クエスチョンと口パク

 何秒? それとも、何分?


 一体どれだけの間、気絶していただろうか? 


「うっ…………」


 鋼一郎が意識を取り戻したのは、自分が身を潜めていた廃工場だ。こびりついた鉄臭さの正体が、ボタボタと滴る自分の鼻血だと気づくまでにそう時間はかからなかった。


 きっと顔を殴られたのだろう。その反動で工場の壁際にまで、弾かれたらしい。


 痛む頭蓋を抑えて、思考を回そうと努めた。


 白江は? あの梨乃とかいう九尾は? 


 最悪なのは二人をまとめて逃がしてしまうことだ。


 取り落としたグロックを拾い上げて、鋼一郎は機材の裏へと身を潜める。そして、息を殺しながら、物陰から倉庫全体を見渡した。


「っ……」


 二人はまだ倉庫に留まっているようだ。だが、何故だか白江の髪が、べっとりと似合わない「黒」で濡れていた。


 はじめは彼女が頭から黒いペンキを被ったのだろうと認識した。しかし、それが乾いて赤黒くなった血液だと再認識するまでは、そう時間がかからなかった。


「なっ……何やってんだよ、アイツら⁉」


 彼女が妖怪だとしても、その出血量が夥しいものであることに変わりはなかった。


 そして、両の拳から血を滴らせた梨乃は、吐き捨てる。


「なぁ、いい加減喋る気にはなってくれよ。……アタシだって、同じ妖怪はなるべく殺したくねぇんだ」


 それでも白江は、鋼一郎に突き詰められた時と同様に、何も語ろうとしなかった。


「もう、この際だ! アンタが三柱の玉をどこに隠したかを、あたしに教えてくれるだけでも良い。それでアンタの裏切りの件も、全部水に流してやるッ!」


「ほう……あの件を本当に水に流してくれるのか? なら、そうだな……ずっと昔にワシが、お前さんの尻尾を布団代わりにしたことなんかも許して」


「こんな状況でふざけんな! 分かってんのかッ! アンタが持ち去った、あの玉さえあれば、アタシたち妖怪はもうこれ以上殺されずに済んだんだぞッ!」


「だとしても、言えぬものは言えぬのじゃ」


「そうか。……ならよッ!」


 鈍い打撃音が工場内に響く。


 梨乃が白江を殴りつけたのだ。コンクリートが剥き出しになった床へ、彼女の血痕が飛び散った。


「なぁ、白江! アンタはマジで何を企んでるんだよッ! アタシを、いや妖怪(アタシ)たちを裏切ってまで、アンタが企んでることってのは、一体なんなんだッ!」


 それでも白江は何も答えない。痛みを堪え、弱々しい呼吸を繰り返す。


 (いまなら……)


 鋼一郎は梨乃の背後の物陰へと回り込み、静かにグロックを構えた。


 殴り飛ばされた自分は、いまなら完全に梨乃の意識外に居るはずだ。それに彼女の注意は、ほとんど目の前の白江へと向けられている。


 二人がどんな関係で、どうして揉めているかなんて、自分にとっては知ったこっちゃない。それでも、今この瞬間は、これ以上ないほど絶好の不意打ちのチャンスなのだ。


 それに白聖鋼の致死性があれば、例え九尾であろうと殺すことが出来る。


(外さねぇぞ……ッ!)


 チャンスは一発。慎重に狙いを絞ろう、と瞳を細める。


 だが梨乃の背後に回るということは、それまで梨乃と向き合っていた白江の正面に立つということでもある。


 顔を上げた白江と完全に目が合ってしまった。しまった! そう思うと同時に心臓が大きく跳ね上がる。


 もしも、彼女が梨乃に自分のことを伝えてしまえば、それですべてが台無しだ。


『──────』


 白江は小さく口を開いた。


 声を発さず、唇の動きだけで何かを伝えようとしているのだ。小さく口元をすぼめ、横、縦の順で唇を動かす。


『う・つ・な』


 彼女は鋼一郎をまっすぐと見つめ、さらに口を動かす。


『た・す・け・て・く・れ』


 ふざけるなッ! 


