凶弾と化けの皮

予想外と銃口

・ 二〇二八年 七月二十五日 午後八時七分 

・ 東京都 柄沢市(からさわし)・ホテル・グランドからさわ


 昨今、巷ではちょっとした宿泊や小旅行のブームが起こっているらしい。都内での妖怪出現率が低下し、外出禁止令が緩和され、ここぞとばかりに観光業界が客寄せを行った結果である。


 多くの宿泊施設には、奈切コーポレーションの監修した対妖怪仕様の地下シェルターが設置されている。これによって安全面が確立しているのも、ブームの要因の一つだろう。


 そんなブームについて「休暇のほとんどを基地内の訓練場か隊員寮で過ごす俺には関係ない」と、鋼一郎は割り切っていた。だから、こんな形で高級ホテルに訪れることになるとは。


 ここ、『ホテル・グランドからさわ』は自分の知る限り、この辺りで最も豪勢な二十階建ての宿泊施設だ。


 吹き抜けになったエントランスの中央には、抽象的な何かを象ったオブジェクトが設置されており、脇にはお洒落なカフェスペースまで充実している。ホテルマンの対応も丁寧かつ迅速で、チェックインにもさほど時間を取られなかった。


 さすが、高級ホテル。不満の声なんて一つも出ないのだろう。


 だが当の鋼一郎は眉間に皺を寄せ、仏頂面のままエレベーターが下りてくるのを待っていた。その隣には白江も一緒に並んでいる。


「このホテルに滞在し、囮役である幸村令嬢を護衛しつつ、現れた妖怪の駆除にあたる」それが持ち掛けられた要望の具体的な概要だった。


「……のう、今更じゃが」


 白江が鋼一郎の袖を引く。二人の姿は傍から見れば、年の離れた兄妹にでも見えるのだろう。しかし、当の二人の間を流れる空気は妙にピリついていた。


「……んだよ?」


「いや、今更ながらに、無茶ばかりを言ったワシの護衛役なんかをお前さんはよく受ける気になってくれたものだと思ってな」


「いや、ほんとに今更だな」


 昨日の一件。鋼一郎には、まだいくつか納得しきれない点がある。


 白江が言う「事情」とは何なのか? そもそもマーキングまで施した妖怪は、なぜ執拗に彼女を狙うのか?


 当人である白江はそれを自覚しているだろうし、仙道もそれを知っているような様子だが、自分にだけ故意に情報を伏せているのだ。片や自分の上官、片やどこかのお嬢様。二人が自分より強い立場であること明白だが、頼みごとを持ち掛けたにしては、あまりにフェアでないようにも感じた。


 それでも不満を敢えて声に出さず、護衛役を請け負ったのにも、当然ながら理由がある。


「半分は仙道指揮も言ってたように、桃(もも)教官を殺した妖怪の手がかりを探すためだ。もし、お前を付け狙う妖怪が何か情報を持っているのなら、駆除する前に喋ってもらわなきゃならねぇんだよ」



 祓刃の駆除活動によって、危険度の高い妖怪は数を減らしつつある。それは無論喜ばしいことだが、百千桃を殺した妖怪への手がかりが消されていくのともと同じだ。大きなリスクを背負ってでも、高危険度の妖怪と接触できるチャンスが欲しい。


 それが鋼一郎の本音でもあった。


「打算的じゃの」


「悪いかよ? 俺だって必死なんだ」


「それで? 半分と言ったからには、もう半分の理由も当然あるのじゃろう?」


 もう半分の理由。それもまたシンプルなものだ。


「俺が祓刃隊員だから。妖怪に狙われている奴がいれば助ける。それ以上でも、それ以下でもねぇよ……というか、お前の方こそ怖くないのかよ? 囮役なんて役回り」


 マーキングの妖術について。鋼一郎の見解は以下の通りである。


 確かに発動した妖術を長期間にわたって維持できる妖怪は珍しい。しかし、『妖術』である以上は源になる妖気エネルギーを消費するはず。その妖怪は内包する妖気エネルギーの総量がすこぶる多いからこそ、出来る芸当なのだろう。


