赤と翡翠

「…………なんだ、あれ」


 鋼一郎が見開いた瞳の先で、凱機がゆっくりこちらへと足を進める。


 特務仕様のカスタム機だろうか? 見たことのないモデルだった。


 祓刃隊員の乗機である〈ムラクモ〉が装甲版を着込んだ鎧武者を模しているのだとしたら、あの凱機は真逆。必要最低限の装甲だけを身に纏い、機動性に特化させたであろう姿は、黒装束を纏う忍者のような印象を与えるものだ。


 その頭部に据えられた単眼のカメラアイだけが、ジっー、と闇の中で不気味にギラついている。


 仙道が救援に送ってくれた凱機ではないかとも一瞬期待した。だが、そんな期待も容易く裏切られてしまうだろう。


「ふっ……ふ、伏せろォぉぉ!!」


 エントランス中に響き渡るよう、腹の底から声を絞り出した。


 鋼一郎の目には見えていたのだ。──謎の凱機が腰にラックしたアサルトライフルに手をかけるまでの挙動が、酷く緩慢なスローモーションで。


 そして、次の瞬間には鳴り止まぬ轟音が鋼一郎の声を掻き消してゆく。ガラス張りの正面玄関も容易く破られ、弾丸の豪雨がエントランスへと降り注いだ。


「ぐっ……」


 一時的な静寂。恐らくは装填された弾を撃ち尽くしたのだろう。


 むせ返るような硝煙の匂いに呼吸が詰まった。それでも頭上に降り積もった瓦礫をはらいつつ、頭を上げたなら、そこには度し難い光景が広がっていた。


 鋼一郎は思わず、そこから眼を逸らす。


 豪勢なホテルのエントランスが、一瞬で戦場と見まがうような廃墟に様変わりしたからだ。


「…………野郎ッ……何してくれてんだよ」


 フツフツとした怒りで頭に血が上っているのがわかる。


 それでも、この惨状を作り出した凱機はゆっくりとした動作で、荒れ果てたエントランスへ踏み込んできた。単眼のカメラアイをギョロギョロと動かし、何かを探っているようなしぐさを見せる。


「……なんじゃというのだ」


 白江もゆっくりと体を起こし、この光景に息を飲み込んだ。言葉が出ないといった様子だ。


「白江、作戦変更だ」


 鋼一郎がボソりと呟く。


「お前は今から、このホテルの地下シェルターに逃げこめ。お前を狙う刺客が誰かわからない以上、なるべく人の多いところで固まっておくんだ。絶対に一人にはなるな。それから、仙道指揮や救急隊にも連絡を取れ」


「……わ、わかったが、お前さんはどうするのじゃ」


「決まってるだろ。俺はあの一つ目野郎を止めるんだ」


 あの凱機が何なのか? 操縦者に目的があるのか? そんなことは、この際どうだっていい。


 エントランスに居合わせたのは、鋼一郎たちだけではない。何の関係もない民間人にも、野郎はためらいなく撃ちやがったのだ。


「……許せるかよ、こんなふざけた真似をされてッ!」


 白江を狙う妖怪や第三勢力に加えて、謎の凱機まで現れた。この「混沌」と称するのが相応しい状況で鋼一郎を突き動かすのは己のポリシーか。


 ──誰かに護られるより、誰かを護れるようになれ。


 その言葉が、かつての恩師の声で脳内に反芻する。


「無茶だ! いくらお前さんの目が特別だろうと、人の身体じゃ、」


「無茶じゃねぇ! 策はある!」


 白江の静止も聞かず、鋼一郎は弾かれた弾丸ように駆けだした。


 弾痕だらけになった大理石の足場はとても走りやすいとはとても言えなかった。舞い上がった粉塵のせいで視界も悪い。それでも鋼一郎は忙しなく、瞳を動かしあるものを探す。


「これだ!」


 それはホテル内の景観を乱さぬよう、エントランスの端の方へひっそりと設置されていた。先ほどの銃撃のせいで置き場から転がり落ちていたが、機能性に問題はない。


 鋼一郎は転がり落ちた〝消火器〟を拾い上げ、それをめいいっぱいの力でぶん投げた。


「おい、一つ目野郎ッ! こっちを向けよッ!」


 ハンマー投げの要領で背骨を軸に。ありったけの遠心力と加速をつけた消火器は、カメラアイに直撃。噴き出した霧状の消火剤が凱機の視界を白く塗り潰す!


 だが、これであの凱機のパイロットから視界を奪えたとは限らない。


 メカニックの由依曰く、凱機にはカメラアイのみならず、集音センサーや熱センサーなど、全身に散りばめた情報収集機関が人間でいう五感のように外部の情報を観測し続けるそうだ。


 そもそもカメラアイを覆う消火剤だって、拭ってしまえばいいだけのこと。


「……はっ、十分さ」


 それで、鋼一郎は額から血を流したままの顔に不敵な笑みが浮かべる。ニッと口の端を釣り上げ、鋭く尖った犬歯を剝き出しにした。


 一瞬。そう、一瞬が欲しかったのだ。凱機の注意を僅か数秒でも、逸らせれば──


「来やがれ、〈ムラクモッ〉!」


 掌に忍ばせたスイッチを弾いたのならば、舞い上がった粉塵に紛れて、翡翠色をしたツインアイが煌めいた。

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