第27話 12年前のいずみや事件の真相

 お燈まつりから20日後の金曜日。

 真宮警察署の池田署長から大輝に電話が入り、美味しいコーヒーを入手したので、一緒に飲みませんかと誘われる。

 午後、仕事の合間に署長室を訪ねると、部屋一杯にコーヒーの香りが充満している。

「どうぞ、こちらへ」大輝にソファーを勧めた池田が、サイドテーブルにあるコーヒーメーカーかられたてのコーヒーをカップに注ぎながら大輝に話しかける。

「神代警部から、鈴木検事は、酒は下戸げこなんやけど、コーヒーには目がないと聞いたもんですから。ちょうどいい豆が手に入ったんで、お誘いしたわけですよ。

 わしも検事とまったくおんなじで、酒はちっともうまいと思わんけど、コーヒーだけはうるさいんですよ。毎日レギュラーコーヒー、2、3杯飲まんと、気がすまんのですわ」

「そうですか。署長がコーヒー党だとは思いもしませんでした」大輝が相槌あいづちを打つ。


 池田は、トレイにソーサーを添えたコーヒーカップを乗せ、テーブルまで運んで、大輝に勧める。

「口にあうかわからんですが、どうぞ召しあがってください」

「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます」

 大輝は、右手でカップをもち、鼻に近づけて香りを嗅いでから、口に含む。

「これは美味しいですね! ブルーマウンテンですか?」

「さすが検事、お目が高い! 豆の種類までわかりはるんですね」

「いえ、今のは、あてすっぽです。わざわざ署長がお誘いしてくれたんだから、きっと高級な豆だろうと思っただけですよ」

「これは、検事にいっぱいわされましたね。わしも、普段はこんな高い豆買いませんよ。それにブルーマウンテンは、美味しいけど、少し物足りんのですよ。もっとコクがあるブラジルなんかが、わしの好みなんです」

「そうですか。僕は、どちらかというと、酸味が強いのが好きなんです。例えば、キリマンジャロなど……」

 コーヒー好きのふたりでコーヒー談議に花を咲かせる。


 しばらくして話題がとぎれたのを見計らい、池田が居住まいをただし、大輝に向き直る。

「ところで、このたびは、検事の見事な推理で捜査を適切に指揮してくれはったお蔭で、無事事件を解決できましたこと、所轄署の署長としてお礼申しあげます」

「いえいえ、たまたまですよ。自分でもこんなにうまくいくとは、思ってませんでした」手を顔の前でふりながら、照れくさそうに大輝が答える。

「ほんでも、今回の事件に12年前のいずみやの事件がからんでると見抜いたのは、さすがですよ。われわれでは、思いも寄らんことで、ヘタすれば、お宮入りになってたかもしれまへんわ。せっかくですから、検事が推理した12年前の事件の真相、聞かせてもらえればと思いまして……」

「美味しいコーヒーをえさにですか?」

「いえ、いえ、そんなつもりは……」池田が恐縮する。


「冗談ですよ、署長。でも自分の頭の中を整理するためにも、誰かに聞いてもらったほうがいいと思ってましたから。ちょうどいい機会です。

 すべてが解明されたわけでなく、もう少し調べなければならないこともあって、僕自身すっきりしてないんです。

 12年前のいずみやの事件については、黒田哲三を除けば、関係者はすべて亡くなってます。ですから、今になっては、真相を確かめるすべはなく、これからお話しすることは、あくまでも僕の勝手な推理だと思って聞いてください――」


 黒田が供述したように、12年前いずみやが引き起こした健康サプリメントのマルチ商法事件の実質的な首謀者は、横山だったのでしょう。単なる販売でなく、配当を餌に会員を募ったのは、売上以上に金を集めたかったのではないでしょうか。それだけいずみやの資金繰りが苦しく、切羽せっぱ詰まっていたからでしょう。いずみやの窮地を救うには、それなりの金が必要だったと思います。

 このマルチ商法は、冷静に考えてみれば、詐欺であることが明白ですから、地元で手堅く商売していた社長の和泉幸彦は、それに気づかないはずはないと思います。でも資金が底を尽きてしまい、わらをもつかむ思いで、横山の企画に乗ってしまったのでしょう。そうしないと、倒産するのは目に見えてましたから。彼だって、親から引き継いだ店を潰したくなかったはずです。


 起死回生きしかいせいの一打のようにうまくいった健康サプリメントですが、これが長続きせず、いつか破綻はたんすることは容易に予測できます。おそらく首謀者の横山は、逃げ出すタイミングを計っていたのでしょう。手ぶらでは、せっかくの企画も水のあわですから、いくらかの金をもって逃げようと考えていたと思いますよ。

