第19話 いずみや社長夫妻の遺児、彩佳の証言
お燈まつりから10日後の火曜日。
長岡と北島が謙一から事情聴取している頃、神代は、部下の
同じタイミングで訪問するのは、謙一と彩佳が口裏をあわすことができないようにして、アリバイの裏づけを確かなものにするため。彩佳は、勤めている美容室が休みで、自宅にいた。
玄関の引き戸を開け、「ごめんください」と宮田が声をかけるが、家の奥から掃除機が
「矢代彩佳さんですね?」
「ええ、そうですが……」
「和歌山県警の神代です。少しお話をお聞かせいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」神代が警察手帳を彩佳に提示する。
「けっ、警察ですか……。警察の人がうちになんのご用でしょうか?」キョトンとした表情で彩佳が尋ねる。
「10日ほど前に発生した殺人事件について、ですが……」
「さっ、殺人事件……、ですか。今、掃除してるとこなんで、散らかってますが、どうぞお入りください」彩佳は、神代たちをリビングのソファーに案内する。
彩佳がキッチンでお茶を淹れた湯飲み茶碗をもって、神代と宮田の前に座ると、「どうぞ」といって、茶碗をさし出す。
「恐縮です」といってひと口飲むと、神代がきり出す。
「10日ほど前、この街で殺人事件が起きたことは、ご存じですね」
「ええ、確か、浮島の森で起きた事件と違いますか?」
「そうです。事件が発生したのは、お燈まつり当日の2月6日深夜です。浮島の森の駐車場で男が撲殺されてました。それと、その日の早朝、熊野川に架かる紀勢本線の鉄橋の橋げたで水死体が発見されてます。ご存じありませんか?」
「知ってます。その事件も殺人なんですか?」
「はい、われわれは、ふたつの事件を連続殺人事件と考えております。
浮島の森で殺されたのは、東京の三鷹市在住の横山宏美という53歳の男で、熊野川の水死体は、愛知の小牧市在住の森田保という47歳の男です。このふたりをご存じないですか?」
「えっ、今、なんていいはりました?」きちんと聞きとれなかった彩佳が尋ね直す。
「横山宏美と森田保です。ご存じないですか?」
「はい、まったく知りません、そんな人は」
「この写真をご覧ください。見覚えありませんか?」神代が胸のポケットから写真を2枚とり出して、彩佳の前に並べる。
「いえ、知りません。会ったこともないと思います」
「そうですか。実は、われわれが調べたところ、このふたりに共通点がありました。
12年前倒産しましたが、あなたのお父さんが経営してたスーパーいずみやで、ふたりとも従業員として働いてたのです」
「いずみやの……」
「もう一度見てください。やはり見覚えありませんか?」
「そないいわれると、そうかもしれへんけど……。あの事件のとき、うちはまだ10歳だったんですよ。当時の従業員といわれても、ほとんど覚えてません……」
「そうですか。そうすると、最近、このふたりに会ったことは、ないのですね」
「もちろんですよ。もし街で見かけても、誰やかわかりませんよ。
ねえ、刑事さん、今回の殺人事件、いずみやの事件と関係してるんですか?」
「いえ、今はなんともいえません。10日前、横山と森田が連続して殺されました。ふたりの関係を調べたところ、ともにいずみやの従業員だったことがわかっただけです」
「そうなんですか……」思い詰めたように彩佳が黙りこんでしまう。
「ところで、12年前の事件のあと、矢代さんは、お祖父さんとお祖母さんに引きとられたと伺いましたが……」
「ええ、そうです。祖父母が、うちたち兄妹を引きとってくれて、この家で育ててくれました」
「事件のことは、教えてもらったのですか?」
「いえ、事件については、祖父母は、なんもいいませんでした。ただ、母はいつかここに戻ってくるって、それまで
でも、2、3年も経つと、それもいわんようになりましたが……」
「そのお祖父さんもお祖母さんも、すでに亡くなられてるのですよね」
「ええ、祖母は3年前亡くなり、祖父も1年前亡くなりました。ふたりには、とても苦労をかけたと思てます。なんの恩返しもできへんうちに亡くなってしもて……」
「今は、美容師をされてると伺いましたが……」
「ええ、2年前から近所の美容室に勤めさせてもらってます。ようやく一人前の美容師として、カットさせてもらえるようになりました。
高校を卒業するとき、祖父からは、大学に進学するよう勧められたんですが、あんまし勉強好きやなかったんで、専門学校に進むことにしました。なにか資格とろうと思て、美容の専門学校にしました。
