九尾と階級

 特別指定・高危険度妖怪『九尾』────以下は鋼一郎の脳内に刻まれた、祓刃のデータベースの情報である。


 九尾はその名の通り九本の尾を持つ妖怪であり、昼間は推定で十八歳前後の少女の姿を、夜間は巨大な狐の姿をそれぞれ切り替えることが確認されている。


 そして、一級以上の指揮官が立ち合いのもと殲滅作戦を実施しても尚、逃げ延びた個体は「特別指定・高危険度妖怪」として登録される。


 九尾は記録上、三回にわたり実施された殲滅作戦から逃げ延びてきた。それも単に逃げ延びただけではない。居合わせた隊員を全員惨殺することで逃げ延びたのだ。


 挙句につけられた異名は「隊員殺シ」。


 他の妖怪とは明らかに違う畏怖を集めるのが、鋼一郎たちの前に立つ妖怪だった。


「……そんなビックネームの妖怪が、朝っぱらから出てくるんじゃんねぇーよ」


「人間なんかに指図される言われはないね。それにアタシの場合、日が出てる方が何分、動きやすいんだよ」


 彼女は屈託のない様子で答えた。確かにその尻尾さえ生えていなければ、彼女の姿はただの少女だ。


 だが鋼一郎は忘れていない。九尾はその人間に酷似した容姿を利用し、幾つもの祓刃の関連施設へ早朝から堂々と侵入。内部から襲撃を繰り返しては多大な被害を出してきたのだ。


「最悪だ……」


 三日前の夜には人間の手に作られたであろう無人機と戦い、今朝は確認されている妖怪の中でもかなりの上澄みであろう九尾と対峙するとは。


「活動時間が逆だろ……」と内心で愚痴を漏らす。負傷し疲労もたまった自分にとって、九尾は明らかに分が悪い相手だ。


「……おい、雪女。……お前はアイツが助けに来てくれることが分かっていたから、ここまで余裕でいられたんだな」


 九尾の傘下には多くの妖怪が集っている。雪女も九尾を長とするコロニーに属した下っ端の一体といったところか……


 今はそんな風に思案を巡らせたところで仕方がなかった。どのみち、証人である白江は渡せない。彼女の額に突き付けていたグロックを、九尾へと向け直す。


「動くな!」そう、牽制しようとした時だった。


「逃げろ、お前さん! 今すぐにでも犬飼梨乃から逃げるのじゃ!」


 鎖に縛られたままの白江が叫ぶ。焦燥に駆られた様は、明らかに味方が現れた時の反応ではなかった。


 梨乃と呼ばれた九尾も、その眦を狂暴に細めた。金色の瞳で白江をじっと睨む。


「なんで縛られてるのかは知らないけど、まだ人間なんかと一緒にいるなんて、懲りてないんだろうね。この恥知らずの裏切り者ッ!」


「違う! ワシは裏切り者なんかじゃ、」


「じゃあ、隣にいるソイツはなんだよ? よりにもよって妖怪を殺すことしか能がないカラクリ乗りなんかと組んでまで、何をしようとしてるんだよ?」


 梨乃は反論を許さない。


「三柱の玉の所在と、その企みも全部吐いて貰うから」


 裏切り者? 三柱の玉? 次々、梨乃の口から飛び出す言葉はどれもわけのわからないものだった。


 感情と鋭い犬歯を剥きだす梨乃に対し、白江は押し黙ることが出来ない。

 

 そして困惑に駆られた鋼一郎の揺らぎを、梨乃もまた見逃そうとはしなかった。


「それから、そっちの人間。アンタはなんで油断してるのさ?」


 その健脚に身体強化の妖術を使ったのだろう。梨乃は数メートル離れた距離をものともせず、鋼一郎の懐へ飛び込んだ。


 鋼一郎の瞳もまた彼女の挙動とたなびく金髪をスローモーションで捉えた。それでもガードまでは間に合わない。


「がッッッはぁ!?」


 拳にも妖術による強化が働いていた。恐らくは筋力強化と硬化。そこに跳躍の加速が加わり、鋼一郎の腹部へと突き刺さる。


 内臓全部がプレス機でいっぺんに押しつぶされたような錯覚を覚えた。何故、腹に穴が開いていないのかの方がわからない。


「ぐっ……! げっほ! けっほ!」


「へぇ……対応こそ間に合わなかったけど、アタシの動きを目で追えるなんて。人間にしてはなかなかやるじゃん。それともアンタも例の〝びーゆー〟ってやつ?」


 血の混ざった吐しゃ物を吐き出す鋼一郎に、彼女は感心したように呟く。


「まぁ、目で追えるだけじゃ、何の役に立たないみたいだけど」


 這いつくばる鋼一郎の髪をワシ掴みに、無理やりその体を立たせた。


「アンタもカラクリ乗りなんだよな? なら階級、教えてくれよ」


「……あ? ……なんでお前なんかに……」


「決まってるだろ。カラクリ乗りの階級はアタシの仲間を殺せば殺すほど、高くなる。だからアタシはこう決めたの。階級の高いやつほど楽には殺さない。めい一杯苦しませて殺さなきゃ、死んでいった仲間にも顔向けができないんだろ」


 梨乃は屈託もない笑みを浮かべて、そう語る。これが「隊員殺シ」と呼ばれた妖怪の片鱗だと感じた。


 浮かべた表情こそ笑っている。それでも背後に潜む明確な敵意と、祓刃に対する憎悪は隠しきれていなかった。


「まぁ、けど、アンタはまだガキだからね。それじゃあ階級は四か、三。……よかったな。その程度ならアタシも、アンタを楽に殺すことにするよ」


「なっ!? 俺はガキなんかじゃ、」


 鋼一郎はそれ否定しようとした。だが凄まじい衝撃と共に、視界が暗転。そのまま意識までもが途切れた。

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