第13話 いずみやの元従業員、黒田の証言

 お燈まつりから5日後の木曜日夕方。

 いずみやの元従業員、黒田哲三に会うため桑名におもむいた長岡と北島は、タクシーで黒田の自宅に向かう。黒田は、桑名城址がある九華きゅうか公園近くの県営住宅に住んでいる。

 揖斐いび川沿いに建てられた低層の集合住宅が4棟。いずれも3階建てで階段を挟んで両側に部屋が造られていて、エレベーターの設備がない。築30年は経ているだろうと思われる建物で、外壁はすっかり変色し、もとの色がわからないほどだ。黒田は、その中のB棟203号室に居住している。


 玄関に備えつけられた呼び鈴を鳴らすと、小柄な白髪の老人が出迎えてくれる。

「先ほど、お電話しました和歌山県警の長岡です。こっちは北島です。突然お邪魔して申しわけありません」長岡が、警察手帳を提示して挨拶するので、北島も手帳を提示する。

「遠いとこ、ようござりましたな。むさ苦しいとこですが、どうぞお入りください」電話でアポイントをとる際、事件の概要を伝えてあったので、黒田は、すんなり長岡と北島を招き入れる。

 玄関を入ると、すぐに4畳のダイニング。その奥に6畳の和室にカーペットを敷き、和室には不釣りあいなソファーが2脚L字に配置されており、普段はリビングとして使っているようだ。


 黒田は、長岡と北島に3人がけのソファーを勧め、ダイニングに戻る。

 しばらくしてお茶をれた湯飲み茶碗をお盆に載せた黒田が、リビングに戻り、ひとりがけのソファーに腰かけ、長岡と北島にお茶を勧める。

「女房がパートに出てるんで、わしひとりなんですよ。なんのおかまいもできんが、どうぞ、お茶でも飲んでください」

「ありがとうございます。今は、仕事してないんですか?」長岡が尋ねる。

「ええ、2年前退職してから、暇をもてあそんでおります。

 いずみやがああなってしもて、どないしょうかと途方に暮れてたら、女房の兄貴が声をかけてくれてなぁ。桑名の魚市場で鮮魚の卸売りしてる店、紹介してくれたんや。そこで長く働かしてもろたんですが、2年前定年になって、今は、悠々自適ゆうゆうじてきの身で、隠居の年金暮らしですわ」


「そうですか。電話でも話したんですが、今日は、12年前倒産したいずみやについて、話を聞かせてもらおうと、お邪魔した次第なんです」

「あっ、そういえば、横山と森田が殺されたという事件やね。真宮で殺人事件起こったんは、テレビのニュースで知っておったけど、まさか、あの事件で殺されたんが、横山と森田やとは、思いも寄らなんだわ」

「そうすると、いずみやをやめてからは、ふたりとは会ったことがないんですか?」

「会うどころか、ふたりがどこに住んでて、なにしてるんかも、知らなんだから。職場でも、そんなに親しくしたわけやないから……」


「そんで、刑事さんは、横山と森田が殺されたんが、いずみやと関係があると、にらんでおるんですか?」黒田が尋ねる。

「いえ、まだそこまでは考えておりませんが、横山と森田が相前後して真宮で殺されたんで、ふたりのかかわりを調べたところ、いずみやにいきついたというだけなんですよ。

 そこで、当時古くからいずみやに勤めてた黒田さんにお話を聞こうということになっただけなんです」

「そうですか。そういう事情であれば、協力せんと、いきませんなぁ。

 参考になるかどうかわかりゃせんが、わしの知ってることであれば、お話しできますんで、なんでも聞いてください」といって、お茶をひと口含んで、居住いずまいをただす。


「それでは、黒田さんがいずみやに勤めるようになった経緯から、聞かせてくれますか?」長岡が質問を始める。

「わしがいずみやにお世話になったんは、今から30年以上も前、あの事件の20年ほど前です。先代の社長が八百屋やおやを大きくして、スーパーを始めたばかりの頃やった――」

 先代社長が、当時鮮魚の卸売店に勤めていた黒田に声をかけてくれたのがきっかけで、黒田は、いずみやに勤めることになる。鮮魚を仕入れるにあたり、事情に精通した社員が必要になり、黒田に白羽しらはの矢が立ったのだ。


