凱妖機と彼女の世界

《行けるか、鋼一郎?》


 凱妖機を操るには、専用のヘッドセットで顔の半分以上を覆うことになる。そのために、白江の声もヘッドセット何に仕込まれたスピーカーから再生された。


「あぁ、そっちも任せたぜ」


 鋼一郎は、機体のシートに全体重を預ける。そして、二対の操縦桿を握りしめ、キックペダルを蹴り込んだ。


「電圧ヨシ。油圧ヨシ。アヤカシドライブエンジン回転数・正常。関節機構ロック解除。OSプログラム並びにB・Uアシスト起動。万事オールグリーン──アクティベート・スタンバイッ!」


〈クサナギ〉は、その上体をゆっくりと起こしてみせる。


 トレーラーの荷台に格納された大太刀型ブレード夜霧・改とそれを収める鞘を腰部に備え、リングへと登場した。


「見慣れない凱機じゃねぇか」


「凱機じゃねぇよ、こいつは凱妖機だ」


「ふん、大層なお名前だこと……それが、コケ脅しじゃないってことを祈ってるぞ」


 反対側のリングには、同じように梨乃が上がっていた。大きく肩を回し、全身をほぐしているのだろう。


 もともとは逃げ回る妖怪を凱機で追い立てるためのステージだ。十メートル前後の〈クサナギ〉が武器を振るうのに十分な広さはある。


 そして、観客席の妖怪から飛び交うのは罵声に怒号。上品な声を探すほうが難しかった。


「一応聞いておくが、今からでも俺たちと話し合うつもりはないのか?」


「何度も同じことを言せるなよ。それにこの方がシンプルでいいだろ? お前が勝てば話を聞いてやる。アタシが勝てば、白江には三柱の玉を、お前には命を差し出してもらう」


「いや……あきらかに俺だけ条件がフェアじゃないような」


「ハッ、ここは私の仕切るコロニーだぜ。それとも、お前ひとりでここにいる総勢三二六人と殺し合ってみるか?」


 譲歩があるだけありがたいってことか。


 敵意を剥き出しに彼女が構える。尻尾の二本を突き出し、咆哮を上げた。


「紅蓮操術・幕ッ!」


「──抜刀ッ!」


〈クサナギ〉も、降り掛かる焔を大太刀で払らってみせた。有り余る馬力で抜き放たれた白聖鋼の刃は、照明器に照らされて、蒼白の輝きを四方八方に捲き散らす。


 だが、既に梨乃は、その小さな体を〈クサナギ〉の股下へと滑り込ませていた。以前と同様に派手な炎は、目隠しに過ぎないらしい。


 彼女が得意とするのは、不可視からの一撃必殺。凱機のカメラが持つ視野と構造的な脆さを知り尽くし、幾度となく積み重ねた戦闘経験がそんな彼女の強さを成立させていた。


 体内に循環する妖気エネルギーを惜しげもなく使い、拳の硬化と脚力強化の妖術を併用。そのままに拳を突き上げる。


「機体を変えようが、カメラの死角に大差はねぇだろ!」


 しかし、梨乃の拳は空を振り切った。


〈クサナギ〉が器用なバックステップとブースターの逆噴射で後方に飛び退いたのだ。着地の衝撃をダンパーが噛み殺し、機体は難なく安定姿勢を保ってみせる。


「見えてんだよ」


「……は? ……何言ってんだよッ!」


 大太刀を構える〈クサナギ〉の死角へ向けて、梨乃の健脚はさらに地面を強く蹴りつける。足場の方に亀裂が走るほどの踏み込みで、彼女はさらに加速した。


 きっと彼女は「今度こそ飛び込めた!」と確信したことだろう。だが、それと同時に彼女は、自分を捉える鋭い視線を感じた筈だ。


「だから、テメェの動きは全部見えてんだよッ!」


〈クサナギ〉が、腰部から空っぽになったブレードの鞘を引き抜く。


 夜霧改とその鞘を手にしたスタイルは。鋼一郎の得意とする二刀流そのものだ。新たに積載されたエンジンから機体へ供給される馬力も、この二本を振り回すのに十分過ぎる。


「吹っ飛べッ!」


 横薙ぎに振るった鞘が、弾丸のように迫る梨乃を弾き返してみせた!


 ◇◇◇


 なぜ祓刃では、妖怪が活性化する夜間に、多くの殲滅作戦を実施してきたのか? ──それは、夜間に活性化するのが妖怪だけではないからだ。


 現在の時刻は二三時に差し掛かろうとしていた。そして、妖怪である梨乃の動きのキレが増したのと同様に、鋼一郎の動体視力もまた捉えられる範囲が広がっていた。


 B・Uを患った人間もまた妖怪と同様に、夜間になればその異常性に磨きが掛かるのだ。


 睡魔や日光などが要因だと、様々な仮説が提唱されてきたが、詳しいメカニズムは未だ明確にされていない。だが、それでもB・Uを発症した人間の脳は、午後八時から午前二時までの六時間、もう一段階そのリミッターが外れ、異質な才能をより凶暴な「異能」へと昇華させる。


 加えて、〈クサナギ〉は「B・U専用機」。


 翡翠色をしたツインアイの捕捉範囲は拡張され、AF機能による映像の補正や、自動のピント調整機能を生かして一Ⅾ捉えたターゲットはもう二度と見逃さない。


 さらにそうやって捉えられた映像は、ヘッドセットを介して、鋼一郎の瞳へとダイレクトでに映写される。B・U専用凱妖機〈クサナギ〉とは、言うなれば鋼一郎の動体視力を極限まで生かすための機体でもあった。


 閉ざされたコックピットの中。


 ふと、鋼一郎は言葉を零す。


「これが、あの人の見ていた世界なんだな」


 B・Uの際限がもう一段外れる時間帯。そして強化されたカメラアイと、専用のヘッドセットによるアシスト。


 これらの要因が重なり、集中を積み重ねた鋼一郎の見える景色にも、明確な変化が現れる。


 その目に映るのは、いつもの安っぽいスローモーションにあらず。加速した梨乃でさえも、静止して見える。


 全てが止まって見えるこの世界は、複数の要因が重なり合い、擬似的に再現された「百千咲楽の見ている世界」だった。

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