背水と妖術
コックピットハッチがゆっくりと閉じていく。
ただでさえ狭いコックピットに二人がゆったりとくつろげるスペースなんてない。そうなれば鋼一郎は、負傷した白江の小さな体を抱き込むようにして、シートに腰を下ろすしかなかった。
妖怪を殺すための凱機に、まさか妖怪を乗せるなんて。こんな状況でさえなければ、すぐにでも彼女をコックピットから蹴り出してやりたい気分だった。
「お前さん。どうやら今日のワシらは運が良いらしい」
それが凱機に乗せられた白江の第一声だ。
「は……? 俺は、お前に騙されたせいで指名手配されて、挙句に九尾に殺されかけたんだぞ。これのどこが運って言えるんだよ?」
「ワシらの潜伏先に最初の気付いたのが、梨乃の方だったからじゃよ。不幸中の幸いじゃ。それにアイツは昔から話を人の話を聞かぬからのう。もし、お前さんが階級を訊ねられた時、バカ正直に答えてしまっていたら」
「答えていたら……なんだよ?」
白江は親指を立て、自らの首を掻っ切るようなジェスチャーをしてみせた。
「お前さんは若いからの。とても一級には見えなかったのじゃろう」
「……それはただ舐められただけじゃねーか」
エンジンの振動がやけに傷口へと響いた。計器へと表示される電圧や油圧は、そのどれも正常な数値を大きく下回っている。
「クソッ……せめて、ここから逃げ切るまででいいんだ。最後まで踏ん張ってくれよ」
今の自分と〈ムラクモ〉の状態で九尾とやりあうのは、どう考えたって不利だ。
妖怪を前に、逃げ出すのは鋼一郎のポリシーに反する。それでも、梨乃の狙いが白江である以上、速やかにこの場を離れるのが最良の選択に思えた。
だが──
「逃がすわけねーだろ」
〈ムラクモ〉の前。ビリビリに破られたシャッターの前には、九本の尻尾をゆらゆらと揺らす梨乃が立ちはだかる。
「さぁ、仕切り直しと行こうじゃねーか!」
そして、彼女は尻尾の内の二本を、こちらへと向けた。
「紅蓮操術・幕(ぐれんそうじゅつ・まく)!」
先端から噴き出すは赫灼の業火。妖気エネルギーを炎へと変換した妖術が、辺りを容易く覆いつくした。
「……あぁ、なるほどな」
炎の勢いは、装甲を貫くほどじゃない。言うなればノーダメージでもあった。
ただ、百戦錬磨の九尾がそれを見誤るとも思えなかった。恐らくは目隠しといったところか。
すかさず鋼一郎は、炎で遮られたモニター画面から、センサーへと視線をずらす。燃え滾る炎の陰に、身を潜めた彼女を見つけ出すために。
だが、それでも。鋼一郎の異常な動体視力をもってしても。
「遅いってのッ!」
彼女が不敵に笑ったならば、次の瞬間には、コックピットを衝撃が襲った。
「ぐっ……!」
画面の端がほくそ笑む梨乃を一瞬捉えるも、彼女はすぐにまた炎の陰へ飛び込んでしまう。
「なぁ? ここの辺りだと、アタシが見えねぇんだろ?」
それに〈ムラクモ〉のツインアイにだって、捉えることのできる画角には限界がある。
「まさか、テメェ……こっちのカメラの死角まで把握してやがるのかッ!」
頼みの綱であるセンサー系もまた、炎の熱のせいで制度が一段と落ちている。
それでも、間髪を入れることもなく。〈ムラクモ〉の背後へと回り込んだ梨乃は、振り抜いた拳を叩き込んだ。
「なぁ、ガキ。アタシは、これでも結構いろいろ考える方でさ。分厚い鉄のカラクリに護られた人間をどうやったら殺せるか。中途半端な妖術じゃ、装甲に阻まれて終わりだ。──だからな、アタシはアンタらのカラクリを一つ、盗むことにしたんだ」
〈ムラクモ〉の背後から脇腹の装甲に器用にぶら下がった彼女は、そのまま腹部へと飛び移った。
ここも胸部とエンジンを覆う装甲によって影の出来る死角であった。
「盗んだ後はバラバラにした。アタシだって無駄に長生きをしてるわけじゃないからな。部品を見れば、なんとなく機能を理解できる。そうしたら、あとは弱点がどうなってるかを調べるだけなんだよッ!」
獰猛な笑みを浮かべた梨乃の拳が、ムラクモの腹部へと鋭く食い込んだ。
「なぁ? ここが、脆いんだよなッ!」
装甲板は彼女の拳型に凹み、警告の甲高いアラートは悲痛を訴えているようだ。
その気迫と勢いには気圧され、鋼一郎は、まるで
自分の腹をえぐり抜かれたような錯覚を覚えてしまう。
「大丈夫か、お前さん⁉」
「ッ……まだ、だァ!」
妖怪の心配なんていらない。歯の奥を食いしばり、膝から崩れるのを辛うじて堪えた。ブースターユニットを吹かせて、転倒しかけた体制を無理にでも起き上がらせる。
その言葉通り、梨乃の立ち回りは、凱機の弱点を知り尽くしているからこそ出来るものだ。
きっと彼女は、祓刃隊員と交戦になるたび、さらなる試行錯誤も繰り返してきたのだろう。無数の隊員と凱機の残骸の上に立つ「隊員殺シ」は、弱点や機体特性に至るまで。〈ムラクモ〉のすべてを知っている。
