第3話 突然の真宮支部異動辞令
大輝がこの街、
あと2週間で年が暮れるという年の瀬で業務多忙な最中、大輝は、突然
なにごとかと、
「どうかね、和歌山にも慣れたかね」
「ええ、まだ赴任して8ヵ月あまりですが、ようやく慣れたところです」
「そうかね、それはよかった。実は、君にきてもらったのは、ほかでもない人事異動なんだ」
「えっー」まったく予想していなかった須藤のひと言に、大輝は二の句が継げないでいる。
「突然で申しわけないが、君に真宮支部にいってもらうことになったんだ。
真宮は、人口3万人足らずの小さな街で、配置されてる検事の数も少ないんだが、そのひとりが病気療養のためしばらく休職することになってね。現場からは、早く補充してくれないと、業務に支障をきたすと、泣きつかれてるんだ」
「シングウ、ですか。どこにあるのですか?」
「君は、真宮を知らないのか?」呆れた表情で須藤が尋ねる。
「ええ、まだきたばかりで、和歌山のことは、詳しく知りません……」いいわけがましく大輝が答える。
「わが地検には、本庁のほか3つの支部があることは知ってるよね。
所轄する地域を大きく分けると、本庁が県北部、御坊支部が県中部、田辺支部が県南部で、真宮支部は県南東部を所轄する。
そうだね、和歌山県を長方形に例えると、和歌山市と対角線上にあるのが真宮市だよ。特急に乗れば、3時間でつくよ」
「特急で3時間ですか……」東京から新幹線で3時間も乗れば、大阪を通り越して、岡山あたりまでいっているだろう。大輝には、特急で3時間という距離が具体的にイメージできなかった。
突然の人事異動だが、断るどころか、異議さえさし挟むことができないのが公務員の宿命。今回の異動に際して、検事正からふたつの事柄が指示される。
ひとつは、年末までに担当している業務で処理できないものを、すべて他の検事に引き継ぐこと。
もうひとつは、年明けなるべく早く引っ越しをして赴任すること。引っ越し先は、すでに公務員宿舎を手配ずみだという。
異動辞令を受けてからは、猫の手を借りたくなるくらい多忙を極める。年内に処理できる案件を急ぎ処理し、処理しきれない案件を3人の検事に分担してもらい、それぞれ丁寧に説明し、引き継いでもらった。
引っ越しの支度を始められたのは、年が明けてからで、それほど荷物は多くないだろうとたかを
年明け1月4日、午前中に荷物を積みこんだトラックを見送ったあと、大輝は、あとを追うように特急くろしおに乗って真宮に向かう。
入り組んだリアス式海岸に沿って線路が敷かれているJR紀勢本線。特急といえども、カーブが多く、スピードを出すことができない。電車は、ゆっくりと
本州最南端の
奇妙な形をした大小の岩柱が、海岸線に沿ってそそり立つ。規則的な並び方が橋の杭に似ていることから、『
その昔、
和歌山に赴任して以来、どこにも出かけたことがなかった大輝にとって、はじめての旅らしい旅。ときどき聞こえる車内放送が、停車駅だけでなく、付近の観光名所を紹介してくれる。はじめて南紀を訪れる大輝のために、わざわざ観光ガイドをしてくれているような気がした。
真宮市は、和歌山県、奈良県、三重県の県境が接する紀伊半島の南東部に位置する人口僅か3万人足らずの地方都市。太平洋に面し、温暖で高湿多雨な気候風土により、豊かな水資源と樹木育成に恵まれた自然環境豊かな街。
古くから熊野信仰の聖地として、全国各地から参拝客が訪れ、熊野三山のひとつ熊野速玉大社の門前町として発展する。
江戸時代には、徳川御三家のひとつである紀州徳川家の
今でも、熊野地方の政治・経済・文化の中心地であるが、地方都市特有の人口減による過疎化が深刻な問題になり、真宮市もご多分に漏れず、徐々に寂れて活気を失っている。
危機感を抱いた真宮市民は、恵まれた自然環境と熊野信仰の聖地としての観光資源を活用した観光客の誘致に積極的に力を入れ始める。
