第26話 百合子は全面自供するも、殺意を否定する

 お燈まつりから18日後の水曜日。

 前日、百合子が突然胸を押さえ、苦しみ出したため中断した取り調べを再開する。

 百合子が警護員に伴われて大輝の執務室に入ってくると、「お体の調子は、どうですか?」と大輝が言葉をかける。

「ええ、もう大丈夫です。昨夜は、ぐっすり眠れましたから……」百合子が笑顔で答える。

「秋山さん、DNA鑑定の結果が出ましたよ。やはり犬山大社の遺体は、和泉菜穂子さんと秋山翔太さんに間違いありませんでした」

「そうですか……。それはよかった、よかった……。これで、菜穂ちゃんと翔太、ちゃんと弔ってあげられます。検事さん、ほんまにおおきにやで……」目に涙を溜めて百合子がお礼をいう。


「それでは、昨日は、2月5日森田が逃げ出した際、バランスを崩して瀬原橋の欄干から熊野川に落ちたというところまで、聞かせてもらいましたが、その続きを話してくれませんか?」

「はい、わかりました。翌日、熊野川の鉄橋の下で水死体が見つかったと、動物病院にきはったお客さんがいってたんで、やっぱり森田さん、死んだんやと思いました。

 森田さん死んでしもた以上、菜穂ちゃんと翔太の遺体探す手立てなくなってしもて、どないしようかと考えたんです。うちが警察になんぼいうても、相手にされへんと思ったんで、残った関係者は横山さんしかおらんので、横山さんに自首してもらうほかないと思いました」

「横山に、自首ですか?」

「そうなんです。横山さんが、12年前菜穂ちゃんと翔太、殺したと自首してくれれば、警察も信用するやろと思たんです。犯人が自首すれば、警察も遺体探してくれるんやないかと。これしか方法ないと思いました」


「それで、2月6日夜、横山を浮島の森に呼び出したんですか?」

「えっ、ええ……。うち、うちから横山さんにお会いしたいとお願いしました……。でもあの日は、横山さんのほうから電話あったんです。夕方、真宮にきてるという電話が……。

 うちは、すぐ会いたいというたんですが、横山さんが、夜にしてほしいといわはったんです。それで待ってたら、10時頃電話ありました」

「それで、浮島の森に呼び出したのですか?」

「いえ、会う場所は、横山さんが指定しました」

「横山が浮島の森で会いたいと、いったのですか?」

「そうです。うちとこからも近いんで、うちは、かまへんと返事しました」


「それで、どうしました?」

「浮島の森にいったら、横山さん、まだきてへんかったんで、しばらく待ってました。そしたら、横山さん現れたんで、孝昌からあんたが菜穂ちゃんと翔太、殺したこと聞いてるし、森田さんもそういうてたっていうて、警察に自首するよう頼みました」

「森田からも、横山がふたりを殺したと聞いてたのですか?」

「いいえ、森田さんはなんもいうてません。どないしても、横山さんに自首してほしかったんで、嘘つきました。そうでないと、遺体見つけられへんので……」


「それで、横山は、どうしたんですか?」

「しばらく黙ってました。うちのいうこと、聞いてくれたんやと思たとき、突然飛びかかってきて、うちの首絞めようとしたんです。ほんまビックリしました。

 息が苦しくなって、意識が遠のきかけたんやけど、必死で思いきり蹴っ飛ばしたんよ。そしたら、うまいこと、横山さんの急所にあたったんです。横山さん、手放してうずくまってしもたんです。よっぽど痛かったんやと思います。

 早う逃げようと思たんですが、すぐ横山さんが立ち上がったんで、バットで殴りました。そしたら横山さん、動かんようなって……」


「そのバット、家からもってきたんですよね?」

「そうですが……」

「なぜ、家から金属バットをもってきたのですか? 最初から横山を殺そうと思って、バットをもってきたんじゃないですか?」

「いえ、そんなこと、絶対ありません。横山さん、菜穂ちゃんと翔太殺した犯人やから、怖かっただけなんです。なんかされたら、なんももってないと、女のうちらでは、太刀打たちうちできんですから……」

「そのバット、どこに置いてたのですか?」

「えっ、ええ……」

「家からもってきたバットですよ。まさかバットをもって横山に会ったのですか?」

「いっ、いえ……。バッ、バットは、近くの草むらに隠してました……」


「そうですか。まぁ、いいでしょう。それで、そのバットで横山を何回殴ったのですか?」

「1回だけやと思います」

「司法解剖の結果、横山の後頭部は、かなり損傷を受けてます。1回ではないでしょう?」

「そうやったら、そうかもしれません。無我夢中むがむちゅうやったから、何回殴ったか、覚えてません」

「でもなぜ、そんなに殴ったのですか? 最初の一撃で、横山は気絶してたのではないですか? 誰でも後頭部を金属バットで殴られると、普通は、一発で気絶しますよ」

「そっ、それは……、また襲われるんじゃないかと怖かったんだと思います」

「ほんとは、横山を殺そうと思ったんじゃないですか?」

「いえ、そんなこと……、思ってません……。あのときは、ただ怖かっただけです。横山さんには、警察に自首してもらわなあかんので、殺そうとは思てません……」


 このあとも、横山に対する殺意を何度も確認するが、百合子は、決して認めることはなかった。百合子は、昨日のように苦しむことはなかったが、尋問中ときどき顔をしかめ、どこか具合の悪そうな表情をしていた。

