最終話 大輝が真犯人に自首を勧める!
お燈まつりから3週間後の土曜日。
大輝は、前日の池田署長のヒントをもとにもう一度推理を組み立て直してみる。
「もしかして、横山は、百合子を殺そうとしてたんやないですか?」という池田の思いつきが、案外的を射てるのではないかと。
確かに百合子は、まず森田から埋めた場所を聞き出し、菜穂子と翔太の遺体を見つけようとする。そのため森田を真宮まで呼び出している。百合子は、犬山まで森田に会いにいこうとしたが、森田のほうが真宮にくるといったと供述している。おそらく地元で百合子に会っているのを見られたくないからだ。森田が転落死した夜、百合子が犬山大社までいって、遺体の場所を聞き出そうとしたことは、間違いないだろう。
横山を殺害した凶器が、秋山宅にあった金属バットであることから、百合子が計画的に横山を殺したと思いこまされたのではないか。わが子と弟、それに世話になった幼馴染が殺されたのだから、復讐したいという動機が、百合子にあったはずだと。
しかし百合子は、山名が見聞きしたのを聞いただけで、横山が殺したという明確な証拠をもっているわけではない。百合子にとって、復讐よりも遺体を見つけ出すほうが優先事項であったはず。
そうすると、池田署長がいうように横山を呼び出す必要がない。横山は、埋めた場所を知らないのだから。逆に横山は、百合子がどこまで山名から聞いているのかを確かめる必要がある。もし知りすぎているなら、山名と同じように殺そうと考えてもおかしくない。
事件当日、横山のほうから、真宮にきているという電話があったと、百合子は供述している。しかも会う場所を浮島の森に指定したのも、横山だという。
おそらく横山は、自らの意思で百合子に会いに真宮まできたのではないか。百合子がどこまで知っているのか確かめるために。百合子が万一知りすぎていれば、殺す覚悟で。同窓会は、あとになって調べられても、絶好の口実になる。
百合子は、横山を呼び出したりしていないのだ。金属バットも、もち出していない。純粋に横山に自首してもらうことを頼むために会いにいったのだ。それしか、菜穂子と翔太の遺体を見つける方法がないから。
そうなると、自宅にあった凶器の金属バットをもち出せるのは、百合子のほかは、息子の圭太しかいないはず。あの夜、横山に呼び出された百合子を心配して、圭太があとをつけたのではないか。万一のときに備えて金属バットをもって。相手が殺人犯なのだから、用心のためなにか武器になるものをもっていこうとしたのもうなずける。
横山が百合子を殺そうとしたので、密かにあとをつけていた圭太が、百合子の身を護るため金属バットで横山の後頭部を殴打したのではないか。このように推理すると、すべてのピースがきちんと収まってしまう。横山の致命傷が、後頭部の陥没骨折で、背後からやられた可能性が高いことも、これを裏づけられる。
しかしそうであっても、圭太に正当防衛が成立する可能性がある。仮に正当防衛が認められなくても、過剰防衛になり、いくらか減刑される可能性がある。それなのに、百合子は、圭太の関与を隠そうとして、自分が殺したと供述したのだ。圭太をかばうために。きっとそうに違いない……。
いつもならケントと散歩に出かけている時間なのに、大輝は思考を巡らせていた。
時計で7時をすぎたのを確認してから、ケントに呼びかける。
「ケント、お待たせ。さあ、散歩にいこう!」
待たされたケントが勢いよく飛び出していく。大輝は、いつものコースを変更して熊野川の堤防の遊歩道に向かう。
遊歩道をできるだけゆっくり歩いていると、待ち人が現れる。大輝が矢代彩佳を見つけるよりも、ケントがハナを見つけるほうが早く、「ワン、ワン」と歓迎の意を表す。
大輝は、彩佳とハナがこの遊歩道をよく散歩すると聞いていたし、以前に何度か会ったことがあるので、ここで待っていれば、彩佳に会えると思っていた。時間帯も9時から美容室に勤務するので、ここを通るのは7時半前後だと予想する。
「おはようございます」大輝が先に彩佳に挨拶する。
「おはようさん。検事さんも散歩ですか?」
「ええ、今日は天気がいいので、気もちがいいですね」
「そうや、神代さんから聞きました。検事さんが母の遺体見つけるのに骨を折ってくれはったと。ほんまにありがとうございました」
「とんでもないです。仕事ですから、たいしたことはしてませんよ」
大輝と彩佳、ケントとハナは、並んで仲よく遊歩道を歩き始める。
「検事さん、ちょっと聞いてもええですか?」改まった表情で彩香が尋ねる。
「百合子おばちゃんのことなんやけど、ほんまにおばちゃんが犯人ですか? うちには、おばちゃんがあんなことやらかしたとは思えません。
「それについては、今調べてますので……。僕の口からは、なにもお話できません。お許しください」
「そうですか……」
「それよりも、彩佳さんにお聞きしたいことがあるんです。あの日、お燈まつりの夜、お兄さんと圭太さんの3人でお酒を飲んでたということですが……」
