由依と恋心
「えっと、その……落ち着きましたでしょうか、由依さん?」
「はい。それから変にさんを付けないでください」
「あっ、はい」
数分近く鋼一郎の胸板に顔をうずめ泣きじゃくった由依も、ようやくいつもの調子を取り戻した。ツナギの裾で目元を拭い、その隣へと小さく腰掛ける。
「さっきのアレは私であって、私ではない何かです。ですから忘れるように」
「お、おう……けど泣くほどのことじゃないだろ。ほら、俺はこうして元気に生きてるんだから!」
あっけらかんと笑う鋼一郎をキツく睨む。「そういう問題ではない」と言葉にせずとも目が強く訴えていた。
「……すいません」
「わかればいいんです。それでどうして、こんなに怪我をしたのですか?」
「えっと、そうだな……まずは脇腹を撃たれて、」
鋼一郎はここまでの一部始終をすべて明かした。途中までは黙して聞いていた由依だが、後半になるにつれてエスカレートしていく内容に我慢できなかったのだろう。
「頭がおかしんじゃないですか⁉ 撃たれた後に十七階から飛び降りて、ロクな手当てもしないまま凱機を操縦。しかも、そのまま病院にも行かず逃亡生活をしたうえ、九尾とも交戦しただなんて……なんで、そんな無茶をして生きてるんですかっ!」
「はは……やっぱり怒られるよな」
「笑い事じゃありませんから。それだけの期間、B・Uで脳と瞳も酷使し続けたってことでもあるんですよ! 失明や更なる障害誘発のリスクについては前にも忠告しましたよねッ!」
その指摘はひどく適切なものだ。
誰にも明かさずにいたがここ数日、瞳の周りが熱を持って痛み、出血することも珍しくなくなっていた。
以前された忠告が頭の中に蘇る。本来、脳の制限とは自身の身体を守るためにあるものだ。それを無視したB・Uの乱用がなんのリスクも伴わないなんてことはありえないのだ。
この動体視力は酷使できて、あと三回。いや、短期間に二回も使えば瞳が潰れる。最悪の場合は脳が焼き切れたっておかしくはない。
由依の勘が異様に鋭いことだって、自分が一番よく分かっているつもりだ。訓練校時代、どれだけ喧嘩をしたことを上手く隠したって、最後には彼女にバレてしまった。恐らくは、瞳の状態がバレてしまうのも時間の問題であろう。
「なぁ、それより」
だからこそ、鋼一郎はワザと話題を逸らそうとする。
「お前こそ、どうしてこんなとこに居るんだよ? 仙道さんに誘われたからって、自分からリスクを負う必要はなかったろ?」
「そんなの……そんなの君が心配だったからに決まっているでしょう」
由依はそう言って、すぐに顔を逸らした。何故かその顔は耳の先まで真っ赤になっている。
「私、訓練校で会ったばかりの頃は克堂くんのことすごく嫌いだったんですよ」
「ちょっと待て。なんか、いきなり、傷つくこと言われたんだが⁉」
「いいから聞いてください。だってそうでしょう? 皆が憧れていた奇才・百千桃が連れてきた少年が見るからに傷だらけのヤンキーなんですよ。怖いですし、真面目にやっていた私からしたら君のような輩が評価されるのも面白くなかったんです」
あまりに唐突のカミングアウトに鋼一郎は困惑する。確かに訓練校に入った当初は自分が奇異の目で見られていた自覚はあるが、まさか一番仲の良かった由依にまでそう思われていたとは、
「だけど……君を見ていると、すぐに間違っているのは私の方だって気付かされました」
由依はずっと、陰ながら鋼一郎の姿を見ていた。
放課後、一人グラウンドを走り続ける姿を。
複雑な凱機の操縦をいち早く覚えようとマニュアルを読み込み、シミュレーターに篭る姿を。
初めは心配だったから、目を離せずにいた。しかし、気づくと鋼一郎を目で追うようになってしまい、次第にその感情も紅く色づいて……
