軽薄な言葉と血まみれのリング

 梨乃に招き通されたのは地下へと続く階段だった。


 暴力団のアジトには証拠を隠すための部屋や、身柄を避わすための脱出通路があるというのはよく聞く話だが、まさか本当にそんなものがあるとは思わなかった。


 しかも、不自然に設置された書類棚の裏とは。ベタ過ぎるにも程があるんじゃないだろうか。


「さぁ、どうぞ。客間はこっちだ」


「嘘こけ、客間ならさっき見えたぞ。まぁ、入ってはやるが、後ろから押したりするのはナシじゃからな」


「アタシがそんなつまらない真似をしないことくらい、アンタが一番よく分かってるんじゃないの? それに人間の方。アンタ、あの克堂鋼一郎でしょ。初めて会ったときは気づかなかったけど、街で手配書を見つけたときはピンと来たんだ」


 梨乃が視線をキロりとこちらに向けた。夜間ほど妖怪たちは活発になる。その例に漏れず、彼女の瞳の金色が不気味な輝きを帯びている。


「アンタ、一級なんだってね。それも、そんなに若いのに一級になるなんて───アタシらの仲間をここ数年でどれだけ殺してきたのか?」


 彼女は唇が触れ合いそうな距離まで顔を近づけた。そして鋼一郎の耳元で小さく囁く。


「なら、溺死や転落死なんてヌルい死に方で許されるわけもないよな?」


 ありったけの憎悪と怒りを乗せた言の葉。向けられたそれに全身が総毛立つ一方で、だんだんと鋼一郎にも彼女という妖怪の全体像が掴めてきた。


 ここまで露骨に向ける敵意は、裏を返してしまえば同族や仲間を思うが故のもの。それをはっきりと言葉にして行動できる彼女は詰まるところ、どうしようもなく「優しい」のだろう。


 それは甘いと言い換えたって良い。


 思い返してみれば、三柱の玉を盗んだ白江にさえ何度も忠告を繰り返していた。


 それに彼女がただ狂っただけの復讐鬼なら、白江も決戦前に残された希少な時間を使ってまで接触しないはず。



 彼女とは交渉ができると、鋼一郎もそれを確信した。


「確かに、俺はたくさんの妖怪を殺してきた。もしかしたら、お前たちの仲間や友人だって殺したかもしれない。だから、全部にケリがついたなら償う方法を探すつもりだ」


「その反応……なるほどね。白江から全部聞いたんだ。けど、それにしてはちょっと都合がよすぎない? アンタは自分がやってきたことを償えるの? 増してアンタ自身は妖怪を許せるの?」


 本当はいるんでしょ? どうしても許せない妖怪の一人や二人?


 そう問いかける彼女の質問に対し、鋼一郎の頭にちらつく妖怪たちがいるのも事実だった。もしも桃教官を殺した妖怪を見つけられたなら、許せるかどうかはわからない。


 吐いた言葉がいかに軽薄だったかを思い知る。ただ、それでも──


「確かに都合にいい言い分だった。ただ、それでも俺は戦う。護りたいと思える奴らがいて、そいつらが俺を必要とする限り。俺は戦い続けてやる」


「ふん。その気概がどこまで持つか、楽しみだよ」


 ◇◇◇


 階段には照明の類こそあれど、妖怪たちは夜目が効くために明かりはない。鋼一郎にとっては前をゆく白江の背だけが頼りだった。


「やけに深いな」


 もう階段を五十段近くは降りたんじゃないだろうか。それなのに、まるで底が見えない。


 隠し部屋にしろ、脱出路にしろここまで深く掘る必要はないはずだ。


「少なくとも、この下でお茶が出てきて話し合いなんてことはなさそうだな」


「アタシらは仲良くお茶をする関係でもないだろ? ただ、これ以上ないほど、分かりやすくはあると思うけど」


 やがて階段の果てへと辿り着く。


 その向こうに見えるのは目が眩むほどにギラついた照明と、すり鉢状に切り抜かれた空間であった。すり鉢の周りには座席が設けられ、彼女の傘下に属する妖怪たちがぐるりとあたりを取り囲む。


「これは、まさか……⁉」


 それはまるで、古代ローマのコロッセウムを思わせるような空間だった。

天井からは四方に向けて四枚のモニターが吊るされ、中央には巨大なリングが設置されている。


「ここの元住人が残したもんさ。シノギだか何だかは知らないけどさ、連中は違法で入手した凱機で拉致した妖怪を殺すショーを運営してやがったんだよ。───まぁ、連中の何人かにはアタシのトレーニングに付き合ってもらったけどさ。プロレス? ボクシング? アタシってさ、そういうの結構好きだからさ。荒っぽく同じことをやらさて貰ったよ」


 梨乃は犬歯を剥き出しに、狂暴な笑みを向ける。それでも笑顔で噛み潰せなかった怒りが、そこには滲みだしていた。


「……」


 ここからでも床に赤黒い血だまりの跡があるのが見えた。その血だまりが妖怪のものなのか、はたまた人間のものかを伺い知ることはできない。


 そして、向こう側には鋼一郎たちの乗ってきたトレーラーが運び込まれている。もともと邸宅の裏手には、違法で入手した凱機を搬入するための大型エレベーターか何かが備えられていたのだろう。


「なぁ、白江。話があるなんて言っておきながら、アレを持ってきてるってことは少なからず力づくってのを想定してたんだろ?」


「ワシが考えを改めないように、お前さんも安い言葉を聞くわけがないと思ったからの。あくまで最終手段。使いたくはなかったが……」


「そんな気遣い無用だね。そもそも奈切とかいうバケモノを生み出したのは、アタシらの親世代の不始末なんだ。B・Uだか凱機だか知らないが、人間と組まずとも妖怪の問題はな、妖怪だけでケリをつけるべきなんだよッ!」


 それが梨乃の考えであるというのなら、ここに用意されたリングの役割もこれ以上ないほどわかりやすい。


「どうせ話し合いをしたって、アタシらは平行線なんだ。───ならいっそ、ここで決着をつけよう」


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