過去と禍故

 これが、俗にいう走馬灯というヤツなのだろうか?


 見覚えのあるコックピットの中。


 見覚えのある街中。


 そして、鋼一郎の駆る機体の前には、見覚えのありすぎる凱機の背があった。


 第二世代モデルの〈アカツキ〉。通信能力を強化するための大型化されたアンテナと、ブースターユニットを、脚部にも二基ずつ増設したモデルを駆るのは、まさしく百千咲楽、その人であった。


《──総員退避ッッ!》


 通信機越しに焦った彼女の声が聞こえる。鋼一郎の知る限り、彼女がここまで動揺を露にしたのは一度だけだ。


 そしてモニタ上に映し出されたのは、妖怪の亡骸を突き破って現れた二対の剛腕たち。


《聞こえなかった? 総員撤退って言ったの! 分かったらすぐに動くッ!》


 そうだ。



 これは忘れもしないあの夜の記憶だ。

《こんっの!》


 咲楽の〈アカツキ〉は、迫る剛腕を握り占めた刃で逸らしてみせた。


 彼女もまた鋼一郎が備えたものと極めて近い症状のB・Uを患っている。その人並外れた動体視力と、経験によって研磨された実力があれば初撃をいなすことも、そう難しいことではないのだろう。


 実際、集中を研ぎ澄ませた彼女の瞳には、あらゆる速さでさえ止まって見えたという。


《その程度で、私をやれると思ってるのッ!》


 小さな火花をチリチリと散らしながらも、彼女は迫る剛腕を弾き飛ばす。


 だが、軌道を逸らされた両腕はすぐに狙いを変えた。感覚器官らしいものをもたずとも、その狙いは精密で。無慈悲に振るわれた拳は、そのまま力任せに、同伴していた二機のアカツキたちを圧し潰す。


