第18話 いずみや社長夫妻の遺児、謙一の証言

 お燈まつりから10日後の火曜日。

 前夜から大阪にきている長岡と北島は、朝一番で神代と連絡をとり、これから行おうとする矢代謙一の事情聴取の時刻を確認する。

 謙一が勤務する土佐堀商事株式会社の本社は、大阪市中央区、地下鉄御堂筋線淀屋橋駅から土佐堀通りを東へ数分歩いたところにある貸しビル。裏側に大川(旧淀川)が流れ、水上バスアクアライナーの停留所がある。


 貸しビルの3階から5階までのフロアのすべてが、土佐堀商事が占めていて、長岡と北島は、3階の庶務課受付で矢代謙一との面会を依頼する。警察手帳を提示すると大袈裟おおげさになるので、長岡は、手帳を出さず名刺をさし出す。

「和歌山県警の長岡です。ある事件について、矢代謙一さんに事情をお聞きしたいので、とり継ぎをお願いしたいのですが……」と申し出る。

 受付で対応した女性は、少し驚いた表情をしたが、すぐにカウンターから出てきて、長岡たちを応接室に案内した。

「しばらくお待ちください。すぐに矢代をお呼びします」といって引き返した。


 5分ほど待っていると、紺のスーツに臙脂えんじのネクタイを締め、まだ初々ういういしさが残る青年が現れる。長めの髪を額に垂らした目元をひと目見た瞬間、長岡は、写真でしか見ていないが、和泉幸彦の面影を認める。

 受付で長岡が渡した名刺を手にもっていた青年は、立ちあがった長岡と北島に「矢代謙一です」と名乗って、名刺をさし出す。

 名刺には『土佐堀商事株式会社 営業部第一営業課 矢代謙一』とある。


「おかけください」といって、長岡と北島を促した謙一は、怪訝けげんな表情で面会の真意を問いただす。

「和歌山県警の刑事さんが、いったい僕になんの用があるんですか?」

 単刀直入たんとうちょくにゅうに問いただされたことに戸惑った長岡は、間をおき、一度息を大きく吸いこんでから答え始める。

「10日ほど前、真宮で殺人事件が起きたこと、ご存じですか?」

「ええ、新聞に出てましたから……。それが?」

「殺されたのは、横山宏美と森田保のふたりなんですが、ご存じないですか?」

「横山宏美? それと、森田保? ですか。まったく知りませんが……」

「そうですか。ふたりとも、あなたのお父さんが経営してたスーパーいずみやの従業員だった人なんです。いずみやは、12年前倒産してますが……」

「いずみやの……」


「この写真見てください。見覚えありませんか?」長岡が胸ポケットから写真を2枚とり出し、謙一の前のテーブルに並べる。

「見たこと、ある人だと思いますが、従業員だった人だといわれても、僕にはわかりませんし、断言できませんよ。いわれてみれば、そうやろと思うだけです。

 住んでた家と店は離れてましたから、当時の従業員といわれても、ほとんど覚えてませんよ。今でも覚えてるんは、祖父の代から長く勤めてた黒田のおっちゃんと、母と仲がよかった中野のおばちゃんだけです」

「そうですか……。それでは、最近、横山と森田に会ったことは、ないんですね?」

「会うもなにも、あのあと、どこでなにしてるんかも、知りませんから……」謙一は、憮然ぶぜんとした表情で答える。


「刑事さんが、わざわざ僕に会いにきはったということは、今回の事件、いずみやと関係があると考えてるんですか?」

「いえ、今は、なんともいえません。

 10日前、横山と森田が相次いで真宮で殺されたので、ふたりの関係を調べたら、いずみやに辿りついたというだけなんです。今のところ、いずみや以外にふたりの接点は見つかっていないので……」