 当時のいずみやは、スーパーというより、野菜や精肉、鮮魚を中心とした食料品店と呼んだほうがいい程度の店だった。少しでも安く売るというスーパーの営業方針ではなく、いいものをそれなりの値段で売るといういずみやの経営方針があたり、徐々にいずみやは、業績を伸ばす。野菜、精肉、鮮魚にとどまらず、冷凍食品や総菜などの食料品、日用雑貨や電化製品などをとり扱うまでに成長していく。起業10年で、星ヶ丘に本店を自前で建てるまでになる。この頃がいわばいずみやの最盛期だったといえる。


 星ヶ丘店の開業から2年後、倒産する7年前、先代社長は、くも膜下まっか出血であっけなくこの世を去ってしまう。ひとり息子の幸彦が、勤めていたデパートをやめてあとを継ぐ。デパートとスーパーの違いはあっても、同じ小売業の経験があるので、幸彦は、難なくいずみやの経営を引き継ぐ。

 このまま順調にいけば大丈夫だと思われた3年後、幸彦は、上社に2号店を開業するといい出す。開業資金は、銀行からの借り入れで、用地を購入の上、店舗を建てるという計画だった。


「わしは反対しましたよ。なんも無理することなんぞ、ないっていって。せっかく順調にいってるのに、万一失敗でもしたら、すべてがお釈迦しゃかになってしまう。自己資金ならともかく、全額銀行から借りてやるんは、あまりにも無謀やって、説得したんですがね。

 先代は、銀行という金貸し、まったく信用してなかったんや。銀行は、こっちがほしいとき貸さんで、いらんとき融資話もってきやがるっていうて、文句いうてました。わしもあんまし調子のええ銀行員、信用してへんかったから……」


 ひと息吐き、お茶をひと口すすった黒田は、話を続ける。

「でも、若社長、聞く耳もたんかった。わしが先代の代からいる古参こさんの社員で、口煩くちうるさ小姑こじゅうとのようなもんでしたから……。

 今考えると、若社長は、自分の代で店を大きくしたかったんやと思います。先代から受け継いだ店を、そのまま維持するんやのうて、ちょっとでも発展させたいという思い、強かったんだと思いますよ――」


 幸彦は、周囲の反対を押しきり、かなりの借金をして上社に2号店をオープンさせる。開業当初は、順調に売上を伸ばすが、オープン半年後、全国展開する大手スーパーが駅の反対側に進出したことで、いずみやにとって逆風の嵐が吹き荒れることに。

 価格破壊的な安売りを得意とする大手スーパーに対抗するすべがなく、またたく間に顧客をとられ始め、売上が雪崩なだれのごとく落ち込んでしまう。

 この影響は、上社店にとどまらず、それまで順調であった本店にまで及ぶ。店全体の業績が悪化するとともに、多額の借金返済の負担が大きくのしかかり、いずみやは、直ちに経営にいき詰ってしまう。


「ちょうどその頃ですよ、横山が店にやってきたんは。大手スーパーからヘッドハンティングしてきたという触れこみで――」

 横山が常務取締役に就任すると、経営の立て直しを図るため手腕を発揮する。横山のやり方は、経営の合理化を図るため人件費を含めたすべての経費を削減し、仕入れ値を低く抑えることで、大手にも負けない安い価格を設定して販売することだった。

 そのため当時10人ほどいた正社員を半分に減らし、長年つきあいのある卸業者でも、値引きに応じない業者は、遠慮なくきり捨てる。


 横山の経営方針は、安ければ客は買うというもので、価格競争に勝たなければ、スーパーは生き残れないというもの。ライバル店よりも安い価格を設定することで、一時的に離れた顧客を取り戻すが、長くは続かない。

 思うような価格で仕入ができるとは限らないからだ。それと、赤字覚悟でこちらの設定した価格より、さらに安く設定するという大手スーパーのしたたかな戦略にも太刀打たちうちできない。

 そもそもいずみやのような地域の弱小スーパーが、資金力に勝る大手スーパーと価格競争をしても、勝てるはずがないのは、誰の目から見ても明らかだった。


「このままではダメやと思て、わし、若社長に直接いいにいったんですよ。横山は、わしのいうことなんぞ、はなから聞く耳などもってへんから……。ここは、若社長に談判するしかないと思て……。

