第22話 百合子は駆け落ちした翔太の実母だった!
お燈まつりから12日後の木曜日。
夕方、大輝が地裁支部での公判を終えて帰るのを、大輝の執務室で神代と長岡が待ちかまえていた。
「検事が
「やっぱり、そうでしたか……」大輝がうなずく。
「早速ですが、秋山百合子について、聞きこんだことを報告させてもらいます――」今度は、長岡が報告を始める。
八田が町屋署で聞いてきたとおり、秋山百合子と山名孝昌の姉弟は、真宮で生まれている。ふたりの母親は、山名の養父の妹で、尾鷲から真宮に嫁いできていた。
弟の山名があと継ぎのいない伯父夫婦の養子になったあとも、姉の百合子は、真宮で育ち、地元の高校卒業後、信用金庫に勤めていたが、37年前、那智勝浦の役場に勤務していた秋山
翔太は、秋山夫妻の長男で、那智勝浦で生まれ育ち、串本の高校を卒業したあと、名古屋の大学に進学。公認会計士を目指していた翔太は、大学卒業後も会計士の勉強を続けるため、いずみやに就職し、経理担当として実務を学んでいた。
今から3年前、すでに夫に先立たれていた百合子は、当時真宮でひとり暮らしをしていた母親が高齢のため介護が必要になったので、那智勝浦の家を引き払い、生まれ故郷の真宮に戻り、母親の介護をしていた。しかし、その母親も2年前に亡くなっている。
「これは、那智勝浦の百合子の親しい友人に聞いた話なんですが、翔太の就職は、百合子が専務の和泉菜穂子に頼んで実現できたそうです。当時は就職難の時代なんで、翔太が思うように就職できず、それを見かねた菜穂子がいずみやに引きとったようなんです。
百合子は、菜穂子よりも5つ年上ですが、家が近所の幼馴染で、真宮にいた頃は、ずいぶん親しくしてたようなんです」
「確か、山名の元妻は、山名がいずみやに就職したのも、姉の百合子が世話したということをいってましたよね?」
「そうなんです。百合子は、弟と息子、ふたりの就職を菜穂子に頼んだことになります。それだけ、百合子と菜穂子は、親しかったということなんだと思います」
「秋山夫妻には、翔太のほかにもうひとり息子がいまして、その息子が、百合子が山名の遺体を引きとるのにつき添ったようです。
翔太と6つ離れてますが、圭太といって、今真宮で獣医を……」獣医と聞いて驚いた大輝が長岡を遮る。
「にこにこ動物病院の獣医じゃないですか?」
「そうです。よくご存じですね。検事の知りあいですか?」
「ええ、ケントを引きとらせてくれた獣医なんです。
ケントというのは、僕が真宮にきて飼い始めた犬ですが、その獣医が捨てられてた犬を保護してたのを僕が譲り受けたんです。今でも、ケントの具合が悪いときは、看てもらったりしてますが……。
そうすると、秋山百合子は、動物病院を手伝ってるあの女性ですね?」
「そうです。秋山百合子は、息子がひとりでやってる動物病院を手伝ってます。
検事は、百合子とも面識があるんですか?」
「ええ、面識があるといっても、何度か顔をあわせた程度ですが……」
「そうですか。それは知りませんでした。
それでは、百合子の次男、圭太について、わかったことを報告させてもらいます――」長岡が報告を再開する。
那智勝浦で生まれ育った圭太は、真宮の高校に進学する。当時、百合子の父親、翔太・圭太にとっての祖父は、すでに他界しており、祖母が真宮でひとり暮らししていたので、孫である圭太がときどき様子を見るため真宮の高校に通うことにしたらしい。
圭太は、高校卒業後、獣医を目指して大阪の獣医大学に進学。獣医免許を取得したあと、そのまま大阪の動物病院に3年ほど勤めていたが、2年前祖母が亡くなったのを契機に、百合子は、大阪にいた圭太を呼び寄せ、実家の1階を改装して、圭太に動物病院を開業させる。
以来、百合子と圭太は、動物病院兼住居にふたりで暮らしている。まだ人を雇うまで余裕がない息子を援けるため、百合子は動物病院を手伝っているという。
「あの親子が、今回の事件にかかわってるんですね……」長岡の報告が終わると、大輝がぽつりとつぶやく。
「検事の印象は、どうなんです?」神代が尋ねる。
「印象といっても、つい最近知りあったばかりで、はっきりしたことはいえませんが……。息子の獣医は、とても動物愛に満ちあふれた人で、僕がケントを引きとるにあたり、飼い主がすべき基本的なことをレクチャーしてくれました。
母親のほうは、温厚で世話好きで、どこにでもいそうな普通のおばさんですが……」
「ふたりとも、殺人など犯す人ではないと?」
「いえ、それは、なんともいえません。人には、それぞれ人にはいえない事情や感情を抱えてるものですから……」
「それで、アリバイのほうは、どうなんですか?」気をとり直した大輝が尋ねると、その質問に神代が答える。
「まず森田が死亡した2月5日夜10時から翌日2時の間については、百合子・圭太とも、アリバイは確認されてません。夜遅い時間帯で、仮にふたりとも家にいたとしても、第三者が証言することは難しいと思います。
