第6話 お燈まつりの翌朝、浮島の森で撲殺死体が!

 ケントをひと目見た瞬間、運命的な出会いを感じた大輝は、どうしてもケントを諦めきれない。

 獣医の圭太に素気すげなく断られた次の日、再びにこにこ動物病院にいってみるが、入口のドアに『本日休診』の札。日曜日のため休診だった。病院内は、カーテンが引かれ、中を伺うことができず、ケントを見ることさえできなかった。


 その翌日、どうしてもケントを諦めきれない大輝は、仕事を終えたあと、意を決して三度みたびにこにこ動物病院を訪れる。

「あんた、またきたんか。諦めの悪いやっちゃなぁ」

 中に入る早々、圭太に投げやりな言葉を浴びせられた大輝は、たじたじになりながらも、覚悟してきり出す。

「どうしてもケントを飼いたいんです。一緒に暮らしたいんです。僕に任せていただけませんか?」


 しばらく無言で大輝をにらんでいた圭太は、大きな溜め息を吐く。

「こないだもいうたけど、あんた、この子が死ぬまで面倒看る、覚悟あるんか? そんでないと、この子、任せるわけにはいかへんのや!

 どうや、死ぬまで面倒看ると誓えるか?」

「誓います。必ずケントが死ぬまで面倒を看ます。ですから、僕にケントを任せていただけませんか?」

 大輝は、正面から圭太を見据え、躊躇ためらいなくいいきる。


 この前の自信なさげな表情から一変した大輝に気圧けおされ、二の句を継げない圭太は、しばらく困った表情で黙っていたが、意を決して返事する。

「わかったわ。そこまでいうんやったら、あんたにケント、任せたるわ!」

「ありがとうございます」大輝は、圭太の手をとってお礼をいう。

「そんで、いつ引っ越すんや?」

「いえ、それはまだ……」


 大輝は、もしケントと一緒に暮らすのであれば、公務員宿舎に住むことができず、引っ越さなければならないことは承知している。しかし、肝心の圭太の許しが得られないことにはなにも始まらないので、まだ準備はおろか、転居先も探していない。

「これから、ペットが飼えるアパートを探すつもりです」

「そんなら、ケントが使うケージ、ついでに用意しときやぁ。

 家の中で飼うんやろ。そしたら、まずケージが必要や。こんなフェンス型のケージがええやろ。あんまし大きいと邪魔になるよって、これよりも小さいほうがええやろなぁ」圭太は、待合エリアに据えつけてあるケージを指さす。


「それと、水飲み用のボトルとえさ皿が必要や。水は、皿に入れて飲ましてもかまわんけど、それやと、蹴っ飛ばしてこぼしたりするんで、今は、ノズル式の給水ボトル、ケージにぶら下げるんが一般的や。ケントもノズル式に慣れとるから、同じものを買うたらええ。

 それから、ベッドは、今使つこてるこれ、もっていったらええから、買わんでもええで。ケントも自分の臭いついとるから、安心して寝られるはずや。

 あとは、散歩用のリードやな。首輪は、前につけてたのがあるから、それを使えばええ。リードだけ用意しときや」

「わかりました。すぐに用意します」

「全部用意できたら、いつでも迎えにきなはれ!」

 これまでとは態度がすっかり変わった圭太にはげまされる思いで、大輝は、にこにこ動物病院をあとにする。


 ところが、引っ越しをするのに思いのほか手間どってしまう。

 引っ越したばかりの大輝の転居の申し出に上席検事が異を唱えたのだ。理由が犬を飼うためというのが、説得力に欠けたのかもしれない。大輝の公務員宿舎の手配は、地検の検事正自らが行ったため、自分の一存では許可は出せない。どうしても転居したいのであれば、直接検事正の許可をとってくれ、というのが彼のいい分だった。

 検事正の名前を出せば、諦めるだろうと思ったのかもしれないが……。


 しかし、すでにケントと暮らすことを決意していた大輝は、簡単に諦めるわけにはいかず、直接須藤検事正に電話をかけ、転居の許可をとろうとした。

 最初は、渋った検事正だったが、大輝の熱意に心を動かされたのと、強引に真宮しんぐうに赴任させたという負い目があったためか、公務員宿舎と同程度の近距離に居をかまえることを条件に許可を出した。


 直ちに大輝は、ペットが飼育できるアパート捜しに奔走ほんそうする。

 しかし、困ったことに、近所の不動産屋にあたってみても、『ペット可』のアパートが少ない。正確には、ペットについて、可も不可も入居条件にしていないアパートが圧倒的に多いのだ。だからいいだろうというわけにもいかず、結局、近くの手頃なアパートに目星をつけ、大家とすでに住んでいる住民全員の了承をとりつけることになる。これに思った以上に時間がかかり、大輝が転居できたのは、ケントと出会った日から2週間が経過した土曜日。


 この日、午前中に引っ越しをすませ、急いで部屋を片づけ、夕方大輝は、ケントを迎えににこにこ動物病院に向かう。

 圭太は、ケントを引き渡すにあたり、こと細かく犬の飼い方について、大輝にレクチャーする。はじめて犬を飼うに等しい大輝は、メモをとりながら真剣な眼差しで圭太の教えを授かる。

 圭太の教えは、実に10項目にのぼる。


 1.市役所にいって、犬の登録を行い、鑑札を交付してもらう。それを首輪につけておくこと。

 2.1年に1回狂犬病の予防注射を受けること。市役所から送られてくる葉書があると、補助を受けられる。

 3.食事は朝夕の2回。主食はドライのドックフード。量は1回につき50CC程度。好みに応じて缶詰めのドックフードを与えてもいい。ただし、定量にとどめる。ほしがるからといって、与えすぎてはいけない。食後忘れずに歯磨きガムを与えること。