当時、兄が大阪の大学に通ってたんで、大阪で一緒に暮らせば、生活費抑えられるんで、大阪の専門学校に進学したんです。2年後、美容師の免許無事とれたんで、真宮に戻ってきました」
「お兄さんは、大阪にとどまってるのですか?」
「ええ、兄は、大阪の商社に就職して、今も大阪で暮らしてます。
うちは、あんまし都会は好きやありません。2年大阪で暮らしてようわかりました。10歳のときから住んでる真宮の街が好きなんです。海があって、山と川があって、寂れた田舎ですが、ここが好きなんです。自分にあった街だと思てます」
「12年前、お父さんが殺されたあと、お母さんが2億円もち逃げして駆け落ちしたということは、ご存じですよね?」
「ええ、知ってます。あのときは、父が死んで、母が行方不明とだけしか知りませんでしたが、何年か経って、母がお金もち逃げしてたと知りました。しかも若い男の人と駆け落ちまでして」
「それを知ったとき、どう思われました?」
「信じられへんかったです。すぐに祖父に確かめました。そしたら、母がそんなバカなことする人やないと、きつく叱られました。お前が菜穂子信じてやらんと、どないするんやって、いうて……」
「そうですか。それで、矢代さん自身は、お母さんが今でもどこかで生きてると思いますか?」
「……、なんともいえませんよ。もう12年も経ってますから……。でも、もし母が生きてるんだったら、一度会ってみたい気がします」
感情がこみあげてくるのを我慢し、涙ぐんだ彩佳を目の前にして、神代はなにもいえなくなるが、意を決して肝心の質問をする。
「これから話すことは、あくまでも推測にすぎませんので、そのつもりで聞いていただきたいのですが……。
駆け落ちして2億円もち逃げしたとされるお母さんは、実は、事件当日殺されてて、別の人間が金を奪ってたとは、考えませんでしたか?」
「……。あっ、そういえば……。ちょっと待ってもらえますか?」
立ちあがった彩佳が、奥の部屋に消える。5分後、彩佳は、古い大学ノートを手にしてリビングに戻ってきた。
「これは、去年祖父が亡くなり、四十九日の法要をすませ、遺品を整理してたとき、見つけたんです。うちたちには、12年前の事件については、なんも話してくれへんかったけど、祖父は祖父なりに、事件のこと調べてたようなんです。このノートは、祖父が調べたことを記録したものです。
刑事さんがいわはったことと同じことを祖父が書いてたのを、今思い出しました。さっき、なんていわはりましたか、殺された人の名前?」
「横山宏美と森田保です」
「祖父は、そのふたりと、もうひとり山名孝昌という人が母を殺したんやないかって。そんで、2億円もその3人が盗ってしもたんやないか、と推理したようなんです」
「えっ、お祖父さんがそこまで……。そのノート見せてください」神代は、彩佳から手渡されたノートを手にとる。
古い大学ノートは、表紙にはなにも記入されていないが、いくぶん
表紙を
スクラップが終わると、剛造自ら調べた結果の記載が始まる。
「○○月○○日、菜穂子の大学時代の友人○○○○氏、名古屋市南区の自宅を訪問。菜穂子の消息を尋ねるが、手がかりなし。事件のひと月前に電話で話したが、変わった様子はなかったとのこと」というようなメモ書き。
訪問月日を見ると、事件直後は、ひと月に2回のペースで、剛造が仕事の合間を
順を追って見ていくと、半年後、桑名の黒田哲三を訪ねた記載がある。菜穂子の友人だけでなく、いずみやの従業員にまで範囲を広げていることがわかる。
そして、彩佳が指摘したノートの最後には、次のように綴られている。日付の記載がないことから、調べた結果でなく、剛造の考えをまとめたものと推測される。
事件から2年あまり、できる限りの手を尽くし、菜穂子の消息を追うが、なんの手がかりも見つけることができなかった。
幸彦君が殺害された事件当日、病院に同行した菜穂子が警察で事情聴取されたあと、9時すぎ事務所に帰ってきたことは、何人かに確認することができたが、それ以降の足どりがまったく不明。家に戻った形跡もなく、菜穂子は、着の身着のままで逃げ出したことになるが、あまりにも現実離れしているように思える。
逃走先もあたれるところは、すべてあたったつもりだ。生まれ育った真宮と大学時代から暮らし始めた名古屋以外には、菜穂子に頼るべきところはないはず。
中学・高校・大学の友人で、あたれる友人はすべてあたってみたが、菜穂子から連絡を受けた者は、ひとりもいない。菜穂子から直接名前を聞いたことがある友人は、直接訪ねたが、すべて無駄足だった。
