妖怪と人間
「これは単なる昔話。三柱と呼ばれた愚かな妖怪たちの末路と、ある妖怪の半生についての話じゃ」
そう前置きをした上で、今度は白江が語り始めた。
「むかし、むかし。それは三桁では足りぬほどずっと昔。ワシら妖怪は、人の世と交わることなく闇夜の中で生きてきたのじゃ」
◇◇◇
妖怪たちは決して多くを望まない。時折人前に姿を表すことはあっても、静かに暮らせればそれで良いと思っていた者がほとんどだった。
妖怪の世を収めるのは、「三柱」と称される三人。それぞれが優れた才を持った三柱たちの庇護の元、妖怪たちは平穏な日々を過ごしてきたという。
だが、あるとき。その妖怪は現れた。
若い男の姿をしながらも、全身には真っ黒な霧を纏った妖怪だ。
出自は不明。彼はどこから来たのか、何の妖怪だったかさえ分からない。それでも、一つだけ判ることがあるとするのなら、彼は類を見ない切れ者だったということだ──なにせ、妖術の基礎を築いたのは彼なのだから。
妖怪たちの身体を巡回する妖気。当時は無意識下でこれを操り、奇妙な力を使うものも少なからずはいたが、せいぜいがその程度に過ぎなかった。
だが、彼は違うのだ。
術式を発案し、その通りに妖気の性質や波長を変化させたなら術が発動できるという仕組みを提唱。次に自らの妖気を意識的に操る訓練法を妖怪たちの間で広めた。
ここまで、彼が現れてから約半月。そこで三柱の妖怪たちでさえ息を呑むような神童っぷりを披露した。
妖術を上手く用いれば、食料に困ることもない。多少の傷を負ったとしても妖術によって治癒が施せる。妖術を操れるだけの賢さを持つ妖怪たちのなかで、その術が普及するのも必然であった。
その間も、彼は自らの発明である妖術の研究を続けた。「身体能力向上の妖術」や「物の形質を変化させる妖術」など。より利便性に長けた術の術式を模索したという。
──ただ、ある頃から彼の研究はおかしな方向に舵を切り始めた。
自らの脳の中身を弄るような妖術。
殺した同族から妖気を奪い取るような妖術。
いかなる外傷でさえも死に至らない不滅の妖術。
そのどれもが正常な思考をした者の発想とは思えない。最後に至っては妖怪の領分をゆうに超え、神の領域にさえ片足を突っ込んでいた。
次第に妖怪たちは彼を恐れるようになっていた。
これ以上、妖術の研究を許せば、彼はもう誰にも手が付けられなくなる──選択を迫られた三柱たちは、百体の妖怪を引き連れその寝首を掻いたのだ。
◇◇◇
「ということになったわけじゃが。……何が三柱じゃ! その局面で最も愚かな決断をしよってからに!」
白江の口調には露骨に苛立ちが混ざっていた。それは三柱と呼ばれた妖怪たちを責め立てるようなものであった。
ここまでの話を黙して聞いていた鋼一郎も口を挟む。
「いや。たしかに他にやり方はあっただろうが……寧ろ、三柱とかいう連中のそれは英断だったんじゃないか」
「英断なものか。その夜襲で生き残った数は、三柱と賛同した妖怪たちの半分に満たなかった。それに言ったろ……ヤツはいかなる外傷でも死なない不滅の妖術を持っていると。三柱はこれだけの犠牲を払いながらも、結局はヤツを殺すことはできなかった。手足をもぎ取り……そうだな、お前さんらの言葉でいうところの〝こみゅにてぃ〟から追放するだけで精一杯じゃった。ところでお前さん。妖怪が人を襲うようになったのはいつか覚えているか?」
白江が唐突に話を切り替えることは、もう慣れた。なぜこのタイミングで話題を切り替えたのかを探りつつ、訓練校時代に習った妖怪の歴史についてを思い出す。
「たしか、平安時代のころだったか? 当時は祓夜や凱機もないから陰陽道なんかで妖怪を撃退してたって習ったが、」
「そう。その妖怪が追放されたのも、ちょうどその頃のことじゃ」
彼女はその細い指先を弾いて見せた。
「ヤツは自らを追放した妖怪という種族そのものに強い怨嗟を抱いたはずだ。もがれた手足を再生したヤツが、復讐を目論むのもまた必然なことであったろう。しかし、馬鹿正直に挑んだところで敵わないのは学習済みだ。たった一人ですべての妖怪に復讐を成し遂げるというのも現実的ではないだろう。──そこでだ」
背筋にうすら寒いもの感じた。そわそわと落ち着かないこの感覚の正体が何なのか。
答えならば、とっくに出ているだろう。
その妖怪は白江たちと同様に、人にそっくりな姿をしているのだから。
「ヤツは人間を利用することにした。言葉巧みにその時代の権力者に取り入り、妖怪こそが諸悪の根源であると吹聴した。ヤツが妖怪たちに妖術をもたらしたように、人間たちには陰陽術や呪術、果ては対妖怪の武器制作法まで。思いつく限りの方法を教え込み、人間たちを妖怪殺しの駒へと変えた」
ヤツは当時蔓延した疫病や飢饉まで、その全てが妖怪のせいであると嘯いた。
怒り狂った人間は、静かに暮らしていた妖怪たちを闇夜から引きずり出しては殺し。同族を殺された妖怪たちも次第に人間へ強い敵を抱くようになる。そこから先は殺し殺され。ただの泥仕合であった。
「人間にも妖怪にも互いに数え切れないほどの犠牲が出た。嗤えることのできた輩なんて、ことを裏から仕込んだヤツくらいのものじゃったろうな。……さて、昔話はここまでじゃ」
鋼一郎は自らの口角が引きつっていることを自覚した。
ここまでは単なる昔話。愚かな三柱と、ある妖怪の半生についてという前置きをしたもので語られた内容だ。
白江はここで話に一区切りをつける。そして、ここからが「単なる現在進行形の話」である。
「もう一度言うことになるが、奴には不滅の妖術がある。ヤツは千年近くがたった今でも妖怪に対し強い恨みを抱きながら、人の世に溶け込んでいたらどうするだろうか」
ヤツが人間に教え込んだ陰陽術や呪術の類は体得できる人間が極めて少ない上に、その練度にもムラがあったという。
人間の誰もが妖怪を殺せるわけではない。だからこそ、妖怪たちも今日まで根絶やしにされることはなかったのだろうと彼女は言い切った。
「しかし、その前提もここ二十年余りで崩れつつある。今まで、陰陽師どもをかわし続けた歴戦の猛者たちが次々と殺されるようになったのじゃ。街中に仕組まれた監視の目に、羽虫のような〝どろーん〟とやら。極めつけは対妖怪用のヒト型装甲兵器・凱機は誰にだって妖怪を殺せる力をヤツはお前さんたちに与えたのじゃ」
白江は「ここまで言えば、もう十分だろう」とその眦を細めた。
祓刃の設立や監視カメラの配備に常に貢献し続け、凱機製造の最高責任者でもある人物。あの男が口元に薄い笑みを浮かべた姿が、鋼一郎の頭にも浮かぶ。
『──あとはやっぱり間近で見たいじゃないですか。凱機が妖怪を駆除するとこなんて』
何気なしに放った一言。それがあの男の本性だとするならば。
「気づいたようじゃの。裏切り者の名は奈切。奈切総一じゃよ」
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