第5話 ケントとの運命的な出会い?
大輝が
午前中に溜まった家事をこなした大輝は、近所の散策に出かける。買い物をするスーパーやクリーニング店、食事ができる飲食店など、これから生活する上で必要な店を調査するために。
帰り道、路地を歩いていると、大輝は、犬の鳴き声に呼びとめられる。
立ちどまりふり返っても、どこにも犬の姿が見えない。不思議に思った大輝が、
普通の民家の1階を改装した動物病院。玄関に新しい自動ドアの入口を
大輝が近づくと、子犬は、ケージに前足をかけ、後ろ足二本で立ち上がり、「ワン、ワン」と吠えながら、ときどきジャンプし、まるで早くここから出してくれと、叫んでいるようだ。耳と頭の中央が茶色で残りはすべて白い子犬は、ケージに前足をかけたまま潤んだ目で大輝を見つめ、甘えるように吠えている。
胸がドキッとした。大輝は、なにか運命のようなものを感じた。
しばらく子犬と見詰めあったまま
驚いた大輝は、どうしようか迷ったが、このまま突っ立っているわけにもいかず、とりあえず中に入る。そうすると、子犬は、迎えにきてくれたと思ったのか、勢いよく吠えながら、ケージに前足をかけたまま、何度もジャンプを繰り返す。
動物病院の中は、手前が待合エリア、奥が診察エリア、長さ2メートルほどのカウンターで仕切られている。待合エリアは、3畳ほどのスペースに木製のふたりがけの椅子がふたつL字型に配置。診察エリアは、中央に診察台、左側にパソコンが置かれた事務机、右側の壁面に薬品などが収納されたキャビネット、正面奥に箱型のケージが縦横2個ずつ計4個配置されている。右上のケージには猫が入っているが、残りは空。
「すいません」大輝が声をかけるが、誰もいないのか、反応がない。
「すいません。どなたか、いらっしゃいませんか?」もう一度大輝が呼びかけると、「はーい」という声が奥からする。診察エリアの左側にあるドアが開き、50代と思しき女性が姿を見せる。
「こんにちは。……」とりあえず挨拶したものの、なにをどのように話せばいいのか、思い浮かばない大輝は、言葉に詰まってしまう。
「いらっしゃい!」といってその女性は、大輝の傍までやってくる。
「ごめんなぁ。今、近くに往診に出てるんよ。もうちょっとしたら、戻ってくるはずやから。待っててくれはる?」
「はっ、はい……」
「もしかしたら、この子のことで?」といいながら、女性は、ケージの中で飛び跳ねていた子犬を抱きかかえると、それまで勢いよく吠えながらジャンプしていた子犬は、大人しく女性に抱かれる。
「ええ、表に貼り紙があったものですから……」
「そうなの? この子、もろてくれはるんですか?」
「はい、できれば、そうしたいと……」
「それは、それは……、どうもおおきに。
犬って、抱かれたりするの嫌がる子多いのに、この子、抱いてやると、いつまでも大人しく抱かれてるんですよ。どうです、抱いてみます?」
子犬をさし出され、戸惑いながらも、両腕で抱きかかえてやると、子犬は大人しく大輝の胸に収まる。人恋しいのか、はじめて抱いてやった大輝でも、大人しくしている。しばらくすると、安心したのか、子犬がうとうと眠り始めたのには、大輝も驚く。
そのとき、表でキッーという自転車のブレーキ音がした。
しばらくすると白衣の上に黒のベンチコートを羽織った青年が、黒の分厚い鞄を肩にかけて入ってくる。中肉中背でやや太りぎみ。丸顔で幼く見えるが、大輝と同年代だろう。白衣を着ていることから、この動物病院の獣医と思われる。
「お帰り」と女性が声をかけると、青年は、「ただいま」と返事。
すると、大輝に抱かれて眠っていたはずの子犬が、いきなり飛び降り、「ワン、ワン」と、青年の足元に駆け寄り、二本立ちになって獣医の脚にすがり、歓迎の意を表す。中腰になって、「ただいま、ケント。お
「
「はじめまして、鈴木と申します」大輝が挨拶すると、大輝を一瞥した獣医がおもむろに尋ねる。
「あんた、見かけん顔やけど、どこに住んどるんや?」
「この先の公務員宿舎です」
「公務員?」
「はい、検察庁に勤めてます」
「検察庁って、もしかして、検事さんか?」
「そうです。1週間前、赴任したばかりですが……」
「そいでなんや、この子を飼いたいんっていうんかいなぁ」