そうなると、あの日、菜穂子は、事務所から
考えたくもないが、これしか可能性は、残されていない。警察から一度事務所に戻った菜穂子は、何者かに殺され、遺体をどこかに隠されたのではないかと。
では、いったい誰が菜穂子を殺した犯人なのか。犯人は、2億円のもち逃げを菜穂子の仕業にして大金を手にしているはずだ。殺すことだけなら誰でもできるが、金を奪うには、内部事情に精通した者でしかできない。
そうなると、いずみやの従業員が疑わしい。
社長の幸彦君と専務の菜穂子を除くと、いずみやの従業員は、常務の横山宏美、生鮮食品担当の黒田哲三、食料品担当の森田保、日用雑貨担当の山名孝昌、経理担当の秋山翔太の5人。この5人が正社員で、これ以外に10数名のパート社員がいるが、金のもち逃げとなると除外していいはずだ。
5人のうち菜穂子と駆け落ちしたとされる秋山翔太を除くと、横山宏美、黒田哲三、森田保、山名孝昌の4人。この中から、事件半年後、自宅まで訪ねて話を聞いた黒田哲三は、話した感触では除外できる。そうすると、犯人は、横山宏美、森田保、山名孝昌の3人に絞られる。
数ヵ月前、山名が尾鷲にいることがわかり、かつて住んでいた家を訪ねてみるが、会えなかった。すでにその家は人手に渡り、近くに親類縁者もおらず、山名の消息を知る人は、誰もいなかった。
横山宏美と森田保については、情報がまったくなく、どこでなにをしているかが不明。いかにも疑わしいと思われる。
しかし、仮に菜穂子が殺されていたとしても、このまま無駄に犯人捜しを続けても、なんのメリットもないことを痛感する。いくら過去を振り返ったとしても、未来にはつながらない。
今は、謙一と彩佳を育てることに全力をあげるべきではないのか。ふたりには、頼れるのは私たち夫婦しかいないのだから。
これ以上、菜穂子を探すことはやめよう。そして、犯人を捜すことも。
今日からは、前だけを向いて生きていこう。それが謙一と彩佳にとってもいいはずだから。
「このノート、誰かに見せたのですか?」
ノートを熱心に読んでいた神代が、顔をあげて彩佳に尋ねる。
「見つけたとき、兄に見せましたが、パラパラと捲っただけで、昔のこと今さら
うちは、祖父が一生懸命母について調べたことなんで、全部読みました。そうせんと、祖父が可哀想な気がして……」
「どう思いました?」改めて神代が尋ねる。
「ビックリ、しましたよ。特に最後のとこは……。母が殺されてるって、書いてあるんですもの。
でも、うちらには、どうしようもないことなんですよ。これを警察にもっていっても、相手にされへんと思いました。すべて祖父の推測にすぎず、なんの証拠もないんですから。
兄がいったことも、もっともなことやと思いました。今さら昔のこと穿り返しても、なんもならんですから……」
「そうですか、わかりました。このノート、しばらくお借りするわけにはいきませんか?」
「ええ、かまいませんよ」
「では、しばらく預からせていただきます」
「最後に、2月5日から7日まで、なにをされてたか、教えていただけませんか?」
「うちのアリバイですね」
「ええ、あくまでも参考までに教えてください」
「わかりました。ちょっと待っててもらえますか?」といって立ちあがり、彩佳は、キッチンのテーブルに置いてあるバッグから手帳をとり出して戻ってきた。
「5日は、特になんもありませんでしたから、いつものように6時まで美容室で働いて、家に帰りました。帰ってすぐ1時間くらい犬と散歩しました。そのあとは、家ですごしたと思います。
6日は、お燈まつりの日ですよね。兄が帰ってくるんで、6時に仕事を終えると、急いでスーパーに立ち寄り、食料品買いこんで、家に帰ってから、兄と一緒に夕食食べました。7時すぎ、兄と一緒にお燈まつり見にいって、家に戻ったんは、8時半頃やと思います。兄が隣の動物病院の圭太さんと会うんが久しぶりやったんで、一緒に飲むことになり、9時すぎから12時頃まで家で飲んでました。
7日は、10時から祖父の一周忌の法要が行われ、列席してくれはった人たちと一緒に近所の割烹でお昼を食べて、午後から仕事にいきました。兄は、午後の特急で大阪に帰ったはずやと思います」
「わかりました。ありがとうございます」
神代は、矢代宅を辞去すると、隣の動物病院の圭太に彩佳のアリバイの裏をとるよう宮田に命じる。
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