幸村白江と冷たい感触

「…………ッ」


 きつく瞳を閉ざし、指で抑えながらにジクジクとした痛みを誤魔化した。


 アンノウンには、脳天から胸元辺りまで刃が食い込んでいた。コックピットを圧し潰す寸前、ギリギリまで。今度こそエンジンは停止し、その特徴ともいえる単眼のカメラアイも見るも無残に真二つになっていた。


 さすがの鋼一郎でも、荒れていた頃の喧嘩独学だけで長物を振り回すのにはどうしたって限界がある。警察や自衛隊と同じように、祓刃にも年に一度剣道大会が催されることを感謝した。


 増して鋼一郎にブレードの扱いを叩き込んだのは、桃教官なのだ。訓練の度、何度しごかれてきたか。半ばトラウマのようでもある経験は昨日のことのように思い出せた。


 だが今はのんびりと思い出に浸っている場合でもない。


 アンノウンも第三世代の凱機ならば、コックピットの位置も同じなはず。


 大まかなアタリをつけたならムラクモはその背面へと回り込み、装甲とフレームの間に刀身を食い込ませた。

「お前がどこの誰で、何を考えてこんなふざけた真似をしたのかは知らねぇし、それを取り調べるのも俺の仕事じゃねぇ。けど、そのツラくらいは拝んでおかなきゃ割にあわないよな?」


 テコの原理を応用し、コックピットを覆う装甲板を簡単に引き剥がす。


 これでパイロットとご対面。そう思われた。


 しかし、そこにあるのは密集した機械部品だけ。人の姿なんてありはしないのだ。


「おい、おい……これは何の冗談だよ」


 六メートル代の凱機にコックピットを設置できる空間など限られている。他にコックピットを覆う装甲版らしいものも見当たらない。


 代わりに見つかったのはフレームの背面に刻印された「百鬼」の文字。これがアンノウンの正式な機体名なのだろう。


 ふと、鋼一郎の頭にある仮説が浮かぶ。


「……まさか、遠隔操作」


 それは鋼一郎も暴走する百鬼を取り押さえるために使った凱機の機能の一つだ。


 だが、そんなことは不可能なはず。ムラクモに積まれたAIは端末を介して操縦こそできても、その挙動は大雑把なものに限定される。凱機の運動性はパイロットが乗り込むことで最大限に発揮されるものであり、今回のような状況下でなければほとんど使われない機能でもあった。


 現にムラクモのAIは百鬼の隙をついて捕えることが出来たが、長時間にわたって抑え込むことはできなかった。


 それに百鬼のあの挙動。とくに再起動してからの洗練されたナイフ裁きには目を見張るものがあった。あれが操縦補佐用のAIを用いた遠隔操縦でできる挙動なのだろうか?


「流石にありえねぇだろ……」


 だが事実として、パイロットは百鬼の中にいなかった。


 本来、コックピットが収まる筈のスペースに詰まっている機械類。メカニックでもない自分に詳細がわかるわけもないが、これがムラクモに搭載されたAIより数段上を行く高性能なAIと、その膨大な情報を処理するための機材だとしたら、どうだろうか?


 そうならば、遠隔操縦というよりも完全な自律起動型といった方が適切なのかもしれない。


 鋼一郎がB・Uによってもたらされる恩恵の一つであろうと誤認した順応能力の高さも、AIがムラクモの二刀流を学習したのであれば、説明がついてしまう。寧ろ、そちらの方がしっくりと来るくらいだ。


 AIによる自律起動を可能とした「無人機」。だとしても、こんなもの誰が、何の目的で作ったのか?


