変人でなければならない規則でもあるのだろうか?
「ごほん!」
仙道が咳払いで、場の空気を改める。
「克堂隊員は幸村令嬢に対する言葉遣いを改めるように努めろ。なんたって君に頼みたい要件は数日間に渡る彼女の護衛なんだからな」
護衛?
鋼一郎の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。確かに、どこかのお金持ちのお嬢様ならば、誰かに狙われる可能性というのも十分にあるのだろう。
しかし、その護衛を妖怪駆除を専門とする祓刃に持ち込むのはお門違いではないだろうか。
「えーっと……そういう案件って専属のSP(警護人)だとか、警察に持ち込むべきなんじゃ」
「無論、そんなことワシとて承知の上じゃ。その〝えすぴー〟だったか? それで済むならワシだってそうしてるさ」
その口振りだと、まるで祓刃でなければ手に負えないような案件にも聞こえる。
ますます困惑する鋼一郎を見かねて、仙道が口を開いた。
「君も知っての通り、妖怪の個体の中には妖気エネルギーを用いて『妖術』を操ることのできるものがいる」
「……そうですが、それがなにか?」
「幸村令嬢は少々厄介な妖怪に付きまとわれていてね。自らの妖気エネルギーを付与し、マーキングすることで標的の位置を捕捉し続ける妖術が使えるんだ」
「ほれ、この通り……いつのまにやら、こんな趣味の悪い刺青モドキが入っていたわい」
彼女が襟元を緩め、首元から鎖骨辺りを晒しだす。
その肌に刻み込まれたのは、赤黒い文様だ。一見したそれは、爛れたケロイドのようにも見える。入れ墨モドキというのも頷けた。
「発動した妖術を長期にわたって維持し続けられる妖怪というのは、さらに珍しい。攻撃系の妖術にしろ状態系の妖術にしろ、並みの妖怪ではその継続時間に制限がある。それらを踏まえ、彼女を付け狙っている妖怪の想定される危険度は、大百足以上。無論、そんなヤツを野放しにはできない」
「そこでワシから提案させてもらったんじゃ。仙道とはちょっとした顔なじみだからの。敢えてワシを餌にして、その妖怪をおびき出してやろうと。そこで腕の立つ隊員として、お前さんを紹介してもらったんじゃよ。〝びーゆー〟じゃったか? お主は相当に目が良いんじゃろ?」
つまり、自分の役割は囮作戦における保険というわけか。
つきまといやストーカーといった類の悪趣味な事件というのは、総じて後味の悪い結末が多い。しかも犯人は人間でなく、話の通じない妖怪ときた。
たしかに、これならば最低限の筋は通ってくる。だが、それでも結局のところ、最低限に過ぎない。
「やっぱり、分からない点の方が多いな。囮役のリスクだって大きいし、こうやってコソコソと作戦会議をする理由もわからない。そこまで危険な妖怪に付きまとわれてるのなら祓刃の総力を挙げて、お前の護衛と妖怪の駆除に当たった方が、」
「だから、それができたらそうしてるんじゃよ。ワシにも事情があると察せんか? それに、事を内密に進めれば、お前にも恩恵があるぞ」
「恩恵? そんなもんがどこに、」
「その点に関しては私から捕捉させてもらおう。克堂隊員。君は高危険度の妖怪と遭遇する度、百千隊員を殺した妖怪を知らないか、問いかけているそうだな?」
仙道の指摘に鋼一郎は口籠る。
「えっと……今はそれも関係ないでしょう」
「あぁ、直接は関係していない。だが幸村令嬢を狙う妖怪が情報を握っていたと仮定してだ。祓刃が総力を挙げた殲滅作戦を展開すれば、その妖怪に手がかりを訊ねている余裕もないだろう」
「要はコイツの護衛を請け負えば、俺の探してるクソ野郎の手がかりが得られるかもしれないと?」
眦を細めた鋼一郎へ、仙道は静かに頷きで答えた。
「必要な手配と、責任はすべて私が負おう」
「ワシはお前さんに護ってもらいたい。お前さんにとっても悪い話ではない。それを踏まえて問おう。この幸村白江の護衛役を受けてはくれぬか?」
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