 そこで、社長が刺殺されるという事件が起きます。これ以上のタイミングはないと判断した横山は、事件の夜、金庫に保管されていた売上残金の2億円をもって逃げようとした。しかし運悪く、警察から戻ってきた和泉菜穂子にその現場を目撃されたのではないでしょうか。焦った横山は、口封じのため菜穂子を殺してしまった。おそらく咄嗟とっさの犯行ですから、扼殺やくさつしたのではないでしょうか。相手が女性ですから、横山の体格を考えると、それほど難しいことではないでしょう。

 そして、その殺害現場をまだ会社に残っていた秋山翔太に目撃されてしまったのではないでしょうか。一線を越えてしまった横山は、躊躇ためらうことなく秋山翔太も殺したのだと思います。

 ここまでいって、大輝はひと息吐き、残っていたコーヒーを飲み干す。


「金もち逃げするとこ、菜穂子に見られ、菜穂子殺すとこ、翔太に目撃されたというわけですか?」黙って聞いていた池田が確認する。

「おそらく間違いないと思います。翔太に金をもち逃げするところを見られたのであれば、横山のことですから、資金管理上金を動かすのだとか、あるいは開き直って分け前を与えるなり、うまくいいくるめるはずです。なんせ相手は、大学を出たばかりの若造ですから。直ちに殺すことはなかったと思いますね」大輝が、池田の疑問に答えてから、推理を続ける。


 菜穂子は、マルチ商法の首謀者が横山であることを知っていたし、横山が金をもち逃げするんじゃないかと予感していたのでしょう。現場を目撃した菜穂子は、これまで信頼してた横山に裏ぎられたことで、横山を非難したのでしょう。すぐに警察に通報しようとしたのかもしれません。窮地に陥った横山は、思いあまって菜穂子を殺したのだと思います。

 横山にとってラッキーだったのは、菜穂子と翔太を殺害した痕跡を残さずにすんだことです。翌日は、2億円のもち逃げで、警察の現場検証が行われたはずですから。菜穂子や翔太の血痕などが残ってれば、違った方向で捜査が進められていたでしょう。


 菜穂子と翔太を殺してしまった横山は、遺体の処理に困ってしまう。

 でも、よく考えてみると、遺体さえ隠してしまえば、2億円のもち逃げをふたりの犯行にすることができると思いついたのではないでしょうか。しかしひとりでは、ふたりの遺体を処理することは容易でない。金も隠さなければならない。翌朝には、警察が乗り込んできますから、時間もない。

 処理に困った横山は、分け前を与えることで、森田保と山名孝昌を仲間に引き入れたのでしょう。古参こさんで横山をよく思っていない黒田哲三を仲間に引き入れる自信は、横山にもなかったと思います。

 これはまったくの推測ですが、おそらく横山は、2億円のうち半分の1億円を自分の取り分として、残った1億円のうち、5000万ずつを森田と山名に与えることで、共謀をもちかけ、遺体の処分を頼んだのでしょう。


 5000万の見返りに遺体の処分を頼まれた森田と山名は、直ちに車で菜穂子と翔太の遺体を捨てにいったと思うのですが、果たしてどこへ捨てたらいいのか、わからなかったと思います。森田が生まれ育った犬山にある犬山大社を選んだのは、森田に土地勘があったからでしょう。無闇むやみに車で探し回っても、いたずらに時間が経つだけで、そのうち夜が明けてしまいますから。おそらく森田は、あまり人が近寄らず、近くまで車が乗り入れられる捨て場所として、犬山大社の雑木林が思い浮かんだのだと思います。


 山名も、翔太を殺せと命じられれば、血のつながったおいっ子ですから、いくら5000万の分け前をもらえるとしても、素直に従ったとは思えません。しかし、翔太がすでに殺されていたのであれば、5000万ほしさに遺体の処分を手伝うことに、躊躇いはなかったのでしょう。

 2億円は、横山が隠したのだと思います。どこへ隠したのかはわかりませんが、警察の捜査が及びそうにない安全なところを選んだはずです。


 さらに、菜穂子と翔太が駆け落ち同然で2億円もち逃げしたことを裏づけるため、警察の事情聴取では、以前から菜穂子と翔太があやしい仲であったことを証言したのだと思います。残ったいずみやの関係者4人のうち、3人が同じ証言をすれば、警察も信用せざるを得ないでしょうから。

 このようなことから、和泉社長が刺殺された夜、横山は、菜穂子と翔太を殺し、ふたりに2億円もち逃げのぎぬを着せ、それを森田と山名が手伝ったと思われます。そのあと横山は、なに喰わぬ顔をして、いずみやの倒産処理をしたのでしょう。


 横山、森田、山名の3人は、事件のほとぼりが冷めるまでの3年間、じっと息を殺して我慢して待ったのでしょう。おそらく3人は示しあわせ、無関係を装うため住む場所を異にし、連絡さえとらなかったと思います。