 鋼一郎の頭の中にまた一つ疑問が増えてしまった。この短かなスパンで増えすぎた疑問は脳を焦がすのに十分だろう。


 形自体が押しつぶされ真っ二つになった単眼のカメラアイが、瞳を細めて嗤っているようにも見えた。嫌な悪寒が鋼一郎の背筋を撫でる。

「っ……」


 由依なら何か分かるのではないだろうか。そんな淡い期待を抱いて、ムラクモに記録されたデータを彼女へと転送する。


「……わかんないことを何時までも考えてる暇はないよな……白江の奴を回収してここを離れねぇと」


 鋼一郎はムラクモを降りると、ホテル内の地下シェルターを目指す。


 脇腹の傷を庇いつつ、長い階段を下りれば分厚い白聖鋼に全面を覆われたシェルターへと辿りつく。


 シェルター内は異様に肌寒い。シェルターを覆う外壁の白が余計に寒々しい印象を与えているのか、それとも自分が思っていた以上に血を流しすぎたのか。


「……ははっ、この程度でへばってたら桃教官にドヤされるんだろうな」


 自嘲を漏らしながら、鋼一郎は白江を探す。幾つかある人だかりの中、彼女は鋼一郎の言いつけ通り一番人数の多いグループに紛れていた。


 ただ、やはり彼女の真っ白な髪は異様に目立つ。その頭を目印にすれば、彼女を見つけることもそう難しいことではなかった。


 もっと用心するなら、自分の上着でも何でもを彼女の頭に被せるべきだったと後悔する。


「お前さん!」


 白江もこちらへ気づいたようだ。その表情には安堵の色が浮かびあがる。


 鋼一郎も彼女が駆け寄ろうとした途端に「パン」と乾いた破裂音が響く。


「…………は?」


 白江の小さな体はその場で一回転。糸が切れた人形のように、その場へ倒れこむ。


 シェルター内の誰かが悲鳴を上げた。


 彼女の背後に視線を投げれば、鼻血を垂れ流した男が立っていた。ホテルマンに扮したあの男だ。


 その手に握ったのは十センチ程度の自動小銃、デリンジャー。恐らくは裾に内に隠していたのだろう。


 白聖鋼の弾は妖怪にとって猛毒でも、人体には何の影響を及ぼさない。それでも鋼一郎が脇腹と額に傷を負ったように、十分の殺傷能力はある。


「どけっ!」


 鋼一郎が人込みをかき分け、男を取り押さえようと走る。


「テメェ! 何してんだよッ!」


 男は白江に向けていた銃口を鋼一郎に向けてくるかと思われた。だが、男は銃口をそのまま自らの口内へと咥え込んだ。素早く引き金を引けば、男は簡単にそのまま後ろ倒しになる。


 何ら躊躇のない自殺だ。男は最後、虚ろな目で機械的に引き金を引いた。


「…………なんだよ、何してんだよ」


 白江が胸元を撃たれるのを鋼一郎の動体視力は確かに捉えていた。


「クッソッ!」


 鋼一郎は頭の中に浮かんだ最悪の考えを自ら振り切り、彼女へと駆け寄る。人命救助の訓練ならば受けている。傷口を塞ぎ、止まった呼吸を正常な者へ戻せば。


 まだ、助けられる! そう自分へ言い聞かせ、彼女へと触れた。


「……冷たい」


 鋼一郎に伝わる熱はほとんどない。それどこらか、自分の身体から熱を奪われているような錯覚を覚えるほどだった。


 いや……冷たすぎる。


 鋼一郎は再び、彼女へと触れる。やはり、ゾッとする程に冷たい。資料庫での再開に、ホテルの個室。そして、このシェルター内。思えば、彼女と一緒にいる夜間だけはずっと「寒い」と感じていた。


「……妖怪は夜間にこそ、活発になる」


 それは忘れもしない、桃が教えてくれたことだ。活性化するのは行動のみならず、妖術やその妖怪が持ち得る性質も例外ではない。


「なぁ……白江、お前は」


 鋼一郎は彼女の冷たい体を抱き起し、胸元を開く。


 そこは分厚い氷に覆われていた。弾丸は氷に阻まれ、彼女を傷つけることなく止まっている。


 この肌寒さの正体は、氷を生成・操作できる妖術が夜間で活性化し、余分な冷気が体外に漏れ出ていた結果だった。


「────バレてしまったようじゃの」


 倒れていた白江の口の端がゆっくりと釣り上げられていく。

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