 わしが担当してた鮮魚を例に出して、いくら安くても鮮度が落ちた魚なんぞ、売れるわけがないと。昔のように、ええもんをそれなりの値段で売るという方針で、商売すべきやというたんや。それが、先代が築きあげたいずみやのやり方やと」


「でも、ダメやった。若社長は、横山に任せた以上、しばらく様子みたいとしかいわんかった。自分ではどうしようもないとこまで、追い詰められてたんやと思います。

 そうこうしてるうちに、仕入代金の支払いが滞るようになって、卸業者からわしに直接クレーム入るようになったんや。先方も余裕ないんで、なんとかしてくれっていうて。そのとき、いよいよ資金繰りが苦しくなったんやと思いましたよ」


 黒田は、大きく溜め息を吐いたあと、しばらく黙ったまま天井を見つめていた。すでにお茶は、冷めてしまっていたが、それをひと口飲んで、話を再開させる。

「倒産するちょうど1年前やと思います。若社長が、開店前に社員全員集めて、突然健康サプリメントを売り出すんやという、新しい企画打ち出したんですよ。もうその頃の若社長の顔つきは、心労ですっかり変わり果てて、悲愴ひそう感漂ってました――」


 黒田は、最初社長がなにをしようとしているのか、わからなかった。

 なんでも真宮の徐福伝説にまつわる不老長寿の薬木とされる『天台烏薬』を素材にした健康サプリメントを販売するから、協力するよう全社員に指示する。

 これを飲めば、若返り、肌がつやつやになり、寿命が延びるという代物しろものだが、本当かどうかは疑わしい。それに加えて、このサプリメントは、店頭販売でなく、会員制による販売。会員を勧誘した者にその売上に応じて配当が受けられるという、ますます疑わしいものだった。

 社長は、パートを含めた全社員に健康サプリメントのパンフレットを配り、ひとりでも多くの会員を募るよう協力を要請する。集めた会員数に応じて、ボーナスを弾むことまで約束して。


「事件のあと、この健康サプリの販売、マルチ商法なんやと聞いたとき、やっぱりなと、思いましたよ。徐福伝説の不老長寿の『天台烏薬』なんぞ、いかにも嘘っぱちで、胡散臭うさんくさかったからや。

 でも、ビックリするくらい会員が集まり、サプリが売れたんや。世の中、欲の皮突っ張ったヤツ、多いのに驚きましたよ。半年くらいで、息吹き返したように資金繰りがようなり、仕入代金の支払いが滞ることもなくなったんや。

 わしは、いくら若社長の頼みでも、一切協力せいへんかった。生鮮食品売るんがわしの仕事やから、健康サプリなんぞ、売らんでもええといいましてね。そんなわしに若社長は、なんもいわんかった――」


 いずみやの健康食品のマルチ商法は、半年で10億円を売りあげ、見事に成功を収め、スーパーの経営を建て直す。滞りがちになっていた借金の返済や仕入代金の支払いも滞ることがなくなる。

 しかし1年もすると、徐々に会員への配当金が滞るようになり、配当金を受けとれなくなった会員が、いずみやに詰めかけて社長にクレームをつけるようになる。

 いたたまれなくなった社長は、事務所にいることが少なくなり、ほぼ毎日外出していたという。


「マルチ商法なんぞ、あんなバカなこと、若社長が考えるはずないと思いましたよ。わしは、なんも聞かされてへんかったから、ほんとのこと知りゃせんが、どうせ、横山あたりが考えた悪知恵やないかと思いましたよ。

 でも、横山ひとりだけじゃできんから、手懐てなずけてた森田や山名まで抱きこんで、計画練ったんやと思いますよ。

 若社長は、きっとなんも知らんかったんやと思います。

 二進にっち三進さっちもいかなくなり、あとは首をくくるしかないとこまで追い詰められてたから。わらをもつかむ思いで、横山の悪知恵に乗っかってしもたんやと思いますよ。

 冷静に考えれば、人を騙して商売なんぞ、できるはずないことは、いくら窮地に陥ってたとしても、若社長は、わかってたはずやから……」

 急に悔しさがこみあげてきたのか、目に涙をうるませ、言葉に詰まった黒田は、しばらく黙りこむが、気をとり直して話を続ける。


「若社長が刺される事件が起きたとき、わし、店に出てたんで、どんなふうに殺されたんか、まったく知らんのです。

 知らせを聞いて事務所に駆けつけたとき、ちょうど救急車がきて、若社長が担架で運び出されるとこでした。若奥さんが、若社長にすがるように付き添ってたのを、今でも目に焼きついてます――」