「私に凱機の操縦適性がないと分かった時。ショックで訓練校を去ろうとも思いました。けど、どうしても心配だったんですよ。君は訓練校でも無茶ばかりで、いつも桃教官を困らせてましたからね。それに私は君の頑張る姿が好きだったから────だから少しでも君を支えられる、私もメカニックの道を選びました」
それは今だって同じだ。仙道に真実を明かされあと、彼から改めて共に戦う覚悟があるかを問われた。それでも彼女の中には迷う理由なんて一つたりともない。
「何故、私がここにいるか? そんなことは愚問です。君用の凱機を調整できるのも私くらいのものですし、なにより君を一人にしてはいけないことも今回で証明されました。ですから。役に立てなかったとしても、せめて君と一緒に戦わせてください」
由依の瞳にはまたじんわりと涙が滲んでいた。
その手でツナギの袖をきゅっと掴んで、懇願する。
「お願いですから。もう私を一人ぼっちにさせないでください、克堂くん」
「ゆ、由依……なんか、お前らしくないぞ」
「誤魔化さないで。早く答えてください」
心臓やけにうるさかった。一度深く息を吸い、ざわつく心を落ち着かせる。
こんなことを言うのはガラでもないし、増して由依に面と向かって言うのは妙な気恥しさもある。それでも決意は固めた。
「わかった。お前を一人なんかにさせたりしないさ。だって、俺たちは『親友』だもんな!」
「…………は?」
由依の表情が露骨に曇った。腹の底から嘆息を吐きだして、モンキーレンチを構える。
「ちょ……ちょっと待て! 俺なんか間違えたか……!?」
「大間違えです。けど、まぁ、筋トレと桃教官のことしか頭にないダメ男に期待した私もバカでしたね」
「とりあえず、手にしたソレを下ろせよ! 今殴られたら、絶対に死ぬから! 傷が開いて、そのまま死ぬから!」
「なら、いっそ死ねばいいんですよ。それに君は私が心配している最中、なにやら可愛らしい雪女さんとねんごろになっていたそうじゃないですか」
鋼一郎の鼻先をレンチが掠めた。
「ば、馬鹿! 俺とアイツはそういう関係じゃなくてだな!」
「言い訳は無用ですッ!」
まずい。このままでは今度こそ本気で殺されるッ!
反射的に頭を守り、防御姿勢をとった鋼一郎。だが、その頭にレンチが振り下ろされることはなかった。恐る恐る目を開けたなら、由依は何かを差し出していた。
「えっと……これは……?」
「……ムラサメの起動キーですよ。……君にはまだまだ言いたいことがありますが、ひとま目先の問題を片付けてからにしましょう。無茶をするなというのが無理なら、せめて怪我をしないで、生きて帰ってくると約束してください」
「それくらいの約束なら、」
「本当ですね? 両目がつぶれたなんてのも、ナシですからね」
やはり誤魔化すのには無理があったのか。由依は鋼一郎の瞳のことも見抜いて、それでも、あえて気づかぬふりをしてくれたのだろう。
「訓練校からの付き合いなんですよ」と彼女は冗談めかしく表情を緩めた。
受け取ったのは、小さなエンジンキーのはず。それなのにキーは異様に重く感じられた。
このキーには由依の願いと、ムラサメを組み上げたエンジニアや妖怪たち。自分をここまで導くきっかけとなった仙道や、一人孤独に戦い続けた白江。この場に居合わせた全員の覚悟が乗せられているのだろう。
受け取ったキーを強く握りしめる。
「あぁ、約束するよ。俺は必ず、帰ってくるよ」
◇◇◇
以下の二つのニュースが届いたのは、その約束から一日もしないことだった。
仙道和樹・夏樹由依・並びにその他数十名の祓刃隊員が一斉指名手配。
これから合流する予定だった妖怪たちが、一つ目の凱機の襲撃に会い全滅。
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