 思わず、そう怒鳴りかけそうになった口を鋼一郎は何とか閉ざした。


(……俺が……祓刃隊員が妖怪を助けるわけがねぇだろッ!)


 白江もまた妖怪なのだ。それは絶対的な線引きであり、自分の無罪が証明された後ならば、彼女だって確実に殺処分する。


 いま梨乃が立っている位置についさっきまで立っていたのだって、他の誰でもない鋼一郎自身だ。必要であれば、自分だって同じように彼女へ暴力を振るっていただろう。


 白江はそのことを本当に理解しているのか? だとしたら、なぜこの状況で助けてもらえると思うのか? 


 もはや、疑問さえ通り越して、呆れさえ湧いてきた。


「はぁ……やっぱり、バカみたい殴るだけじゃダメみたいだな。なら、アタシも聞き方を変えることにするぜ」


 梨乃がおもむろに白江の顔へと、指を添える。


「氷を作る妖術に関して、雪女の右に出る妖怪なんていない。けど、アンタみたいに一芸に特化した妖怪は、ほかの術がどうしようもなく苦手なんだ。妖怪同士、妖気が身体を巡るのは同じでも、その波長や性質には血縁によって大きく差が出るからな」


「……なんじゃ、今更? ……そんなことくらい、ワシだって知っておるわ」


「まぁ、聞けって。アンタは他の妖怪が出来て当たり前の、妖気による治療がとことん下手だ。出来ても痛みを和らげる程度のその場しのぎ。なら、目ん玉の一つでも潰してやれば、少しは素直になると思ってね」


 梨乃の鋭い爪が、白江の真っ黒な瞳に食い込もうとする瞬間。


 鋼一郎もまた、走り出していた。手にしたグロックを梨乃の後頭部に目掛け、投げつける。


「おまえこそ、油断してるんじゃねーよ! 九尾ッ!」


「いまは取り込み中なんだけど」


 放り投げたグロックは、九本あるうちの尻尾一本で、器用に弾かれる。それでも、スタートを切った以上、鋼一郎は止まることが出来なかった。


「うぉぉぉぉぉッ!」


 走り出しりながらに、駆られるのは言語化困難の焦燥感だ。


 ──どうして俺は、アイツを助けようと走っている?


 自分にとって妖怪とは何かを白江に問われ、「殺すべき敵」であると、その意志を再確認したばかりなのに。


「妖怪を助けるわけがない」と、そう思っていたはずなのに。


 それでも身体だけは、まるで弾丸のようにまっすぐと走り出す。これはきっと、一時的な気の迷いだとわかっていてもだ。


「人間の癖にアタシに殴られても立ち上がるなんて……アンタ、相当に頑丈だねッ!」


 白江に向かって走っているのだ。


 その前には当然、梨乃が阻み立つ。


「──来い、〈ムラクモ〉ッ!」


 遠隔操縦で眠り込んでいたエンジンを呼び起こす。そして、簡易的な修繕を施された〈ムラクモ〉は損傷した右足を引きずりながらも、起き上がった。


「九尾を捕えろッ!」


 鋼一郎の命令通り、〈ムラクモ〉がその剛腕を伸ばした。



 だが、彼女も指と指の間をスルりと抜けて、避わしてみせる。


「ハッ、それで十分だよ九尾、お前がそこを退いてくれればなァ!」


「チッ……ミスったな」


 梨乃が直線状から離れた。その隙に白江へと駆け寄り、鎖を解いてやった。


「ざまぁねぇな、雪女」


「お前さん……それが助けた少女へ投げかける第一声か……?」


 薄い笑みを浮かべた彼女へ、鋼一郎は冷淡な言葉を投げ返す。


「黙ってろよ、妖怪。九尾の邪魔が入ったせいで、お前には聞くべきことを聞けてないんだ。全部を話し終えるまで、楽に死ねると思うなよ」

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