新たなる刃
崩壊と打開策
二〇三八年 八月四日 午後十時
東京都 柄沢市・指定暴力団「北沢組」本宅
〈クサナギ〉を積載したトレーラーは、古風な作りの日本家屋前に停車する。
訓練校のカリキュラムの一環で免許こそ取得していたが、実際に公道を走るのは久々だった。事故などの面倒ごとを起こそうものなら、指名手配の自分は一発でアウトだ。そう考えると、ハンドルを握る手も妙に強張る。
「……ここはどうだ?」
ここは指定暴力団・北沢組の所有する邸宅だ。スモーク張りの車窓を数センチだけ開けて鋼一郎は、隣に座った白江へと問いかける。
来るべき決戦の日までひたすらに姿を隠し続けた白江に対して、九尾の少女・犬飼梨乃は常のその拠点を転々としている。彼女と彼女のコロニー傘下に属する妖怪たちは、一定期間で新たな拠点に移ることで、追手を掻い潜ってきたのだ。
「微細だが、血の匂いがするの。乾きようからして、ざっと数週前と言ったところか」
「じゃあ、ここがそうなんだな」
この邸宅こそが、梨乃の仕切るコロニーなのだ。
きっと中の人間を皆殺しにして、この場所を奪い取ったのだろう。四方は塀に囲まれ、監視の目も届かない。
加えて暴力団の調査は警察の職務だ。
「祓刃はサツと仲が悪いからな……隠れ場所までよく考えてやがるよ。ほんと」
「梨乃は昔から、とにかく頭が切れたからのう。けれど、そういう輩は思考にある程度の〝せおりー〟があるのじゃ」
曰く。梨乃はコロニーとする場所を選ぶのに幾つか見つかりにくい条件を選ぶそうだ。そして、彼女の親友だった白江なら、その条件や基準を知っている。
だから、その条件に合致する施設を仙道が絞り込むことで、短期間でも彼女のコロニー候補地を割り出すことに成功したのだった。
鋼一郎はプロテクターを忍ばせた迷彩服に身を包み、トレーラーを降りる。
その手には〈クサナギ〉の軌道キーと、遠隔操縦の端末も握りしめてだ。
「分かっておるな、鋼一郎。ワシらは今から犬飼梨乃と〝交渉〟をするのじゃ」
「あぁ。三柱の縁者・九尾とその傘下の妖怪総勢三百人。全員、俺たちの仲間になってもらうぜ!」
◇◇◇
白江が梨乃に共闘を持ち掛ける決心を固めたのは、〈クサナギ〉の整備基地で起こった殴り合いがきっかけだった──
仙道が集めていた協力者のほとんどが妖怪対策法違反として捕縛され、一週間後に集合する予定だった妖怪たちも全滅してしまう。そんな絶望的なニュースが二つ同時に舞い込んだのだ。
あまりにドンピシャすぎるタイミングかつ、白江たちの内情を知らなければ起こらなかったはずの事態の発生には、どうしたって「内通者」の存在をチラついてしまうことだろう。
そして、互いが疑心暗鬼になれば、遂には不満が爆発する。
一昨日にはメカニックの一人と妖怪の一人が口論の末、殴り合いの大喧嘩にまで発展したのだった。
その場は仙道と白江が辛うじて収めたものの、やはり人間と妖怪の関係には危うい脆さがあることを痛感させられた。人妖入り乱れる総勢九十名の連合軍は決戦を前にして、すでに崩壊を始めていたのだ。
それでも何とか戦力だけでも立て直すためには、犬飼梨乃とその傘下の妖怪たちを仲間に加えるほかない。
だから、鋼一郎たちは仲間内でも、さらにごく一部だけで今回の「交渉作戦」を急遽立案したのだった。意地でも梨乃たち一派を味方に引き込むために。
◇◇◇
「……待った」
分厚い邸宅の門を叩こうとした鋼一郎を、白江が呼び止めた。
「やはり、これは先に明かしておくべきだと思っての……梨乃がお前さんら人間に異様な敵意を向け、頑なに人間と団結することを良しとしなかった理由じゃ」
そうして彼女はしとしとと語り出す。
梨乃にはかつて妖怪の恋人がいたという。一本の角を持つ精悍な鬼の青年だったそうだ。
だが、その恋人は祓刃の前進となる陰陽師一団によって抹殺された。それもかなり惨たらしい方法でだ。
「生きたまま皮を剥され、挙句に首を晒しものにされたのじゃ。怒り狂った梨乃はその陰陽師どもを一族ごと根絶やしにしたさ。それでも彼女の焦がれた者は帰ってこん。ヤツの傘下にいる妖怪たちだってそうじゃよ。縁者や恋人、あるいは師とするものを惨たらしく奈切の息がかかった連中に殺されたのだ。そう簡単に分別が付くわけもない」
鋼一郎も妖怪に両親と恩師を殺された人間だ。だから、彼女らの憤りが痛いほどよくわかってしまった。
「……そうか」
「正直、理屈ではないのじゃよ。ワシの様に割り切って物事を考える方が少数派じゃ」
返した白江の言葉にも哀愁のようなものこびりついている。それでも二人は立ち止まるわけにはいかなかった。
数回ノックすれば、丸坊主の男が門を開けた。
スーツ姿に派手なアクセサリー類と、いかにもそのスジの人間といった風貌だが、彼も白江たちと同じ、人間に極めて近い姿をした妖怪なのだろう。
「久方ぶりじゃの、見上げ入道」
「おぉ、これは幸村のお嬢! ということは、遂に犬飼の姐さんに玉を返してくれる気になったんですね!」
大入道の態度は想いの他、歓迎的なものだった。
それはまるで、数年ぶりに帰郷した親戚の娘を出迎えるように。
だが、その朗らかな表情も隣に並ぶ鋼一郎を見た途端、一気に強張る。
「お嬢……俺の見間違いだったら申し訳ありませんが、お隣の方は人間じゃないでしょうか?」
「指名手配中の元祓刃隊員、克堂鋼一郎。ワシの愉快なお友達の一人じゃ」
「そうでしたか。それじゃあ、お嬢は姐さんに詫びを入れに来たわけじゃないんですね?」
「三柱の玉の相続権は、梨乃とワシの両方にあるはずじゃ。詫びもクソもないじゃろう。それにワシが考えを改めないことは、アイツが一番わかっておるはずじゃ」
鋼一郎の角度からは、白江の手の中に鋭利な氷片を忍ばせているのが見えた。
交渉と言いながらも、多少は強引にならねば圧し通れないことを、彼女は弁えているようだ。
「梨乃を出してはくれぬか? ワシは彼女に用がある」
「なりませんね。……お隣の人間をぶっ殺す許可を頂けるなら、話は別ですが」
差し向けられた鋭い殺気に鋼一郎もまた拳を構える。睨み合う三者の間に緊迫した空気が流れた。
だが、その空気も彼女の一言でかき消される。
「──止めろッ! お前ら!」
荒々しく蹴り破られた玄関の向こうには、灯りのない廊下が続いていた。その闇の中、金色をした彼女の双眸と、ゆらゆらと揺らめく尻尾はよく目立つ。
「なぁ、白江。アンタはそう簡単に死ぬようなタマじゃないとは思ってけど、まさかノコノコ訪ねてくるなんてね」
羽織っているのは男物の着物は、恐らくこの邸宅の持ち主のものだったのだろう。不敵な笑みを浮かべ、両腕を組み交わした犬飼梨乃がそこに立っていた。
「せっかくなんだ、あがって行けよ。話なら中のほうが良いだろうしさ」
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