 長岡は質問しながら注意深く謙一の様子を観察するが、謙一のいったことに嘘はないと判断し、質問を変える。


「ところで、12年前の事件のあと、矢代さんと妹さんは、真宮のお祖父じいさんとお祖母ばあさんに引きとられたと、伺ったのですが……」

「ええ、母の両親、僕たちにとって祖父母が、僕たちを引きとって、真宮で育ててくれました。引きとられてすぐ、僕たちは、祖父母の養子になり、和泉の姓を捨てました。事件のことを引きずらんようにとの、祖父母の配慮だったんやと思います」

「12年前の事件のこと、詳しく知ってたのですか?」

「いえ、父が亡くなり、母が行方不明になってるということだけです。

 僕たちが真宮で暮らすようになっても、祖父母は、なんも話してくれませんでしたし、僕たちも聞こうとしませんでした。ただ祖父は、僕たちにわからんよう密かに母を探してたみたいです。でも、それも1年すぎ、2年すぎたあたりで、諦めたんやないかと……」


「お母さんの菜穂子さんは、若い従業員と駆け落ちしたことになってますが、知ってましたか?」

「あとになって知りました。駆け落ちしただけじゃなくて、2億円もの大金、もち逃げしたと……」

「どう思われました?」

「そのときは、そうなんやと思いましたよ。大人には大人の事情があったんだと。

 でも、だんだんと母がそんなことする人じゃないと思うようになりました。

 母は、いつも冷静で、感情的になることは滅多になかったですから。少なくとも一時の感情に任せて、若い男と駆け落ちなど、する人じゃないと……」

「お母さんは、今でもどこかで生きてると思いますか?」

「……、もう12年も前のことですよ。僕には生きてるんか、死んでるんかもわかりません。仮に母がどこかで生きてるとしても、僕らには関係ありませんよ。

 幸せに暮らしてるのであれば、それでええやないかと思います」


「高校まで真宮で暮らされたあと、大阪の大学に進学してますね」

「ええ、大学が近くにないんで、進学するには、どうしても家出るしかありませんでした。名古屋のほうが近いんで、名古屋の大学にしようと思ったんですが、祖父が反対したんで、大阪にしました。

 祖父母は、ほんまによくしてくれました。高齢にもかかわらず、ふたりともよく働いて、僕を大学まで出してくれたんです。感謝してもしきれません。

 苦労かけたんで、いつか恩返ししたいと思てたんですが、残念なことに祖母は3年前、祖父は1年前亡くなってしもて……」


「大学卒業後、大阪にとどまってこちらの会社に就職してますが、真宮に戻るつもりは、なかったのですか?」

「僕は、戻るつもりだったんですが、祖父が戻らなくてもええと、いい出したんです。真宮に戻っても就職口ないし、それよりも、どこでもええから好きな仕事しなさいって、いってくれました。

 妹は、真宮が気に入ってたから、美容師になって戻るつもりで、大阪の専門学校に進学したんです。妹が戻るなら、僕はこっちにとどまろうということに、妹と相談して決めました」

「そうですか」と長岡が相槌を打つと、つかの間会話が途切れる。


 仕事中で長く時間がとれないことを配慮した長岡が、事件当日のアリバイに話題をきり替えて質問を続ける。

「ところで、2月6日のお燈まつり当日、この日、横山宏美が殺されたのですが、矢代さんは、真宮に戻られてますよね」

「ええ。1年前亡くなった祖父の一周忌の法要をやることになってたので……」

「なぜこの日に?」

「特に深い意味なんてないんです。ちょうど1年経つんで、妹と相談してお燈まつりの翌日にしただけなんです。大阪に出てきて以来、お燈まつり見ることもなくなったんで、久しぶりにお燈まつり見ようと思っただけです」


