約束と裏切り

 氷河造術・奥義・千年氷はあくまでも白江が、地面に叩きつけられていたであろうムラサメを受け止めるために築いた氷塊に過ぎない。故に用途を果たした氷塊は脆く、ゆっくりと溶け落ちていくだろう。


 着地時に多少の衝撃はあれど、吸振機の伸縮で十分に対応できる。


「白江。悪いな、無茶をさせて……」


 機体の出力は明らかに低下する。


 そして後部座席に座る白江はぐったりと項垂れて動かなくなった。この一瞬であまりにも多くの妖気エネルギーを彼女の体から消耗させてしまったせいだ。


「クッソ……!」


 鋼一郎のなかに苛立ちにも似た歯痒さが募る。だが奇しくも、この一手は戦況の空気を変える要因になり得た。


 白江の出力は奈切の想定さえも超えていたのだ。


「マジですか……なんですか、今の馬鹿でかい氷は?」


 奈切が軽やかに着地する。しかし、その表情から薄ら笑いは消えている。あからさまに警戒心を強めたのだ。


 千年氷楼閣とは、その名が示す通り白江が千年にわたり秘めてきた最後の切り札だった。


 奈切にとって、もっとも警戒しなければならないのは、間違いなく自らを幽閉することのできる三柱の玉だ。その使用条件は標的がある程度の負傷を追っていること。奈切は不滅であって、無欠ではない。一度深手を負ってしまえば、再生が完了するまで数秒間は三柱の玉の発動条件下に捕らわれてしまうリスクが付きまとう。


 よって次点に奈切は自分に大きな損傷を与えることのできる大技と、それに繋がる拘束技を異様なまでに警戒するのだ。


 氷河造術の奥義はその後者に該当した。白江の体内を循環する妖気エネルギーの相性が、奈切の開発した妖術の一つである氷河造術とあまりに噛み合ってしまったがために、想定以上の威力を叩き出したのであろう。


 リスクも膨れ上がるが、その用途を落下からの生存策でなく、攻撃とし放っていたのなら奈切に大きなダメージを与えることだってできたはずだ。


「恐らくは今のは妖気エネルギーを全部使っちゃう、下手したら命さえ削るような大技なんでしょうね。驚いちゃいましたけど、連発もできないはず。インターバルは二十……いや、十分程度でしょうか?」


 奈切はそれを簡単に見透かした。


「……ッ!」


「アタリなんですね? それなら────」


 これ以上、鋼一郎たちを生かす理由を奈切は持ち合わせていない。その全身に外殻を纏わせ、武装する。


 単なる外殻が全身を保護するだけじゃない。幾重にも外殻同士が折り重なり、より堅牢な鎧として奈切を庇護するのだ。そうして作り上げられるは十メートル前後の巨大なシルエット。


 目には目を。歯には歯を。妖怪には妖怪を。


 ムラサメが奈切と渡り合うのに白聖鋼ではなく妖術を選んだように、奈切もまたムラサメを壊すためにムラサメの姿を模す。


「過剰造形術・骸妖鬼・ソラナキ式」


 重ねられた外殻の一枚一枚には生物らしく不揃いさがあるというのに、機械的に揃えられた左右のバランスは均一であった。その背に太陽を模したリング状を備えた様は禍々しくあると同時に神々しくもあるだろう。


 様々な要素を張り合わせたその歪な姿こそ奈切の短期決戦形態であった。


「僕はこの十分間であなた方を殺します」


 さながらツギハギのモンタージュのような外殻で全身を覆い、奈切は宣誓する。

 殺す──珍しくもない脅し文句だ。だが、何の悪ふざけもなく奈切が向けるそれでは感じる圧がまるで違っていた。


 作り上げたソラナキ式のなかで奈切はまっすぐに標的を見据える。そして瞬きの間で互いの距離を席巻した。


「ちょっと慣らしがいるんですよね、コレッ!」


 意図的ではなく、ほとんど本能と恐怖から回避を強いられた。思考の余地もなく自らの警笛に従って飛び退くも、横一文字に振るわれた手刀は容易に肩部の加速装置を切り裂いて見せた。


「四割といったところでしょうか」


 ソラナキ式の凶刃はさらにムラサメを掠めた。過去にこれほどまで十分という時間を長く感じたことがあっただろうか。奈切は本気だ。本気で鏖殺しようと、あの姿を選んだのであろう。


 対してムラサメは利き腕を失っている。それどころか白江が気絶しているために、機体内に僅かに残された妖気エネルギーでしかこの鋼の身体を動かすことができない。


「クソッ!」


 加えて、落下したのは大通りのド真ん中だった。幸いにも人通りはない。しかし、遮蔽物の一つもないこの路上では時間を稼ぐこともできない。


 最悪だという点だけが類似したこの状況。それは鋼一郎の中で、嫌でも二年前のあの夜を想起させた。


 はっきり言って、奈切を相手に十分間を稼ぐのは絶望的だ。


「……条件も相手も、何もかもが最悪だな」 


 無意識のうちに苦笑が漏れていた。


 だが、それが鋼一郎にとって操縦桿を手放す理由になるだろうか? 増して、白江との約束を違える理由になるだろうか?


「──誰かに護られるより、俺は誰かを護るようになりたいんだ」


 一つ。たった一つだけ、この状況を覆せるだけのプランが鋼一郎にはあった。


 そのために鋼一郎はヘッドセットを取り外し、自ら閉じた右目に指を添える。


「……悪い、由依。……お前との約束守れそうがねぇや」


 きっと、それを圧し潰す感覚はいつまでも指先に残り続けるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る