そのうち真宮市には、熊野速玉大社と熊野参詣道があり、年々多くの観光客が訪れるようになり、徐々に活気をとり戻しつつある。
いくら活気をとり戻したからといっても、東京の
和歌山市に赴任した当時、巣鴨に比べると田舎だと思っていたが、和歌山市は、県庁所在地として人口35万人を擁する県下最大の都市。その10分の1にも満たない真宮で、果たして自分はうまく生活していけるのか、不安ばかりが募る。
大輝は、巣鴨の『とげぬき
正式には『
境内に立つ『洗い観音』と呼ばれている
JR山手線巣鴨駅から、とげぬき地蔵尊に至る通りが、『おばあちゃんの
大輝の住まいは、商店街から一本路地を入った一戸建て住宅。戦後間もなく亡き祖父が建てた家が老朽化したので、大輝が小学校に入学する前に建て替えられた。しかしそれでも築25年を経て、いくぶん古ぼけてきている。
父
祖母にのんびり育てられた大輝は、なにごとにも大らかで寛容であるが、とても競争社会で勝ち抜く気力も体力ももちあわせていない。それに気づいた両親は、中学に進学するにあたり、大学までエスカレーター式で進学できる大学付属中学校を受験することを大輝に勧める。
特に疑問を抱かなかった大輝は、両親のいいなりで受験したところ、池袋にある
家事を一手に引き受けていた祖母がいなくなったことで、その穴埋めをどうするかが、鈴木家の大きな問題となる。
手っとり早く家政婦を雇うと父がいい出し、母も同意するが、大輝が猛反対する。他人が家に入りこむことに抵抗があったのと、これでは、今まで家政婦代わりに祖母をこき使っていたことになり、あまりにも祖母が可哀想に思ったからだ。
3人で何度も話し合った結果、すべての家事を分担することにした。印刷会社に勤務する父は、朝早く出勤するが、夜は比較的早く帰宅するので、風呂の掃除を担当。出版社に勤める母は、朝は比較的ゆっくり目の出勤で、その代わり夜が遅いので、出勤前に洗濯を担当。大輝は、学校から帰ったあと、掃除全般と洗濯物のとりこみを担当することにした。食事は、朝、昼、夕の3食すべて各自で勝手に食べることに。ただし、大輝が中学を卒業するまでは、母が用意してくれた夕食を電子レンジで温めて食べていた。
以上が平日の分担で、休日は、父が掃除、母が洗濯と食事、大輝が風呂を担当。大輝の自立を促すためにしたことか、それとも単に家事が面倒なので、大輝に押しつけたのかが定かでないが、大輝は、苦にせず、楽しんで家事をこなしていた。
このような鈴木家の生活パターンは、大輝が大学を卒業するまで続く。家族というより、同居人のような生活であるが、互いに干渉することを控え、自主性を尊重する生活スタイルに、大輝はそれなりに満足していた。
そして、休日美鈴が食事を作るのが面倒になったのか、いつの間にか、日曜の夕食は、3人で外食することが日課になり、週に一度であったが、家族
印刷会社に勤めている父は、定年を迎えるが、役員として会社に残り、今も現役続行中。それに対して、出版社に勤めていた母は、1年前定年まで3年を残して退職。キャリアを積み、
中学、高校とのんびり付属校で過ごした大輝は、受験することなく、城北大学法学部に入学する。法学部を選んだのは、この世の中、法律を無視して生きることができないので、知っておいて損はないという単純な理由。
実際に法律の勉強を始めても、面白いとは思わなかったが、嫌だとも、自分に向いていないとも思わなかった。
大学では、サボらず授業に出席。決して真面目な性格だと思わないが、授業をサボることに
周囲からは、『クソ』がつくほど真面目だと思われているが、大輝自身が自分の性格を分析すると、至っていい加減な性格だと思っている。
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