「前日の2月5日の夜から法要当日まで、どこにいたのか、教えてもらえませんか?」

「アリバイですか? ちょっと待ってください」

 謙一は、スーツの内ポケットから手帳をとり出してめくり始める。

「2月5日は、夜遅く、確か10時頃までだと思いますが、会社にいました。

 翌週の月曜、新規の輸入品を検討する会議がセッティングされてたんで、その資料づくりに追われてましたから。

 同じ課の人に聞いてもらえば、わかりますよ。確か課長も残ってたと思います。


 翌日の6日は、午後の大阪発の特急で真宮にいきました。真宮に着いたんは、5時頃だったと思います。

 いったん実家に戻り、妹が帰るのを待って、一緒にお燈まつり見にいきました。家に帰ったんは、8時半頃やと思います。

 それから、9時頃から隣の圭太さんと久しぶりに飲もうということになって、12時くらいまで一緒に飲んでました。


 7日は、10時から法要が始まり、終わったあと、列席してもろた人たちと近所の割烹で昼食を摂りました。妹が午後から仕事にいくんで、僕も午後の特急で大阪に戻ってきました。6時には自宅に戻ってたと思います」

「2月5日の件、職場の人たちに確認させてもらっても、かまいませんか?」

「ええ、かまいません。誰にでも聞いてください」

 長岡の目配せに応じて北島が席を立つ。


「7日の一周忌の法要には、どなたが列席されたのですか?」

「僕と妹以外は、祖父の甥にあたる信夫のぶおさん。隣の百合子ゆりこおばさんと圭太さん。それに祖父の幼馴染みのきしさんと職場で長く一緒に働いてた丸山まるやまさんの7人です」

「ずいぶんと寂しい法要だったんですね」

「ええ、そうですね。祖母も母もひとり娘、祖父の甥の信夫さんのほかには、あのあたりには、親類縁者はおりませんから」


 聞くべきことをほぼ聞き終えた長岡は、表情を改めて最後の質問をする。

「これは、あくまでもわれわれの推測にすぎないのですが、そのつもりで聞いてもらいたいんです。

 金をもち逃げして駆け落ちしたとされるお母さん、実は、事件の当日殺されてて、別の人間が金を奪ってたとは、考えませんでしたか?」

「……」

 目をみはった謙一は、しばらく二の句が継げないでいる。大きく息を吸い込んで、謙一が尋ねる。

「……ということは、今回殺された横山さんと森田さんが、12年前母を殺し、2億円を奪ったというんですか?」

「そういう推理も成り立つと考えられるんです」

「……」


 しばらくうつむいて考えこんでいた謙一が、おもむろに顔をあげ、長岡に尋ねる。

「もしかすると、刑事さんは、12年前の事件で母を殺し、2億円もち逃げのぎぬを着せた、その横山さんと森田さんですが……。彼らに復讐するため僕がふたりを殺したと、考えてるんですか?」

「いえ、いえ、そこまでは……」

「冗談はよしてください。あきれてものもいえませんよ。

 確かに、12年も経っても、母が現れないんは、もう死んでるかもしれんと思てますが、12年前の事件で、母が殺されてたんやとは、考えてもみませんでした。ましてや、当時の従業員の人に殺されてたとは……」


「刑事さんがそのように考える根拠、あるんですか? あったら教えてくださいよ!」

「根拠といえるかどうか、わかりませんが、横山と森田は、12年前の事件の3年後、今から9年前になりますが、同じ時期にそれぞれ商売を始めてます。

 その資金の出所が不明で、12年前お母さんがもち逃げしたとされる2億円が、その資金に充てられたのではないかと、推理してるだけなんです」

「……、そうなんですか……」

「これは、あくまでもこんなふうにも推理できるという程度のもので、裏づけられる証拠は、まだなにもありませんので、最初にお断りしたわけなんです」


 長岡がいいわけがましく根拠を説明していると、北島が応接室に戻ってきた。長岡に目配せしたあと、謙一にアリバイの証言を得られたことを伝える。

「刑事さん、12年前の事件の真相、わかったら教えてくれませんか? 例えどんなことがあったにしても、どうしても真相が知りたいんですよ。

 このままでは、母も浮かばれませんし、僕たちもスッキリしません。お願いします」

「はい、わかりました。事件が解決したときは、必ずお知らせします」長岡が答え、謙一の事情聴取を終える。

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