 3年後、横山は1億円、森田と山名はそれぞれ5000万手にします。そして、3人は、それぞれ思い思いのところで、その金を元手に商売を始めます。


 東京に拠点を移した横山は、勤めていた不動産会社で不動産取引のノウハウを蓄積し、手にした1億円を元手に独立して不動産会社を起こし、成功を収めます。

 犬山に戻っていた森田は、5000万を元手に小牧でラーメン屋を開店させ、こちらもうまく商売を繁盛させます。

 ところが、山名だけはうまくいかなかった。山名は潰してしまった実家の和菓子屋を再建しようとしたのだと思います。故郷の尾鷲に戻り、知りあいを通じて店舗を借り、菓子職人を雇い、なんとしてももう一度和菓子屋をやり直そうと、分け前の5000万をつぎこむが、うまくいかず失敗してしまう。山名に商才がなかったのかもしれませんが……。和菓子屋再建に失敗した山名は、故郷を捨て、東京で日雇い労働者としてその日暮らしの生活を送り、ひっそり暮らしていたのでしょう。


 その山名が12年ぶりに百合子を訪ねたことが、今回の事件のきっかけだと思います。それまで横山に加担してしまったことを負い目に感じ、百合子に会わす顔がなかった山名は、いまだ息子翔太の帰りを待ち続けている姉が不憫ふびんに思えて、すべてを打ち明けたことが、事件の始まりです。

 翔太が生きていないことを覚悟していたとはいえ、遺体が埋められたままであることを聞いた百合子は、早く遺体を見つけてやりたいと思い、山名に森田の消息を調べさせます。

 これもまったくの推測ですが、横山と同じ東京で暮らしていた山名は、横山の消息を、なにかの拍子で知っていたのではないでしょうか。例えば、偶然街で見かけたとか、横山のことが雑誌や新聞などに載ったとかで、横山が不動産会社を経営していることを。

 でも森田の消息は、知らなかったので、横山から聞き出そうと、横山に会いにいったんだと思います。


「それがもとで、山名は、横山に殺されたんやと?」池田署長が身を乗り出して尋ねる。

「おそらく……。成功してる横山は、12年前の事件をネタに強請ゆすられるのを一番恐れたはずです。しかし、横山のことですから、ひとりで行動を起こしたとは思えません。

 森田と一蓮托生いちれんたくしょうですから、森田を呼び出し、ふたりで山名に酒を飲まして泥酔させ、車で山名の自宅近くまで運び、歩道橋から突き落としたんじゃないかと……。まったくの僕の想像ですが……」


「山名は、12年前の事件をネタに横山を強請ったんやろか?」

「それはないと思います。山名は、人さまから借りた金を踏み倒すことはあっても、決して人さまを脅したり、強請ったりして金をとったりしない。だから横山を脅したり、強請ったりは、絶対してないと、姉の秋山百合子がいってましたから。今となれば、百合子の言葉を信じたいと思います。

 そうなると、山名は、純粋に森田の消息が知りたくて、横山に接触したのではないでしょうか」

「それを強請られたと勘違いした横山が、殺してしもたと……」

「そうだと思います。せっかく積み上げた横山の生活が、山名にぶち壊されると思ったのでしょう」


「山名の転落死があったから、森田がわざわざ真宮まできたんやろなぁ」

「そうだと思います。12年前の事件だけなら、百合子から連絡があっても、森田はとぼけたと思いますが、山名を殺した負い目があったので、百合子の求めに応じて真宮まできたのではないでしょうか」

「ほんなら、なんで横山は、真宮まできたんやろか? 百合子に呼び出されたんやろか?」

「おそらくそうだと思います。百合子は、森田の居場所を聞くため何度も横山と連絡をとってましたから。ただし事件当日は、横山のほうから電話があって、浮島の森を指定したのも、横山だといってました」

「それは、おかしいなぁ。呼び出された横山が会う場所指定するなんて……」

「それも、そうですね……」

「百合子は、横山を殺すため呼び出したんやないんですか?」

「ええ、そう考えるのが、理にかなってると思うのですが……。わざわざ凶器の金属バットまでもって会いにいってますから……」


 しばらく黙りこんでいた池田が、ふと思いついたことを大輝に話してみる。

「検事、もしかして、横山は、百合子を殺そうとしてたんやないですか?」

「えっ、横山が百合子を……」

「わしらは、てっきり百合子が横山を殺そうとして、浮島の森に呼び出したんやと思てたけど、百合子に復讐するつもりなかったら、横山を呼び出す必要ないやろ。森田は、埋めた場所聞かんといかんので、呼び出す必要あるけど……。場所を知らん横山は、まったく不要やで……」

「署長は、横山が百合子を殺そうとして、逆に殺されたと……」

「ふと、そんな気がしただけやけどなぁ。単なる思いつきや。気にせんといてください」

「でも百合子は、わざわざ凶器を用意して会いにいったのですから……」といいながらも大輝は、自宅にあった凶器をもち出すことができるひとりの顔を思い浮かべる。

「まさか……」

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