 ならば理論上、白江に付与されたマーキングにも期限がある。妖気エネルギーが切れて、マーキングを解除されるまで、立て籠もってしまえば安全が確証されてしまうのだ。


「どんな妖怪でも、流石に正面から祓刃の基地には突っ込んでこないと思うんだ。だから、やっぱり今からでも厳重に警備してもらった方が」


「同じことを二度も言わすな。ワシにはワシの事情があるんじゃよ。それにワシが自ら囮役を買って出なければ、その妖怪も野放しのままじゃろう?」


「それはそうなんだけどよ……」


 あまりに毅然と返されるせいで、鋼一郎の方が答えに迷ってしまった。


 白江の言う通り、立て籠もってしまえば彼女の身の安全は保障される代わりに、彼女を付け狙う妖怪は最後まで姿を現さないかもしれない。その後に改めてマーキングを施し彼女を狙う可能性や、他の第三者が標的に移り変わる可能性だって拭いきれない。


 原因を根っこから潰せるのなら。それが最善であることもまた事実だ。


 マーキングにも期限があるのなら、襲撃しやすい状況を作り出すことで故意的に誘い出すこともできるはず。


 囮作戦である以上、白江を人通りのない路地にほっぽり出せばいい話にも思えるかもしれない。しかし夜道で白江を襲わせては、近隣の住宅街にも被害が出る。


 逆に事前から近隣住民の避難を行っては囮作戦を気取られるかもしれない。近隣に祓刃の関連施設がある場合も同様に警戒を強め、山中など露骨に襲いやすい場所ではかえって罠だと気取られる可能性も考慮しなければならない。


 重要なのは塩梅だ。「妖怪対策の専門家ではない白江が個人的に不適切な対策とった」と見せかける必要がある。


 その観点から護衛を一人連れてホテルに閉じ籠るというのは妙案だと思う。囮作戦であることを気取られないのはもちろんのこと、ホテル内に対妖怪シェルターが設置されているおかげで、人的被害も最小限に抑えることが出来る。


 懸念点はホテルのスタッフや宿泊客が囮作戦のことを知らないことだ。結果的に一般人を巻き込んでしまうことに関して、鋼一郎は納得できたわけじゃない。


 だが、万事都合よく進む作戦という方が稀なもの。妖怪を確認次第、自分がなるべくホテルから引き離すような立ち回りが求められた。


「そうなると、あとでルートを確認。それから、近隣の監視カメラの映像も何とか手持ちの端末で確認できるように仙道司令に掛け合って、」


 ブツブツと、思考を巡らす鋼一郎。


 その横でエレベーターが下りてくるまでの暇を持て余したのか、また白江がその袖を強く引っ張った。


「ところで、お前さんよ」


「今考え中なんだが」


 そんなことは知らんと言わんばかりに、白江は話を切り出した。


「それにしても、ここはワシの想像以上に華やかな場所じゃのう」


「そうか? こんくらいのホテル、金持ちのお嬢様ならいくらでも来る機会がありそうだけど」


「いや。少々、華々しすぎるのではないか?〝ほてる〟とやらはまぐわいの場なのだろう?」


「ブッッ!」


 鋼一郎は思わず噴き出した。このガキは、一体何を言っているんだ。


 白江は心底不思議そうな顔で首を捻る。以前より変人だとは思っていたが、どうやら持っている知識にも誤りというか、偏りのようなものがあるらしい。


 鋼一郎は彼女の頭を軽く小突いた。


「痛っ……! な、何をするのじゃ!」


「ばーか。それはラブでエッチなホテルのことだ。んでもって、ここは普通の宿泊ホテルだっつーの!」


「む? そうなのか。……ということは、ここはまぐわいの場ではないわけだ。それなら安心だな! ワシの艶やかさに充てられればお前さんもタダではすまいないだろうし!」


「お前のどこにそんな艶やかさがあるかよ。……つか、まぐわいとか、そういう言い方をするな。……お前、ほんとにお嬢様なんだろうな?」


 綱一郎は若干、顔を赤らめながらに指摘する。


「ほほう? しかし、この気品に溢れたオーラを見ても尚、ワシがお前さんのような公僕ろりこん野郎と同等に見えるか? 立場をわきまえろ、この下郎の性犯罪者め!」


「誰が公僕ロリコン野郎だ! 誰が下郎の性犯罪者だ! 誰がっ!」


 コイツはなぜ、頑なに自分をソッチ側の人間に仕立て上げようとするのか。


 ふと辺りを見渡せば、刺すようなな視線が鋼一郎に集まっていた。傍から見ればホテルのエントランスで歳の離れた兄妹二人が大声で「まぐわい」だの「ロリコン」などと連呼しているようにみえるのだ。


