第21話 有力な容疑者が浮かびあがる!

 お燈まつりから11日後の水曜日。

 山名孝昌が死亡した経緯を調べるため東京に出張していた八田が戻るのを待って、関係者が真宮警察署の署長室に集まる。

「まさか山名が死んでたやなんて……」署長の池田が大輝の顔を見るなりつぶやく。

「僕もとても驚きました。今回の事件、山名が鍵を握ってると思ってましたから。それで山名は、どのように死亡したのですか?」

「ちょっと、待ってください」大輝を遮って、神代が別の提案をする。


「山名の報告をする前に、昨日行いました矢代謙一と彩佳の事情聴取の結果を先に報告させてください――」

 謙一の事情聴取については長岡が、彩佳については神代が、それぞれ聴取した結果を報告する。あわせて、謙一は、横山と森田の両方の事件、彩佳は、横山の事件のアリバイが確認されたことも。

「そうなると、謙一と彩佳は、ともに今回の事件では白であると考えていいわけですね?」大輝が神代に確認するように尋ねる。

「ほぼ間違いないと思います」

「謙一は、お燈まつり当日、法事で真宮にきてましたが、本人から話を聞いた感触でも、白だとみてほぼ間違いないと思います」長岡も補足する。

「そうですか……。わかりました」大輝が納得した表情で同意する。


「それから、興味深いものを矢代彩佳から預かってきました」といって、神代は、矢代剛造が記録したとされる大学ノートをテーブルの上に置く。

「これは?」大学ノートを手にとった大輝が尋ねる。

「矢代剛造が菜穂子の行方を調べた記録です。事件から2年あまり、ひとりで調べたことをノートにまとめてあります。孫たちには、事件についてなにも語らなかったようですが、密かに娘を探してたようです。剛造が亡くなったあと、彩佳が遺品の中から見つけたといってました」

 興味津々きょうみしんしんな表情で大輝は、1ページずつ確認するよう大学ノートをめくり始める。しばらくその様子を見ていた神代が「検事、ノートの最後に剛造自身の結論が書いてあります。そこをご覧ください」といって、大輝を促す。


 該当のページを読み始めた大輝が表情を豹変させる。

「これは……」とつぶやくが、言葉が続かない。それを補うように神代は、他のメンバーにもわかるよう説明する。

「菜穂子の駆け落ちが信じられない剛造は、菜穂子の消息を尋ね歩いたようです。仕事の合間を見つけて2年あまり、中学・高校・大学の友人をひとりひとりあたったようですが、菜穂子から連絡を受けた者は、誰ひとりいなかったようです。

 剛造は、忽然こつぜんと姿を消した菜穂子に残されてる可能性は、何者かに殺され、遺体をどこかに隠されたのではないかと、結論づけてます。その犯人が2億円もの金を奪ったのだと。

 そして、犯人として疑わしいのは、横山宏美、森田保、山名孝昌の3人だと推理してるのです。まさにわれわれが推理したのと同じ結論を導き出してたのです」


 剛造の執念ともいうべき調査記録に圧倒され、誰もなにもいえずに黙っていると、場を和らげようと池田署長が、ぽつりとつぶやく。

「それにしても、民間人がようここまで調べたもんやな……」

「娘の駆け落ちが信じられず、なんとしても娘を探し出したいという親心ではないでしょうか? 本来ならば、われわれ捜査を担当する者がやらなければならないことですが……」大輝が悔しさをにじませる。

「ほんまにそのとおりや。菜穂子と翔太の駆け落ちに疑問をもつもんがひとりでもおったら……、もうちょっとでも調べてれば……、今回の事件も起こらんかったかもしれへんしなぁ……」


