乙女心と勝算

・ 二〇二八年 七月三十一日 午後八時二十四分

・ 東京都 柄沢市・山中


 怪我も治って早々に、白江が「見せたいもの」があると鋼一郎を連れ出したのがことの発端であった。鬱蒼と木々の生い茂る山中を、彼女は先導する。


「ほれ、綱一郎! さっさと上ってこんかい! それでも祓刃隊員か?」


 木の根の凹凸も構うことないと言わんばかりに突き進む白江に、人間の脚力では追随するのが精一杯だ。肩を大きく上下させながら、鋼一郎は額に浮かぶ汗を拭う。


「はぁ、はぁ……というか、俺たちは一体どこを目指してるんだよ? そろそろ目的地くらい教えてくれてもいいんじゃないか?」


「着いてからのお楽しみだと言っておるだろう。それに頑張ったなら、またワシの体をぎゅっーつ! としてもいいぞ!」


 ニヤニヤとして白江が足を止めて振り返る。数日の休養を取れたおかげで彼女もすっかり回復したらしい。少々、元気になりすぎな気もするが……


「前にそれで突き飛ばされたよな?」


「あれは心構えが出きってなかったというか……けど今のワシならいつでも〝うぇるかむ〟じゃ。ほら、ワシの愛され〝ぼでぃー〟を好きにさせてやるわい!」


「……どこが愛されボディーだよ、子供体型」


 淡々と答える綱一郎に彼女は頬を膨らませる。息を切らしている綱一郎の元まで下ると、その脛を思い切り蹴ってやった。


「痛っ⁉ ……は? なんで俺は蹴られたんだよ!」


「答えてやるものか。乙女心もわかるぬ馬鹿者め!」


 立て続けに二度、蹴られた。彼女のローキックはどうにも、おふざけの威力を超えている。


 そのせいか、鋼一郎はその場で黙りこくってしまった。


「あ、あれ……もしかしてワシ、強く蹴りすぎた?」


「……あっ、いや。……そうじゃなくてだな」


 こうやってふざけ合っていても……いや、こうやって白江とふざけ合う時間を悪くないと感じているからこそ、頭には尚更不安がよぎってしまう。

 妖怪と人間を対立させた元凶。スポンサーとして祓刃を牛耳る妖怪・奈切総一。──果たして今の自分たちに彼を討つことはできるのか?


「なぁ、白江。少しいいか? 奈切にはどんな傷を負おうとも死なない不滅の妖術があるんだよな? よく考えなくても、そんなやつを倒すなんて本当にできるのかよ」


「ハッキリ言って不可能じゃな。だから、こっちも切り札を使わせてもらう」


 白江はおもむろに自身の懐をまさぐり、それを取り出す。


 彼女の掌にあったのは、なんの変哲もない小さなガラスの玉であった。


「じゃーん! これがあの三柱の玉であるぞ!」


「三柱の玉……それって、あの廃工場で九尾も言ってたやつか!」


「そうじゃよ。梨乃のヤツが探しっておったのも、奈切の刺客がワシを殺そうとしたのも、すべてはこれを奪うためじゃ」


 けれど鋼一郎の目には、そのガラス玉が特別なものにも見えなかった。強いていうのなら、透き通るように奇麗なことくらいか。


「えっーと……これで野郎の頭をぶん殴るとか」


「ふふ、確かにそれも痛そうじゃが、違うぞ。これはガラス玉の形をした檻。かつて三柱と称された者たちの成れの果て、或いは連中の存在した証じゃよ」


 曰く、いかなる手段をもってしても不滅である奈切を殺せないと悟った三柱たちは、次に奈切を幽閉する手段を模索したそうだ。


 束縛にまつわる妖術に加え三柱それぞれが体内に循環する妖気エネルギーの全て注ぎ込むことで制作されたのが、このガラス玉である。


「使用条件は対象がある程度の傷を負っていること。──この玉の中では絶えず、分解と再構築が繰り返されるんじゃ。だから、この中に瀕死のヤツを入れてやれば殺すこともできなくなるが、代わりにヤツも壊れた体を再生する以外の余裕がなくなり、永遠に外に出れなくなるという仕組みじゃ」


