第4話 大輝を大きく成長させた二度の挫折
大輝が就職活動の始まる大学4年に進級したとき、これまで順調だった人生を大きく
両親とも民間企業に勤務している姿を間近に見ていた大輝は、自分も同じようにどこかの民間企業で働くのだろうと、漠然とイメージしていたが、いざ
これだと思う企業の説明会に参加すると、立ち見が出るほどの盛況ぶり。履歴書やエントリーシートを送って応募しても、10社のうち面接に辿りつくのが数社だけ。その数社の面接を受けても、すべて一次で落とされる。志望理由を尋ねられると、一般的なことは答えられても、面接官を納得させるだけの意欲と熱意を伝えることができなかった。
このままではダメだ。とても
同じような思いで就職を諦めたゼミ仲間と話す機会があり、法科大学院に進学することを決めた仲間から、一緒に進学しないかと誘われる。大輝は、一時的なモラトリアムで、現実逃避とも思われたが、このままでは
司法試験制度が大きく変わっていた。それまでの司法試験は、資格試験ゆえに誰でも受験することができたが、専門職大学院である法科大学院が新たに設置され、これを修了することが、新しい司法試験の受験資格になる。
旧司法試験時代には、合格率僅か数パーセントの超難関に、何年もかかってトライする、いわゆる『司法浪人』を数多く輩出し、人的にも経済的にもムダが多いことから、制度が一新されたのである。
法科大学院制度の発足に伴い、司法試験の合格者数が大幅に増加したことは、歓迎すべきであるが、法曹を目指す者は、法科大学院の学費を負担しなければならず、これがバカにならない。
外車1台分に匹敵するとまでいわれ、国公立大ではまだしも、私立大では極めて高額で、財力のない者を法曹界から遠ざけているとの批判も少なくない。
法科大学院に進学するにあたり、大輝も学費のことが気にかかり、両親に相談したところ、ふたりとも積極的に賛成しなかったが、反対もせず、大輝の好きにしなさいということになり、快く学費を出してくれた。
幸いゼミの指導教授の推薦をとりつけることができ、秋に実施された内部進学の入学試験を受験し、無事に合格。大輝は、翌年4月城北大学法科大学院の既修コース(2年制)に入学する。
法科大学院でも学部時代と同様、大輝は、一度も授業をサボることなく、授業を受け続ける。ただし、勉強に集中したいので、長年続けてきた家事を免除してもらった。
将来、法曹人として活躍することを夢見て、真剣に勉強している大輝の姿を
無事に単位を修得し、法科大学院を修了した大輝は、その年の5月、司法試験を受験するが、期せずして不合格となり、二度目の
3年前の就活で、自分が考えるほど世間が甘くないことは、十分認識していたつもりの大輝であったが、この二度目の躓きは、大輝に大きなショックを与え、立ち直るまで時間がかかった。
やるだけのことはやったはずなのに、結果が伴わない。いったいどうすればいいのか……。不合格の発表からひと月、大輝は、勉強に集中することができず、
気落ちした大輝を
「まだ2回もチャンスが残ってるんでしょう。大丈夫よ! 次は絶対受かるよ!」
「運がなかっただけだよ! そのうちまわってくるって……」
「もっと気楽にやるのよ! 気楽に!」
「焦ることなんかないよ! のんびりやればいいのよ……」
ワインを1杯程度しか飲めない大輝と違って、両親は、ともにアルコールに強く、酒豪といっていいくらいよく飲む。
「試験に落ちたからって、命までとられやしないんだからさぁ」
「弁護士や検事になるだけが、人生じゃないってよ!」
「悪徳弁護士になって逮捕されるよりも、試験に落ちたほうがましだよ!」
「人間、権力を握ると、
最後は、慰めにも励ましにもなっていないが、大輝はだんだんと目頭が熱くなってきた。就職もせず生活の一切の面倒を看てもらっている上に、高額な学費まで負担させていることで、大輝には、早く結果を残さなければというプレッシャーがあったのも事実だった。
両親も、大学を卒業した息子がいまだ自立せず、親に面倒を看させていることを負担に思っているはず。それにもかかわらず、
大輝は、この両親の子どもとして生まれてきたことが一番の幸せだと思う。それぞれ自分勝手で好きなことをやって、家族ではなく、単なる同居人だとしか思えなかったが、ほんとうは強い絆で結ばれているのだと。