一方でこちらは彼女のことをデータベース上の断片的な情報でしか知りえない。
両者の持つ情報のアドバンテージ差は明確であろう。
「だったらよ、」
ムラクモは足元の機材を薙ぎ払いながら、素早く後退。その背をピタリと工場の壁に沿わせ、張り付いた。
「これなら、後ろの死角には回り込めないだろ」
「へぇ……無茶だけど、バカってわけじゃないんだな」
背水の陣。〈ムラクモ〉は己の腰から夜霧(よぎり)のブレードを二振り、ゆっくりと抜き放つ。
これで梨乃の攻撃方向は前面だけに絞れたはず。鋼一郎の動体視力は相手を視界で捉えていなければ、その本領を発揮できない。だから、自ら逃げ場を捨ててまで、壁際に追いつめられてやったのだ。
呼吸は乱れながらも、瞳を鋭く細めモニター越しの梨乃を睨む。今度は絶対に彼女の姿を外さない。見えてさえいれば、少なくと一方的に嬲られることはないはずだ。
「おい、雪女」
鋼一郎は瞳で梨乃を捉えながらも、白江へ質問を投げる。
「九尾とは随分親しげだったよな。だったら、アイツの弱点とかも知ってるんじゃないか?」
「……残念じゃが、梨乃に弱点らしい弱点はない」
「同じ妖怪同士だからって、アイツを庇うなよ。九尾の得意とする妖術や戦闘のクセ、この際だ。俺が知らない情報ならなんでもいい」
語彙を強め、問い詰めた。
だが、代わって白江に応えたのは、余裕綽々の梨乃である。
「白江の言うとおりさ。アタシには弱点らしい弱点なんてねぇんだよ」
彼女は得意げに口の端を釣り上げる。
「妖怪にはそれぞれの一族によって体内を巡る妖気にも性質や波長に若干の差異があってだな。その差異と、生まれ持ってのセンスが『使える妖術』と『使えない妖術』を分けるんだ。白江なんて、その典型。雪女に巡る妖気は氷を生成することに特化している一方で、他はまるでダメ。ほかにも例を挙げるなら、そうだな」
「おい……その言い方だと、まるで自分はそうじゃないって言いたいみたいだな」
「だから、アタシはそう言いたいんだよ。アタシの一族、九尾の身体を流れる妖気は変幻自在。性質も波長も思うがままに変化するからこそ、不得意なんて存在しない。あとは練度を上げるだけで、どんな妖術も自由自在に操ることが出来るんだ」
それ故に。どんな状況にもあらゆる妖術で対応できる特別指定・高危険度妖怪『九尾』には弱点が存在しない
彼女がすべての妖術を操るのなら、妖怪にとって共通の弱点である白聖鋼の弾丸でさえも、白江がやってみせたように氷の妖術で止めてしまえばいいだけの話だ。
「まぁ、実際に見せた方がわかりやすいか」
梨乃が九本の尻尾、すべてを前に突き出した。
「変化術(へんげじゅつ)・九々(くく)八十一式(はちじゅういちしき)──」
その突き出した尻尾の一本一本がそれぞれ、異なる武器へと変容していく。
一番・刀
二番・長槍
三番・大槌
四番・金棒
五番・砲筒。
六番・斧
七番・かぎ爪
八番・クナイ
九番・鎖
計九つ。ズラリと物騒な面々が彼女の前に揃えられた。
「ただ尻尾を武器に変化させたわけじゃない。アタシの武器の一本一本にはそれぞれ、異なる妖術を刻み込んで、副次的な効果を付与してある。──ところで。どうしてアタシには利点の一つもないのに、こうやって自分の情報をべらべら喋ってると思う?」
「……なんでだよ?」
「解らせるためさ。お前ら人間じゃ、どうやってもアタシには勝てないって。せいぜい、ない頭を必死に回して考えるんだ。そのうえで己が無力さを自覚しろッ!」
梨乃の浮かべた薄い笑みに、冷淡な感情が宿る。九つの武器の中から、彼女は一際大きな存在感と重量を誇る大槌を手に取った。
「まずい⁉ お前さん、あのバカデカい金槌は、」
「馬鹿がッ! 最後の最後で油断しやがったな、九尾ッ!」
あれだけの大槌を振り切れば、梨乃にも大きな隙ができるはず。
鋼一郎は動体視力でその挙動を見切り、両のブレードで衝撃をいなそうとした。そこに反撃のチャンスが生まれるはずだだから。
「頼む、聞いてくれ!」
白江を無視して、操縦桿を握る両腕に渾身の力を込める。
「……お前もうまく利用されてるだけだってのに。……白江、アンタもそこから降りるなら今だからな。一応、三柱の玉を回収する以外にも代替案はあるんだよ」
「受け流しなんて考えるな! お前さんの目があれば、あの大振りを避けることだって」
「うるせぇよ! お前ら、揃いも揃ってッ!」
出力最大。キックペダルはベタ踏み。
互いの間合いは一瞬で詰まり、ブレードと大槌が真正面から衝突する。──そして、〈ムラクモ〉の握った夜霧〝だけ〟が呆気もなく折れられた。
「嘘だろっ……⁉ 確かに、俺はいなせたはず⁉」
まるでガラス細工を砕くように、容易く。「隊員殺シ」の九尾は、鋼一郎の信念さえも叩き折る。
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