横山が死亡した2月6日の夜10時から12時については、百合子はありませんが、圭太は、隣の矢代宅で謙一・彩佳の兄妹と一緒に飲んでたようで、アリバイがあります。これは、謙一・彩佳のアリバイを確認した際、圭太本人にも聞いてますので、間違いないと思います」
「そうすると、ともにアリバイがないのは、百合子のほうですね」
「そうなります」
「ところで、ふたりとも、車を運転するのですか? 確か、動物病院には、軽自動車があったように思いますが……?」大輝が長岡に尋ねる。
「動物病院の診察は、基本的に外来だけで、特別に頼まれたときだけ、往診してるようです。往診は、近所だと圭太が自転車で、遠方だと百合子がその軽自動車に圭太を乗せていくようです」
「圭太は、運転しないのですか?」
「ええ、圭太が免許もってるかどうかは、確認してませんが、移動手段は、もっぱら自転車のようです」
「そうですか……」とつぶやいたきり、大輝が黙ってしまう。
「検事、明日にでも、まず秋山百合子から事情聴取したいと思いますが、よろしいでしょうか?」神代が大輝に同意を求める。
「ええ、やってください。周辺からは、これ以上のことは出てこないと思いますので、あとは、本人から聞くしかないでしょう」
「そうですね。では、明日、秋山百合子の事情聴取を行うことにします」
「お願いします」
神代と長岡が執務室から退去したあと、大輝は、自席でひとり思考を巡らせる――。
あの親子が、今回の事件に、ほんとにかかわっているのだろうか?
今のところ、もっとも疑わしいのは、アリバイのない秋山百合子のほうだ。でも、あの女性が、ほんとうに横山宏美と森田保を殺害したのだろうか? 動機だけを考えると、息子と弟、それに親しい幼馴染まで殺されているのだから、十分すぎる動機があるのは間違いない。
でも、なぜ12年も経った今なのか? おそらくわが子が行方不明になっているのだから、母親として捜索に手を尽くしたに違いない。矢代剛造と同様、百合子もわが子の消息を追い求めたはず。しかし、行方不明から12年も経った今でも、探し続けているとは考えられない。すでに探すのを諦めているはずだ。剛造さえも2年あまりで諦めたのだから。
そうなると、百合子は、最近になって新しい情報を得たのではないか? それは、おそらく実弟の山名からではないか? 山名が過去の犯行を悔い、
菜穂子と翔太が駆け落ちして、2億円もち逃げしたのではなく、事件当日ふたりとも殺され、遺体をどこかに隠されていた。もち逃げされたとする2億円は、横山・森田・山名の3人で山分けされていたことを知った百合子は、どうするだろう?
すでに殺されてしまっている以上、横山たちを捕まえるよりも先に、菜穂子と翔太の遺体を見つけ出そうとするのではないか? それが、横山のポケットに入っていた犬山大社のお守りではないか? 早く遺体を見つけてほしいとする百合子のメッセージではないかと……。
でもそうであるならば、なぜ山名は、12年も経った今になって、百合子に真相を話したのか? 過去の自分の行いを悔い、懺悔するならもっと早く話してもいいはずだ。翔太は山名の甥なのだから、百合子が必死に翔太の行方を捜してるのも知ってるはず。2億円の分け前をもらった負い目から、百合子に話せなかったのか……。
ひとつの仮説として考えられるのは、百合子と山名の姉弟は、12年もの間一度も会っていなかった。いや山名が百合子から逃げていたのではないか? かつて店を潰したとき、なにもかも捨てて逃げ出した山名のことだから、百合子に顔向けできず、逃げていたのかもしれない。それが12年ぶりに再会し、山名が12年前の事件の真相を百合子に告白したのではないか……。
「検事、鈴木検事……」どこからか、前田香織の声が聞こえたような気がする。
「……」
「検事、どうしたんですか? なにぼーっと、してるんですか?」香織の呼びかけで、大輝はわれに返る。
「いえ、別に……」とり
「例の殺人事件のこと、考えてたんでしょう?」
「ええ、まぁ……」
「あの事件、12年前の事件がかかわってるって、聞きましたが……」
「そうなんです。今のところ、有力な容疑者は、2億円もち逃げしたとされる社長の妻の幼馴染で、一緒に駆け落ちした従業員の母親なんです。ふたりは、もち逃げしたのではなく、すでに殺されてて、別の者がお金を横どりしたという想定が前提になるのですが……。その母親が、ふたりを殺してお金を横どりした者たちに復讐したのではないか、とみてるんですが……」
「それで?」香織が先を促す。
「えっ、えぇ。なぜ、12年も経った今になって、復讐しようとしたのか、わからないんです」
「それを考えあぐねてたわけですか?」
「そうなんですが……」
「そんなに難しく考える必要なんて、ないんじゃないですか。その事実を今になって知ったからに、決まってますよ」香織が
「えっ……」
「今まで知らなかったから、できなかっただけですよ、きっと」
「そうですよね……」香織が大輝のモヤモヤを吹っ飛ばしてくれた。
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