「ええ、刑事さんにも聞かれましたが、久しぶりに3人で飲みました」
「何時から何時までですか?」
「9時くらいから12時頃までやと思います」
「その間、誰かがきたり、いなくなったりしましたか?」
「ええ、そういえば、百合子おばちゃんがマグロの刺身、差し入れてくれはりました。お酒のあてにしなはれっていうて……」
「それは、何時頃ですか?」
「9時半頃やったと思います」
「それで、百合子さんも一緒に飲んだのですか?」
「いえ、おばちゃんは、すぐ帰られましたよ」
「そうですか……」
「あっ、そういえば、動物病院のほうから犬の鳴き声、聞こえてきたんです。それを圭太さんに教えてやったら、あの日、怪我して入院してる犬がおって、その子が吠えてるんやないかっていうて、圭太さん、様子見にいきました」
「それは、何時頃ですか?」
「おばちゃんが帰ってから、30分くらい経ってたと思いますから、10時頃やないかと思います」
「それで圭太さんは?」
「2、30分くらいで戻ってきたと思います。痛みどめ注射したら、眠り始めたというてました」
「そのあと、圭太さんに変わったところは、ありましたか?」
「いえ、普段と変わらんかったと思います。いつもの圭太さんでした」
「そうですか……」大輝は、彩佳に意図を悟られないようさり気なく話題を変えて、散歩を続ける。
散歩から帰った大輝は、ケントと朝食をすませたあと、溜まった家事を後まわしにして、圭太に会うためにこにこ動物病院に向かう。百合子の逮捕以来、動物病院は休診中。玄関の自動ドアの電源が落とされ、カーテンが引かれたままで、中を伺うことができない。
大輝は、玄関脇の路地にある勝手口にいき、「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」と声をかける。
しばらくすると、ドアが開き、圭太が顔を出す。
「検事さんやないか? ケント、どないかしたんか?」ケントを気遣った圭太が、いつものようにぶっきら棒に尋ねる。
「いえ、違うんです。ケントは元気ですよ。今日は、お母さんのことで話したいことがあって、伺いました。少しお話ししてもいいですか?」
「……、わかった……。そんなら、表にまわってくれるか。今開けるから」といって、圭太が勝手口のドアを閉めて家の中に戻っていった。
しばらく大輝が玄関の自動ドアの前で待っていると、圭太が手動でドアを開け、大輝を中に招き入れる。
圭太が待合エリアの椅子を大輝に勧めたので、大輝は、圭太が隣の椅子に座るのを待って話しかける。
「圭太さん、お母さんの百合子さんが乳がんを患ってることは、ご存じですよね」
「あっ、あぁ。ちょっと前、お袋から聞いたばっかりやけど……」
「がんはステージ2で、すぐに手術しないと、命にかかわることもですか?」
「えっー。ほんまかいな! そんなに悪いんか?」
「残念ですが、ほんとです。百合子さんの主治医の話では、早く手術しなければいけないそうです。でも、がん細胞さえ全部摘出できれば、生存の可能性がかなり高くなるようですが……」
「……」顔から血の気が引いた圭太が、黙りこんでしまう。
「百合子さんは、菜穂子さんと翔太さんの遺体が見つかったことで、すべての罪をひとりで背負いこみ、手術を受けずに死ぬつもりなんですよ!」
「……」
「ほんとにそれで、いいんですか?」
「……」
「圭太さん、ほんとのこと、話していただけませんか? お願いします。このまま百合子さんを死なすわけにはいかないんです」
「……。わっ、わかった……。わかったわ」やっと圭太が口を開く。
母親が生死の淵をさまよっていることを知らされた圭太は、すべてを話す気になり、ぽつりぽつりと話し始める。
「12年前の事件起きたとき、俺高校に入ったばっかりで、お袋からなんも聞かされなんだんや。兄貴が行方不明になったというだけで。でもいつか必ず戻ってくるっていうてたんで、あんまし疑わんと、兄貴の帰り待ってたんや――」
これまで、12年前のいずみやの事件のことは、ほとんど知らされていなかった圭太は、百合子の言葉どおり兄翔太がいつか帰ってくると信じていたという。
正月に山名が真宮にきたときも、圭太は、高校の同級生との新年会に出かけていて、山名の話を直接聞いていない。山名がどんなことを百合子に話したのかも知らない。ただその日から百合子の様子が変わったことを感じていたという。
正月久しぶりに会って元気だった山名が、ひと月前、突然転落死したという連絡が警察から入り、百合子と一緒に遺体を引きとりにいく。山名を弔い、アパートを引き払ったあと、遺骨をもち帰る電車の中で、百合子は、12年前の事件を少しずつ語り始めたという。
百合子の口から、2億円もち逃げの濡れ衣を着せられた菜穂子と翔太は、すでに殺されていて、遺体を犬山大社に埋められていることを聞かされたときは、さすがに驚いたという。しかし、圭太を巻きこむつもりがなかったのか、横山と森田の名前は、一切口にしなかった。百合子は、自分ひとりで遺体を見つけようとしていたようだ。