「あのう……、山名の死亡した経緯、報告させてもろても、ええですか?」前日から東京に出張していた八田が、しんみりした雰囲気を一掃するように提案する。

「えっ、ええ、お願いします」大輝が応じる。

昨夜ゆうべ、警視庁の町屋署の担当者から山名が死亡した経緯を詳しく聞いてきたんで、報告させてもらいます」八田が報告を始める。

「町屋署が調べたとこによると、山名孝昌は、約ひと月前の1月18日未明、東京都荒川区町屋の尾竹橋おたけばし通りに架かる歩道橋から落っこちて死亡したということやそうです――」

 午前3時頃、通りかかった通行人が歩道橋の階段下で頭から血を流して倒れている山名を発見し、直ちに救急車で病院に運ばれるが、すでに死亡していた。

 所轄の町屋署の捜査では、司法解剖された山名の体内からかなりの量のアルコールが検出されたことで、酒を飲んで泥酔状態の山名が、歩道橋の階段を誤って踏み外し、転落したものと推定され、事故死として処理される。死因は、頭部を激しくぶつけたことによる頭蓋骨骨折による脳挫傷。ほぼ即死であった。


 山名は、5年ほど前から荒川区町屋にある木造2階建てのアパートに居住していた。事故現場から北西に徒歩10分の距離。6畳ひと間に小さな台所、風呂がなくトイレ共同の安アパート。

 アパートの大家に話を聞いたところ、詳しくは知らない様子だったが、山名は、日雇い労働で金を稼いでいたようで、月々の家賃は、滞ることなく支払っていたという。

 至って普通の中年の男で、特に問題を起こすようなこともなかった。ただ普段からよく酒を飲み、酔っぱらっていたようで、夜遅く大音量のテレビをつけっぱなしで眠りこんでしまい、近所から苦情が寄せられたこともあったらしい。


「いったい山名はそんなに酔っぱらうまで、どこで飲んでたんですか?」山名が泥酔するまで酒を飲んでいたことに疑問を抱いた大輝が、八田に尋ねる。

「それが、ようわからんそうです。山名は、よく町屋駅前の『呑んべえ』という居酒屋で飲んでて、常連さんやったようなんですが、事故当日は、きてへんかったようなんです。別の場所で飲んでたんやないかって、町屋署はみてるようです」

「別の場所、ですか……。事故現場は、駅から自宅までの通り道なんですか?」

「いえ、通り道やおまへん。今朝、念のため事故現場見てきましたが、駅から山名のアパートまでの道から、かなり外れてますわ」


「じゃあ、どうして山名は、夜遅くそんなところを通ったのですか?」

「それは、町屋署でもわからんそうです。どこぞで飲んでて、通りかかったんやないかと、いうてました」

「それで、町屋署では、他殺の疑いをもたなかったのですか?」

「転落したときついたと思われる外傷のほか、目立った傷なかったんと、山名は、近所つきあいほとんどしてませんし、殺されるような事情見あたらんかったようなんです。

 目撃者でもいれば別ですが、ひとりもおらんかったんで、事故死として処理されたようです」

「そうですか……」大輝が残念そうな表情をする。


「検事は、山名は殺されたと考えてるんですか?」大輝の表情を見て神代が尋ねる。

「ええ、たぶん、そうでないかと……。

 2億円山分けした3人のうち、横山と森田は、その金を資金にして商売を始め、成功してますが、山名だけが失敗し、日雇い労働で食いつないでいたとすると、12年前の事件をネタに、山名が横山や森田を強請ゆすっていたことも考えられます。

 そうであるならば、山名の強請りに堪えかねた横山と森田が、山名を殺害したという可能性も出てきますから……。

 といっても、これは、まったくの憶測にすぎませんが……」


 大輝が黙りこんだので、八田は報告を続ける。

 事故当時の山名の所持品は、ジャンパーのポケットに入っていた財布とメビウスの煙草と100円ライターだけ。財布に入っていたレンタルビデオ店の会員証で身元が判明したという。