「容赦のない代物だな……けど、ちょっと待て。なんでそんな凄そうなものお前が持ってるんだ?」


 その質問に白江の目が右へ左へと泳いだ。


「あぁ、それはな……いやぁ、なんというかだな……」


 口籠り、何やら眼を逸らした。そしてボソりと


「……盗んだものじゃ。」


「は?」


「じゃーからっ! ワシが梨乃の奴から盗んだと言っておるだろうがっ!」


 三柱の玉は奈切を討つうえで絶対必須の切り札だ。しかも、その製法を聞く限り、代わりが作れるようなものにも思えない。


 それを盗まれたとなれば烈火の如く怒り狂うはずだ。梨乃がどうして苛烈に白江を責め立てたのか、あの洞窟でどうしても白江が質問に答えなかったのにも妙な合点がいった。


「なにが『梨乃との蟠りついては長くなるとしか……』だよっ⁉ ただ単にお前が盗んだって言いにくかっただけだろ!」


「うっぐっ……確かにそれもそうじゃが、それ以上に理由があるのじゃ!」


「じゃあ、その理由ってのは何なんだよ?」


「……この玉を持っていたのが梨乃ならば、アイツは間違いなく死んでいただろうから」


 一時の沈黙を置いて、白江は苦々しくそう答えた。


「梨乃はワシの親友じゃったが、アイツは人間と力を合わせることを良しとしなかったんじゃ。もしもアイツが今も玉を保有していたのなら、妖怪たちを率いて奈切に挑んだんだろう。しかし、そんなことをしたって三柱たちの二の舞になるだけ……」


 一度梨乃と本気で殺し合った鋼一郎だからこそ、その事実には戦慄を覚えてしまう。


 彼女は本気を出してすらいなかったのだろう。整備不良と凱機と怪我のハンディキャップを抜きにしたって、あの「隊員殺シ」は自分を圧倒したのだ。


「あの九尾は俺が殺してきた妖怪たちとは一線を画すほど強かった。アイツの真骨頂は妖術で出した九本の武器なんだろうが、修羅場をくぐってきた経験則と、相手を研究して対策を徹底する周到さもあった。アイツが扇動する一団ならそれなりにいい勝負になると思うんだが」


「勝率でいえば九対一。一の方が梨乃じゃ。それも希望的な観測を込みして」


「そこまではっきり言い切れるのかよ……」


 一方で白江は「百千桃ならば」とも言い切った。


 桃にB・Uが齎した世界は、鋼一郎の見ることできる世界の完全上位互換だ。行き過ぎた動体視力により世界が静止したように見える彼女ならば、あとは敵に有効な装備を揃えるだけで、敵を一方的に塵殺することが出来る。


 しかし、それを逆説的に言ってしまうのなら「その領域に至ってようやく勝算が見えてくる」という意味でもあった。鋼一郎の瞳が映し出すスローモーションの世界が通用するとも思えない。


「白江……俺たちは勝てるのか?」


「もう奈切の正体を知る妖怪だって少ない。真実を知る仲間たちは『高危険度妖怪』に指定され、優先的に駆除が進められたからの。それこそ生き残りはごく僅かじゃ。ならば、ワシらが勝つしかないじゃろう?」


 白江の放つ冷気は依然として、ひんやりとしたものだ。それでも彼女の瞳にはジンとした熱を帯びる。


「勝たねばならぬのだ。もう誰かが悲しまずともすむように」

その眼差しを見れば、もう十分だ。


「……ふんッ!」

 

 鋼一郎は自らの顔を真正面からぶん殴った。


「なっ……何をやっているのじゃ⁉」


 思い切りぶん殴ったせいで、鼻血が止まらなくなってしまった。錆臭い味がするのは口内を切ってしまった証拠であろう。それでも、鋼一郎は精一杯に強がった笑みを作ってみせる。


「悪い白江、弱音を吐いちまった」


 彼女と戦うと決めたのだ。くだらない迷いなら、ここに置いていけ。


「まったくお前さんという奴は……」


 嘆息交じりでも白江も微笑を浮かべていた。そして彼女はおもむろに指をピンと立てる。


「それにワシらの勝算は三柱の玉だけじゃない! もう一つ、お前さんにしか乗りこなせない切り札が用意してある!」

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