 4.原則として人間の食べ物を与えてはいけない。犬がドックフードを適量食べている限り腹を壊すことはない。おやつを与える場合も、犬用のものを与えること。

 5.朝夕の2回、あわせて1~2時間の散歩をすること。雨の日はやむを得ないが、天候が悪くない限り必ず散歩して、運動不足にならないよう注意すること。

 6.天候が悪くて散歩できないときでも、用便のため必ず朝夕の2回外に連れ出すこと。

 7.出張などで半日以上留守にするときは、ケントをひとりにしておかず、ペットホテルに預けること。万一ホテルの手配がつかないときは、2、3日であれば、動物病院で預かることもできる。

 8.2週間に1回シャンプーで全身を洗ってあげること。シャンプーは、犬用の弱酸性のものを使用すること。犬は人間よりも肌が弱い。

 9.1年に1回健康診断を受診すること。

 10.様子がおかしいと感じたときは、躊躇ちゅうちょせず動物病院に連れてくること。


 真宮に赴任した当初は、想像もしていなかった、大輝とケントの生活が始まる。

 新居は、公務員宿舎と比べると、手狭であるが、キッチン・バス・トイレ以外にふた間あり、ケントと暮らすには十分すぎる広さ。

 散歩は、夕方仕事の関係でできないこともあるので、朝最低1時間散歩することにして、毎朝6時に起床する。散歩コースは、熊野川堤防、熊野速玉大社、熊野灘の王子ケ浜など、自然豊かな真宮には、適した場所が至るところにある。



 大輝がケントと暮らし始めて2週間が経過したお燈まつりの翌日早朝。

 ときどき大輝がケントとの散歩でそばを通る『浮島うきじまもり』で、撲殺死体が発見される。

 浮島の森は、沼に浮かぶ面積約5000平方メートルの島。スギ、ヤマモモ、ヤブニッケイなど、130種類に及ぶ植物が森を形成。湿地に生息するヨシやカサスゲなどが、枯れて完全に分解しないまま堆積してできた泥炭層でいたんそうの上に、植物の種子が飛来し、生息したもので、実際に水に浮かんでいる。

 北方系から亜熱帯系までの植物が生息する珍しい森で、国の天然記念物に指定されている。


 遠い昔、『おいの』という評判の美女が大蛇に飲みこまれたという悲しい伝説が残る『じゃがま』が、浮島の中央部にある。

 江戸時代の国学者、上田うえだ秋成あきなりが、この伝説をもとに『雨月物語うげつものがたり』の1遍、男が蛇の化身である女につきまとわれるが、最後は、道成寺どうじょうじの僧侶に退治される『蛇性じゃせいいん」を書いたともいわれている。

 浮島の森は、真宮の市街地の中央部に位置するものの、幹線道路から外れた閑静な住宅街にある。森の入口に入場券や土産物を販売する小さな建物、その手前に来客用の駐車場。その駐車場で男が頭から血を流して倒れているのを、付近を散歩していた近所の住人が発見。直ちに警察に通報したらしい。


 倒れていた男は、身長180センチくらいの大柄。白地に青色のストライプの入ったワイシャツに紺のスーツ。ネクタイは締めておらず、黒のカシミヤのオーバーコートを羽織っていた。年齢は50歳前後と思われたが、所持していた免許証からすぐに身元が判明。

 日曜日の早朝にもかかわらず、真宮警察署刑事課長の八田は、現場検証に駆り出されていた。


「課長、こりゃあ、殺しに間違いねえですよ」

 八田の姿を見とめた刑事課係長の北島きたじまが、小走りで近づき、八田と並んで歩きながら状況を説明する。

「後頭部を鉄パイプのようなもんで、殴られてます」

「死亡推定時刻は?」

昨夜ゆうべの10時から12時くらいだろうって、鑑識がいうてます」

 現場に到着した八田は、しばらく倒れている男を観察する。うつ伏せに倒れた男の頭部は変形し、頭蓋骨が陥没しているのが見た目にも明らかで、流れ出た血液で小さな血溜まりができている。


「身元は?」

「ええ、もってた財布に免許証入っとりました。名前は、横山よこやま宏美ひろみ。年齢53歳。住所は、東京都三鷹市です。それと……。

 前田まえだ! それ、こっちにもってこい!」

 前田と呼ばれた若い刑事が、八田にビニール袋を提示する。

「これが、被害者ガイシャのポケットに入っとりました」

 袋の中には、真宮シティホテルのカードキーが入っている。

「ホテルの鍵? そうやとすると、観光客かいな?」

「おそらくそうやと思います。昨夜、お燈まつりやったから、東京から見物にきはったんと違いますか?」目を輝かせて前田が答える。


「前田! お前、なに浮かれてんのや?」

「いえ、浮かれてなんかおりまへん。はりきってるだけですよ。なんせ、3年ぶりの殺しやおまへんか」

「アホか、お前は! 刑事が殺し喜んで、どないする!」八田が呆れた表情で前田をさとす。

「課長、殺しやとすると、帳場ちょうばが立ちますね」北島が八田に尋ねる。

『帳場が立つ』とは、警察の隠語で、所轄署に捜査本部が設置されることを意味する。

「おそらくな。本庁のお偉いさんたちが、大勢おおぜい乗りこんでくるよって、お前ら、覚悟しときや」憮然ぶぜんとした表情で八田が答える。

 この事件の概要は、昼すぎ検察庁の宿直担当者から大輝に報告されていた。

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