「そうです。できれば、お譲りいただけないかと……」
一瞬眉をひそめた獣医は、「ちょっと、そこで待っててくれるか」といって、診察エリアに入り、鞄を机の上に置き、ベンチコートを脱ぎ、コートハンガーにかける。子犬があとをついてきたので、「あかんで、ケント。ハウス!」
獣医のひと声で、ケントは、すごすごと引き返してきたので、大輝がケージの中に入れてやる。
獣医は、しばらく机上の書類に目を通していたが、それが終わると、待合エリアにきて、待合用の椅子に腰をかける。
「まあ、座りなはれ」といって、隣の椅子を大輝に勧める。
「この子、10日ほど前、暮れの押し迫った
まあ、たいしたことのうて、2、3日で元気になったんやけどなぁ。
この子、見かけはパピオンに見えるけど、純潔種と違ごて、おそらくチワワか、ポメラニアンとのミックスやと思う。生後1年か、1年半。性別は雄。元の飼い主は、誰かまったくわからず
ケントがこの動物病院にきた経緯を説明した獣医は、真剣な眼差しを大輝に向け、話を続ける。
「そいで、あんた。本気でこの子、飼いたいんかいなぁ?」
「はい、そのつもりですが……」
「公務員宿舎じゃ、ペット、飼えへんのと違うか?」
「ええ、そうですが……。もしお許しをいただけるのであれば、ペットの飼えるアパートに引っ越すつもりです」
「引っ越すってかぁ。まあ、それはわかったわ。あんた、犬飼った経験は?」
「小さい頃、飼った経験があります」
「小さいって、いつや?」
「小学生の頃です。祖母が飼ってました」
「婆ちゃんかいなぁ。それやったら、ほとんどないのと同じやなぁ」
「あのなぁ、なんでこんなこというかっていうたら、最近、無責任な飼い主が多いからや。
ケントの飼い主もそうや。おそらく引っ越しかなんかで連れていくことできんので、置いていかれたんや。ほんま可哀想なことやで。
ケントも、それがトラウマになって、夜ひとりでいるのを怖がるんや。この子が人に馴れ馴れしいのも、もう二度と捨てられとうないからやと思うわ」
獣医は、しばらく大輝の反応を伺っていたが、大輝は、なにもいえず黙っている。
「あんた、犬の平均寿命、いくつか知っとるか?」
「いえ、詳しくは、知りませんが、10年くらいですか……」
「そんなに短くないんや。犬種にもよるけど、小型犬だと約15年。これが平均で、長く生きる犬やと、20年近く生きるんや。あんた、これから15年、この子を責任もって面倒看ると約束できるか?」
「……」
「できへんやろ。15年いうたら長いでぇ。
それに、猫と違ごて犬は、餌をやるだけではのうて、散歩させなあかん。毎日やで。運動させてやらんと、病気になってしまうんや。
それにこの子、用便を家の中ではせいへんよう
そんで、あんた、独身やろ?」
「そうですが……」
「そんならなおさらやなぁ。ひとりで面倒を看るんは大変や。出張にもいけへんで。若いんやから、無理することないやろ。
悪いことはいわん、やめときなはれ!」
「……」
圭太にいわれたことはもっともなことで、なにひとつ反論できない大輝は、諦めてすごすご帰るほかなかった。
家に帰った大輝は、もう一度よく考えることにした。ほぼ衝動的に犬を飼おうと思ったのは、確かだったが、なぜ今になって、犬を飼おうと思ったのか、自分でもよくわからない。ケントをひと目見た瞬間、運命的な出会いを感じたとしかいいようがないのだ。この子は、僕と一緒に暮らす運命だと。
昔、祖母が飼っていた犬は、『サブロウ』という名の雑種の雄で、外の犬小屋で飼っていた。散歩も餌をやるのも、祖母の役目で、祖母が亡くなって半年もしないうちに、祖母のあとを追うように死んでしまった。大輝が学校から帰って鳴き声がしないので、犬小屋をのぞいてみると、死んでいたのだ。確か12歳くらいだったと覚えている。
そのとき、大輝は自分を責めた。自分がもう少し世話をしてあげれば、サブロウは死ななかったのではないかと、後悔したのだ。母は、祖母と同じぐらい高齢だったので、
真宮に赴任して寂しく感じていたのも、ケントと暮らしたいという大輝の願望を掻き立てていたようだ。
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