 百合子は、横山に対する殺意を除くと、ほぼすべてを自供しているので、百合子を起訴するための供述が得られたとして、大輝は、百合子の取り調べを終えることにした。


「検事、秋山百合子ですが、かなり具合が悪そうに見えますね」百合子が退出したあと、事務官の前田香織が大輝に話しかける。

「なにかの病気にかかってるんじゃないですか?」

「えっ。あっ、そういえば、前に道で会ったとき、市民病院に通院してるといってましたね」大輝は、昼休みに自宅に帰る際、百合子に声をかけられたことを思い出す。

「調べてみましょうか?」

「お願いできますか? 午後は、法廷があっていけそうにないので……」

「お安いご用です。あたしに任せてください」自信たっぷりな表情で香織が答える。

「でもね、前田さん。医師には守秘義務があって、正当な理由なしに業務上知り得た秘密を漏らすことができませんから、担当医には、きちんと秋山百合子の今の状況を説明した上で、病状を聞くようにしてくださいね」

「了解です!」香織が元気よく返事する。


 夕方市民病院から戻った香織が、百合子の担当医との面談結果を大輝に報告する。

 担当医の話によると、百合子は、ひと月前市が実施している乳がん検診で異常が発見され、精密検査を受診したところ、乳房に悪性腫瘍が見つかり、乳がんが発覚したという。百合子の乳がんは、すでにステージ2に達していて、早急に手術しなければならない状況だった。

 担当医は、なるべく早くがんの摘出手術を受けることを勧めていたが、百合子が躊躇ちゅうちょしているため、手術日程はまだ決まっていない。担当医の見立てによると、ステージ2であるが、がん細胞さえ全部摘出できれば、生存の可能性が高くなるとのことだった。


「その内容は、当然本人に告知されてるのですね?」大輝が告知の有無を香織に確認する。

「ええ、もちろんです。ただ本人の希望で、家族にはなにもいってないそうです」

「ということは、息子は、なにも知らないのですね」

「そうだと思います」

 百合子には、家族は息子の圭太しかいないのに、その圭太になにも話してないことをいぶかしく思った大輝であるが、「そうですか……」としか答えられない。



 お燈まつりから19日後の木曜日。

 百合子が全面自供しているので、百合子を起訴するため、供述を裏づける証拠を固めるのが、大輝に課せられた仕事。

 森田の転落死事件については、再度八田が瀬原橋周辺を調べたところ、信号機の位置や森田が転落した場所など、百合子の供述に齟齬そごはなかった。それと、百合子の車の鑑識結果からも、森田と接触したと思われる箇所は見つからず、逃げ出した森田をただ車で追いかけたとする供述にも、嘘はないと思われる。

 もし百合子が、森田を車で跳ねて転落させたとすれば、自動車運転過失致死傷罪や危険運転致死傷罪などが成立する可能性があるが、ただ逃げた森田を車であとを追ったというだけでは、百合子の行為に犯罪が成立することはない。

 ということで、大輝は、森田の転落死事件について、百合子の罪を問うことはできないと結論づける。


 一方、横山の殺害事件については、問題は、百合子に殺意があったかどうか。百合子は、横山に自首を勧めるため会っただけで、殺すつもりはなかったと殺意を否定している。しかしながら、家から凶器である金属バットをもち出して、横山に会っている点は、看過できない。百合子が金属バットをもち出したことは、殺意を裏づける十分な証拠になり得る。いくら横山が殺人犯だから怖かったといっても、用意した金属バットで後頭部を殴打しているのだから、百合子に殺意がなかったとはいえないはずだ。


 ただ横山が先に百合子の首を絞めていることから、横山の攻撃に対し、自己を防衛するため百合子が金属バットで殴打したともいえる。実際の裁判では、百合子の弁護人が、正当防衛を主張することは、十分予測される。しかし、横山が素手で絞殺しようとした行為に対し、百合子が金属バットで殴打して防御する行為は、明らかに過剰な防御であり、過剰防衛にあたると思われる。したがって、百合子を罪に問うことができると結論づける。

 ということで、横山の殺害事件については、大輝は、百合子を殺人罪で起訴することを決断する。

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