 アパートの大家は、山名とほとんどつきあいがなく、身元なども詳しく知らなかったが、アパートの賃貸借契約を締結したとき、緊急連絡先を記載することになっていて、山名は、そこに元妻木村節子の名前と携帯の電話番号を書いていた。大家から木村節子の連絡先を教えてもらった町屋署は、直ちに連絡をとるが、あっさり遺体の引きとりを拒否される。

 節子に拒否された町屋署は、節子から聞き出した山名の姉、秋山百合子に連絡をとろうとしたが、今度は、聞き出した那智勝浦の住所に百合子が住んでおらず、連絡がとれなかったらしい。地元の警察に協力を要請し、調べてもらったところ、3年前真宮に引っ越していたことがわかったという。


「真宮、にですか?」真宮という言葉に反応した大輝が、顔をあげて八田に目を向ける。

「そうなんですわ。町屋署が秋山百合子から聞いた話では、百合子と山名の姉弟は、真宮で生まれてるんですわ。ふたりの母親は、山名の養父の妹で、尾鷲から真宮に嫁いできてたんです。

 山名は、幼い頃、あと継ぎのいない伯父の養子になり、尾鷲にある母親の実家の家業を継ぐことになったわけなんです。姉の百合子のほうは、真宮で育ってますが、30年以上も前、那智勝浦に嫁いでたんで、木村節子は、『勝浦の姉さん』と呼んでたようです」


「それで山名の遺体は、その秋山百合子が引きとったんですか?」

「ええ、そうです。百合子が引きとりにきて、町屋署近くの斎場で簡単な葬儀をすませたあと、荼毘だびし、遺骨にしてもち帰ったようなんです。

 それから、山名が住んでたアパートの解約や、電気やガスなどの公共料金の精算、家財道具の処分など、後始末は、すべて秋山百合子がしたようです。たいしたもん、なかったようなんですが、遺品ももち帰ったようです」

「ところで、秋山百合子は、ひとりで引きとりにきたんですか?」

「いえ。息子がつきそってきたようです」

「息子……、ですか……」息子という言葉が引っかかった大輝は、しばらく考えこむ。


「確か……、和泉菜穂子と駆け落ちしたとされる青年は、秋山という姓だったと記憶してるんですが?」

「そうです。秋山翔太です」大輝の疑問に長岡が即答する。

「秋山百合子は、その秋山翔太と関係があるんですか?」

「ちょっと、待っててください。愛知県警からとり寄せた12年前の事件の調書を調べてみます」といって、長岡が立ちあがり、署長室を出ていく。


 10分後、長岡は、捜査本部に置いてある調書を調べた結果を報告する。

「秋山翔太の血縁者の記載はなく、血縁関係があるかどうか不明なんですが、秋山翔太が那智勝浦の出身であることは、間違いありません」

「那智勝浦の出身だとすると、百合子と翔太に血縁関係がある可能性が高いですね。

 もし仮に百合子が翔太の実母だとすると、弟と息子を殺されたわけですから、和泉社長夫妻の残された子どもたちよりも、横山と森田に復讐したいと考えそうな遺族ではないでしょうか?」

「そうなりますね」神代がうなずく。


「すぐ秋山百合子を任意で引っぱって、事情聞きましょか?」八田が提案する。

「いえ、ちょっと待ってください。秋山百合子本人から事情聴取する前に、まず百合子の周辺を洗ってください。事件当日のアリバイを含めて」

「ええ、そうですね」神代が答える。

「矢代謙一と彩佳が白だとすると、今のところ、秋山百合子が容疑者である可能性がもっとも高くなりますから、ここは、慎重を期して、まず周辺を固めましょう」

「わかりました。すぐにでも秋山百合子を調べます」


「それにしても、八田さんも大変でしたね。松坂から急遽東京までいって、翌日とんぼ返りすることになって……」大輝が八田をねぎらう。

「いえ、たいしたことおまへん。お蔭さんで、久しぶりに都会の空気、吸わせてもらいましたわ」有力な容疑者が浮かびあがったことで、八田の表情にもいくぶん余裕が出てきたように見える。

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