気をとり直した大輝は、猛烈に勉強を始める。もう二度と挫折はしたくないという思いが、大輝を駆り立てる。1日24時間、寝る間も惜しんで司法試験の勉強に打ちこむ。もうこれ以上できない、という限界まで自分を追いこんだ。
その結果、翌年5月、満を
合格の
修習期間は1年。分野別実務修習から始まる。
分野別実務修習とは、全国各地の地方裁判所、地方検察庁、弁護士会という実務の第一線において、経験豊富な実務家の個別指導のもと、実際の事件の取り扱いを体験的に学ぶ個別修習。民事裁判、刑事裁判、検察、弁護の4分野について、それぞれ2ヵ月ずつ、計8ヵ月実施。幸い大輝は希望が叶い、東京で修習することができ、自宅から通うことができた。
次が集合修習。実務修習の体験を補完し、体系的、
最後が選択型実務修習。司法修習生が分野別実務修習の4分野をひととおり修習したあと、自らの進路や興味、関心に応じて、主体的に選択できる課程。分野別実務修習の成果を深めたり、補完させたり、分野別実務修習では体験できない領域での実務を修習できる。大輝は、検察を選んで修習する。
司法修習が始まって間もなく、大輝は、進路で悩むことになる。
とにかく司法試験に合格することが最優先だった大輝は、法曹三者のうち具体的にどの道に進むかを決めていなかった。裁判官や検察官に任官できなければ、弁護士でもいいやと、
弁護士になる場合、司法修習を終え、法曹資格を取得したあと、弁護士会に登録すれば、弁護士として活動できる。
しかし、経験の乏しい弁護士に仕事を依頼する客など、いないのがあたり前で、弁護士志望の者は、法律事務所に就職し、いわゆる『イソ弁(
司法修習が始まると同時に、就活が始まるといっても過言ではない。大きな法律事務所には希望者が殺到し、簡単に就職できない。司法制度改革によって合格者数が増えたことで、必然的に弁護士の数も増えることになり、その受け皿が多くなかったからだ。
大輝の
とてもこの就活を乗りきる自信はない。弁護士がダメなら、残された選択肢は、裁判官か、検察官か。裁判官に任用されるのは、成績上位者に限られている現実を直視すれば、自ずと大輝がとるべき選択肢は、検察官しか残っていない。
大輝は、迷わず進路を検察官一本に狙いを定める。
人一倍正義感が強いわけでも、世に
例え弁護士になったとしても、自営業に等しく、弁護士社会の自由競争に勝ち抜く自信は、欠片ももちあわせていない。
進路を検察官一本に絞った大輝は、修習期間中に開催される検察官の任用説明会に積極的に参加し、先輩検察官から情報を収集。幸い司法修習では、上位でも下位でもない、ほどほどの成績を修めた大輝は、司法修習を終えると同時に、希望どおり検察官に任用される。
新任検察官に任用された大輝は、東京地検本庁において、約70人の同期とともに集合的導入教育を受けることに。講義が中心であるが、具体的な事件を題材に、捜査・公判に関する基礎的実務能力を修得する。
そのあと、新任検察官は、東京地検本庁と大阪地検本庁のふた手に分かれ、引き続き基礎的実務能力の向上が図られ、大輝は、東京で受けることができた。
1年の導入教育を終えた新任検察官は、地方都市に赴任することが慣例で、大輝は、仙台地検に配属され、生まれてはじめて親元を離れ、ひとり暮らしをすることに。
地方都市での2年が終わると、今度は大都市に戻されることになり、東京、立川支部、横浜、さいたま、千葉、大阪、京都、神戸、名古屋のいずれかの地検本庁または支部に配属される。大輝は、さいたま地検に配属され、2年ぶりに巣鴨の実家に戻り、自宅から通った。
さいたま地検時代には、嫌な思いをたくさんした。
犯罪と向きあう検察官に自分は向いていないと、ずいぶん悩んだこともあった。もうやめてしまおうかとも思った大輝であるが、犯罪者とかかわる中で、自分のなにかが少しずつ変化していくのも感じていた。
ようやく踏んぎりがつき、自分なりに理想とする検察官を目指せるようになった矢先、思わぬ人事異動が発令される。さいたま地検に赴任して2年が経過したときだった。
突然和歌山地方検察庁への異動をいい渡される。旅行など滅多にしない大輝は、高校の修学旅行でいった京都と奈良より西にいったことがなく、和歌山は未踏の地。不安を抱えながら赴任することに。
その和歌山に赴任して8ヵ月あまりが経ち、
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