 黒煙と炎が上がる機体から最後に届いたのは、一瞬で途切れた断末魔だ。モニターからは訓練生二人を示す反応があっけなく消えた。


「……嘘だろ」


 二人を圧し潰した腕はまるで埃でも払うかのように、掌同士を擦り合わせてみせた。


《……鋼一郎訓練生。もう三度目は言わなくても分かるわね?》


 通信機越しに咲楽が静かに語り掛ける。それでも、彼女の口調には、わなわなと湧き上がる怒りが滲んでいた。


《私がコイツを抑えるから、君はすぐにこの場から離れるんだッ!》


「……けっ、けど、咲楽教官が! そうだ、お、俺も援護を!」


《いらない。今は君が足手まといなんだ》


 彼女はその言葉で、鋼一郎を突き放す。


 一言「すまない」とだけ言い残し、濡羽色の髪をした彼女の顔が画面から消えた。ブツりと音を立て、彼女との通信が途切れる。


 ◇◇◇


「……さ、やろうか」


 飛び出した咲楽の〈アカツキ〉が、質量の塊であろうその腕と幾度もなくぶつかった。


 多分この腕は妖怪の本体ではないのだろう。こうやってぶつかり合っても、生物らしさがまるで感じられないのだから。


 遠隔で操っているのか? それとも、


「本体から切り離した腕を、あの鬼の体内に忍ばせてたんだろうね。それなら、あの鬼は私たちをおびき出す生餌ってとこだろうけど、」


〝アイツ〟にうまく騙されたんだと、彼女は内心で苦笑する。


 B・Uが齎す動体視力の咲楽と対峙するは、強固な外殻で覆われた謎の腕。


 両者が両用に、致命傷を与えられるだけの術を持たずにいた。それでも蓄積したダメージとB・Uの負荷を背負う分、咲楽の方がジワジワと削られていく。


 長期戦になれば、不利になるのは必然。ならば装甲を削られながらも、〈アカツキ〉は短期決戦に打って出た。


「ッッ!」

 計四基のブースターからなる推力を一点に絞り込み、突っ込む。外殻に刃が通らないのならいっそ勢いに乗って、柄頭を叩きつけってやった。


 鼓膜を噛むのは、衝突音だ。ただ、反動でマニピュレータが砕けちり、その指先からは刃がこぼれ落ちる。


 渾身の打突でさえ、この外殻を傷つけることはできないのだろうか。


「まっ、想定通りなんだけどッ」


 キックペダルを蹴り込む彼女はその瞳に獰猛さを宿していた。黒い相貌はモニター画面の反射で、静かに輝いてみせる。


 祓刃所属、百千咲楽・一級戦闘員。


 たった一年間の貢献度と、妖怪討伐数でともに桁外れの数字を叩き出し、特別指定の高危険度妖怪さえも単機で駆逐する。そんな経歴を重ね続け、遂には最年少で一級の座に上り詰めた彼女を、多くの隊員は「異才・百千」と畏怖するようになっていた。


 B・U障害によって百千と同等の動体視力を持ち合わせる少年少女を集め、第二、第三の「異才」を育てるという馬鹿げたプロジェクトが本気で実施され、その教官に彼女自身が抜擢されるほど、当時の祓刃内で咲楽の強さは、神格化されてきたのだ。


 隊員たちは口々に噂する。


「次に特級になるのは百千咲楽」だとか。


「最年少一級戦闘員の次は最年少特級戦闘員が生まれる」だとか。


 それでも、多くの隊員は気づこうともしない。異才が異才たる由縁を。


 咲楽は確かに天性の操縦センスとB・Uの両方を持ち合わせたイレギュラーだったのかもしれない。


 だが、彼女を彼女たらしめるのは、機体を捨てることさえもいとわず、無茶を無茶とも思わない大胆な性格だったのだ。


「──つーかまえたッ!」


 アカツキの全体重をかけて、その場に掴んだ腕を二本まとめて引きずり倒す。


 現状で致命傷を与えられるような装備をアカツキは持ち合わせていない。そもそも機体のスペック自体が、単機でこの妖怪を駆除できる域に達していないのだから。


「それならさ、」


 ならばせめて、機体共々この腕を葬り去る。


 怒髪天なんて、教え子を二人奪われた時点で突かれていた。


 このまま体制で各部関節をロック。モニター画面に六桁からなる自爆コードを打ち込む。


 六十秒──モニター画面に表示されたこのカウントが、パイロットが脱出するために与えられる猶予だ。十分な余裕があることを確認し、彼女は緊急脱出用のレバーを引き抜こうとした。


「……は?」


 それでもレバーは動かない。


 整備不良か……いや出撃前の点検は他の誰でもない咲楽自身が行っていたはず。それなのに何かがギアとギアの間に噛んでしまったように、脱出機構が作動しないのだ。


 密閉された鉄の箱の中。カウントだけが刻々と迫る。


「あっー……これはちょーっとマズいかも……」


 彼女はそう力なく苦笑した。


 ◇◇◇


 爆炎が全てを包み込んだ。轟々と燃え盛る炎を前に鋼一郎は文字通り、その様を目に焼き付けることしかできなかった。


 単に凱機が大破することのよって爆散するのと、故意的にエンジンを逆回転させることで自爆を引き起こすのでは、その規模も威力も違う。


 鋼一郎の全身がガクガクと震え、目の前の光景を現実として受け入れることが出来なかった。


 命令を無視してでも、彼女の救援に入っていれば。


 いや、違う! 


 今をそれを考えるのでなく、燃え盛る炎の中から彼女を救い出す方法を。


「あぁ…………ああ! ああ…………!!」


 鋼一郎は明らかに錯乱していた。情報が混濁し、正常な判断なんて当の昔に押し流されているのだろう。


 或いは、錯乱したフリをして、「百千咲楽の死」を受け入れまいと足掻いていたのだろう。


 正気が引きずり回され、削られていく。


「あああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 鋼一郎の言葉にならない咆哮は、炎の中へと溶け落ちた。

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