お燈まつりの前日、夕方から出かけた百合子が夜遅く帰ってきたとき、
翌朝百合子の顔色が戻り、普段どおり立ちふる舞っているのを見て、少し安心したが、依然としてなにも話さない百合子に
「あの日、お燈まつりの夜のことやけど、……」話そうとした圭太が、急に口を
「あの夜、矢代謙一さんと彩佳さん兄妹と飲んでいたあなたは、犬の鳴き声がしたので、中座して動物病院に一度戻りましたね?」
「えっ、ええ」
「そのとき、百合子さんは、どうしてました?」
「別になんも……」
「戻ったとき、横山から電話がかかってきて、百合子さんが浮島の森に呼び出されたのを、聞いたんじゃないですか?」
「……」
なにも答えない圭太を黙って見つめていた大輝が、真剣な眼差しを圭太に向けると、覚悟を決めた圭太が喋り始める。
「そっ、そうや。家に戻ったら、お袋電話中で、なんやら難しそうな顔して話してたわ。もしやと思て、こっそり見てたら、電話きると、すぐ出かけたんや」
「そのあとをつけたのですね?」
「まぁ、そうや」
「そのとき、金属バットをもち出しましたね」
「……。検事さんは、なんもかもお見通しなんやね。そうや、金属バットもっていったわ。相手が誰かわからなんだけど、もしお袋が襲われでもしたら、なんかもってへんと不安やったから……」
「それで、どうしました」
「お袋、浮島の森までいって、駐車場で誰か待ってたんで、俺もこそっと見てたわ。そしたら、ガタイのええ男がやってきて、しばらくお袋と話ししてたんやけど、急にお袋に飛びかかって、お袋の首絞め出したんで、慌ててバットで殴ったんや」
「どこを殴ったんですか?」
「頭の後ろや。前から殴るとお袋にあたりそうなんで、後ろにまわりこんで殴ったんや」
「何回殴りましたか?」
「1回……。いや2、3回かもしれへん」
「それで、どうされました?」
「頭から血流してた男は、倒れたままでちっとも動かんかった。お袋、首絞められて半分気絶しかかってたけど、体を揺すってやったら、だんだん意識戻ってきて……」
「そのとき、なぜ、警察や救急に通報しなかったのですか?」
「倒れた男、息してへんかったんで、死んでると思たんや……」
「それでも、警察には、通報する必要があるでしょう」
「そっ、そうやけど……」
「警察に通報するのを、百合子さんがとめたんじゃないですか?」
「……」
「百合子さんは、あなたを巻きこみたくなくて、警察に通報させなかったんじゃないですか?」
「そっ、それは……」
「乳がんに罹って余命が僅かだと思った百合子さんは、あなたの身代わりになろうとしたんじゃないですか? あなたの代わりに罪をかぶろうと……」
「そっ……、そうかもしれへんなぁ……」
「圭太さん、あなたは、それを黙って見てるつもりですか? 百合子さんは、早く手術さえすれば、まだまだ生きられる可能性があるんですよ。それなのに、もう諦めてしまうんですか?」
「……」
普段は見せない大輝の気迫に圧倒された圭太は、言葉が出ず、しばらく俯いていたが、意を決して顔をあげ、大輝を正面から見つめる。
「けっ、検事さん。俺は、これからどないすればええんや?」
「そんなこと、決まってるじゃないですか。すぐ警察に自首するんですよ。そして、今話したこと、すべて正直に話してください。
森田の事件では、百合子さんは罪に問われません。森田が走って逃げたため、よろけて自ら転落した事故なんです。横山の事件の容疑さえ晴れれば、百合子さんは釈放されます。そうすれば、百合子さんは、手術を受けられますよ」
「ほんまか……」
「圭太さん、
「検事さん……。検事さんは、俺を逮捕せんのか?」
「そんなことしませんよ。今日は、検事としてではなく、僕とケントの仲をとりもってくれた獣医の友だちに、ちょっとアドバイスしただけですから……」
「検事さん……」
大輝がにこにこ動物病院の前で待っていると、警察に自首するため身支度を整えた圭太が現れる。
「検事さん、ほんまあんたには、世話になってしもたなぁ。おおきにやで」
「いえ、気にすることはないですよ。僕は、なにもしてませんから……。
それより圭太さん、自分のやったことをきちんと償ってください。あなたがしたことは、殺人という決してやってはいけない犯罪ですから。
検事の僕が、こんなこというのはおかしいですが、殺されかけたお母さんを護るためにやった行為でもあります。裁判官も、きっとそのあたりの情状を酌量してくれると思いますよ」
「おおきに、ほんまにおおきに……」最後にもう一度礼をいった圭太は、大輝に見送られながら真宮警察署に向かって歩き出した。
(完)
青い空と山と海 ますだかずき @kazukimasuda
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