 当然、疑いの視線を浴びせられる。夏休みシーズンで親子連れの宿泊客なんて、両親が子供の目と耳を塞ぎ「見ちゃいけません」と言い聞かせていた。


「あー……これはその……そ、そう! コイツはただの妹で! そういう関係とかは一切ありませんから!」


「それ、逆に怪しまれんか?」


「……誰のせいだと思ってんだ」


 必死の弁解も虚しく。疑いの視線に耐えきれなくなった鋼一郎は、白江を抱えてホテルの階段を上がることにした。


 事前に手配してもらったのは、十七階の角部屋だ。いくら鍛えている足腰と言っても、これを走って登り切るのはなかなかにキツイ。


 息も絶え絶えになりながら渡されたカギでドアを開ければ、白江が我一番にベットに飛び込んだ。両の手を広げて、プールにでも飛び込むような勢いである。


「おぉーすごい! すごくふかふかじゃよ! 見ろ! 飛び跳ねたりもできるぞ!」


「はぁ……はぁ……ちょっと、待て! ……部屋に妙なものがないかとか、色々調べなきゃ、なんねーんだぞ! あと、飛び跳ねるな!」


 というか、別にさっきの話を蒸し返すようないとはない訳だが、いくら護衛とは言え男女が個室に二人っきりというのはどうなんだろうか?


 それも相手は、祓刃のスポンサーともいえるような財閥の一つ。愛娘というくらいなのだから、それ相応に大事にされているようなものだが。


「お前さん、難しい顔をして……さてはいやらしいことを!」


「まだ、そのネタで引っ張るか! ほら降りろ、んでもって、じっとしてろ!」


 白江の襟首をヒョイと掴み上げ、ベッドから降ろす。コイツには、自分が狙われている危機感がちゃんとあるのだろうか。


「……つか、この部屋も少し寒くねぇか」


「そうか? ワシにはこのぐらいが心地よいのじゃが」


「いや、絶対寒いだろ。お前に風邪なんて引かれたら、護衛にも支障が出る」


 今更ながらに、室内がやけに肌寒いことに気づいた。ホテル側からのサービスで冷房を事前に入れてくれるのはありがたいが、ちょっと温度設定が低すぎる。


「抱きしめて、温めてくれてもいいんじゃよ」


「馬鹿いえ。ったく、リモコンはどこだよ?」


「むっー!」


 四つん這いになってエアコンのリモコンを探す鋼一郎。


 頬を膨らませた白江はその脇の小洒落た椅子に腰を下ろした。足を組み交わし、テレビまでつけ始める始末である。


 ただ、やはり彼女について一番気になるのは、以前に見せたあの顔だ。


 能面をそのまま張り付けたような無表情。白い髪とは対照的に、瞳はどこまでも暗く沈む。夜闇をそのまま映した氷塊のように、真っ黒な瞳──やはり、普段の彼女とかけ離れたあの表情は鋼一郎の頭から離れない。


 はじめは妖怪に付きまとわれていたからこそ、あんな顔をしたんだとも仮説を立てた。


 しかし彼女はこの囮作戦に積極的かつ協力的だ。そこから恐怖のような後ろ向きな感情は感じられない。


 だからこそ、彼女がどうしてあんな顔を見せたのか。


「その〝りもこん〟とやらはそれじゃないか?」


「あ……あぁ、そうだな」


 リモコンは定位置の壁に掛かったままになっていた。無駄な手間を取ってしまったようだ。


 鋼一郎が手を伸ばした時、示し合わせたようなタイミングで部屋に備え付けのインターフォンが鳴る。


「ルームサービスです」


「ルームサービス? そんなの、頼んでねーぞ」


 警戒心を抱きつつ、モニター画面をのぞき込めばホテルマンの男が映し出されていた。


「ご予約にあった夕食をお持ちしました」


「夕食? 仙道指揮が気を利かせて部屋と一緒に予約でもしてたのか……」


 半信半疑ながらに鋼一郎はドアを開ける。だが、それが不味かった。モニター画面に映ったのが人間だったからこそ、油断してしまったのだ。


 開いたドアの向こうで鋼一郎を待っていたのは、ぽっかりと口を開けた銃口である。



「────は?」


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