 社長が刺殺されたからといって、店を臨時休業することもできず、その日は、閉店時間まで営業を続ける。

 閉店後、事務所に出向くと、横山から社長が亡くなったことを知らされたという。専務の菜穂子は、社長につき添い病院にいったままで、事務所には戻っていなかった。


 そして、翌日事務所に出てみると、前夜菜穂子と秋山翔太が、金庫に保管していた2億円もの金をもち逃げしたと聞かされる。警察が事務所内を捜索していて、立ち入ることもできない。店は臨時休業することになり、パート社員は、出勤したにもかかわらず、家に帰される。

 警察が逃げたふたりの行方を追うが、つかまえることができず、どこへ逃げたか、手がかりさえ見つからない。数日後、2億円もち逃げした菜穂子と翔太は、外国に逃亡したのではないかという噂が広まったという。


 長岡が腕時計で時刻を確認すると、すでに黒田宅を訪問して1時間以上が経過している。そろそろおいとましなければと、最後に気になることを質問する。

「ところで、和泉社長の残されたお子さんのことは、ご存じですか?」

「謙一くんと彩佳ちゃんのこと、ですか?」

「そうです。亡くなった和泉社長には、当時小学6年生の長男と4年生の長女がいたと、捜査記録にあったので。おふたりの消息をご存じないですか? なんでも親類に引きとられたという噂があるようですが……」


「それやったら、若奥さんのご実家のご両親が引きとられたと聞きましたよ。謙一くんと彩佳ちゃんにとって、お祖父じいさんとお祖母ばあさんですよ」

「今どこに住んでるか、ご存じないですか?」

「いえ、詳しくは知らんが、確か若奥さんは、和歌山の真宮の出身やと聞いてるんで、ご両親は、おそらく今でも真宮に住んでんのと違いますか?」

「しっ、真宮ですか。それは間違いないですか?」

「若奥さんが真宮の出身なんは、間違いないやろと思います。横山とは、高校の同級生やと聞いてました。なんでも横山は、若社長の大学の後輩で、若奥さんの高校の同級生やそうです」


「行方不明の社長夫人と横山が、高校の同級生なんですか?」

「そうなんですよ。そういった縁があったんで、若社長がいずみやに引き抜いたのかもしれへんけど……」

「それで、ふたりのお子さんは、事件後すぐ、真宮の祖父母に引きとられたんですか?」

「詳しいことはなんも知らんが、事件のあと、両親がふたりともいなくなり、面倒を看る者がいなくなったんで、若奥さんと仲よかったパート社員が、一時的にふたりを預かってたようなんです。

 それから、確か若社長の葬儀が終わった頃やと思います。お祖父さんとお祖母さんがふたりを迎えにきたようです。あっ、そういえば、事件後半年くらい経ってた頃やと思いますが、突然そのお祖父さんがここに訪ねてきました。なんでも、若奥さんの行方に心あたりないか、聞いてましたから、親として必死に娘の行方捜してたんでしょうね」


「そうすると、ふたりのお子さんは、今でも真宮にいるかもしれませんね?」

「まだいるかどうか、わかりゃせんよ、あれから12年も経ってるんで。でも、ふたりともいい大人になってるはずですよ……」

 黒田が意を決したように真剣な眼差しを長岡と北島に向けて断言する。

「刑事さん、わしは、いまだに信じられんのです。若奥さんが、翔太と一緒に2億円もの金もち逃げしたとは、とても思えへんのです。確かに事件のあと、若奥さんと翔太がいなくなったんは、事実なんやけど、ふたりで金もって逃げたとは、到底信じられませんよ」


「でも、逃げたふたりには、不倫の噂があったのでしょう?」

「そげなこと、ありゃせんよ。誰がいったかしらんが……。社長と若奥さんは、仲のええ夫婦でしたよ。それに、若奥さんと翔太は、ひとまわり以上離れておって、翔太は、大学出たばかりの若造だったんですよ。そんなふたりが、おかしなことになるはずなんど、ありゃせんよ。

 若奥さんは、気さくでとてもええ人でした。社員のわしらにも親切にしてくれはりましたよ。旦那が死んで、若い男と金もち逃げするような人じゃありゃせんよ、絶対に!」

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