第8話 和歌山県警最強コンビの登場!

 お燈まつりから2日後の月曜日午後。

 上席検事の島から、浮島の森の殺人事件の担当を命じられた大輝は、真宮警察署の署長室を訪問する。警察署は、地検支部に隣接しているため、数分もあれば徒歩で行ける距離。

 大輝がノックして署長室に入ると、すでに4人の警察官がソファーに座って大輝を待っていた。署長の池田いけだ俊夫としお、刑事課長の八田昭、県警本部捜査一課班長の神代かみしろ啓介けいすけと主任の長岡ながおか真一しんいち。全員が立ちあがり、署長の池田が大輝に近づいてソファーを勧める。


「鈴木検事、お忙しいのにわざわざきてもうて、すんまへん。どうぞ、こっちにおかけください」

 池田は、定年を間近に控えた50代後半。禿げあがった頭髪を潔く丸坊主にしている。黒縁の眼鏡をかけ、警察官にしては愛想がよく、制服を着ていなければ、中小企業の社長といわれても、疑う者はいない。


「ご紹介します。このたび設置された捜査本部で、捜査の陣頭指揮をとることになった県警の神代警部……」

「ご無沙汰しております、神代さん!」池田の紹介を遮って大輝が挨拶する。

「鈴木検事じゃないですか。どうしてここに?」ここで大輝に会うとは、思いも寄らなかった神代が尋ねる。

「年明け早々、真宮支部に異動になりました」

「そうですか。それは知りませんでした。でも、またご一緒に事件を担当する機会ができて光栄です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。まさか神代さんの班が担当するとは、思ってもみませんでした。それに長岡さんも。県警の最強コンビのご登場ですね」大輝は、神代の横に立っている長岡にもエールを送る。

「最強コンビは、やめてくださいよ」照れくさそうに長岡が返す。


「なんや、お知りあいなんですか。そんなら堅苦しい挨拶は抜きや。早速、事件の概要を報告させてもらいましょ。ともかくお座りくださいなぁ」池田署長が全員に促す。

 大輝が和歌山地検本庁に赴任したばかりの頃、和歌山市に隣接する海南市で発生した強盗殺人事件の捜査で、ふたりと一緒に仕事をしたことがあった。この事件も、県警刑事一課の神代班が担当し、神代が捜査の陣頭指揮をとり、それをサポートしたのが長岡だった。


 この事件は、逃走した犯人の遺留品が少なく、目撃者もいなかったので、犯人を見つけ出すのに苦労した事件であったが、神代の見事な捜査指揮により、難解な事件にもかかわらず、比較的短期間で事件を解明することができた。犯罪捜査の経験が乏しかった大輝が、一人前の検事として自信をもって捜査できるようになったのも、この事件で神代や長岡からいろんなことを学んだのが大きかった。それが、『県警の最強コンビ』との賞賛に表れている。

 大輝にとってありがたいのは、神代・長岡ともに標準語を話すこと。神代は、和歌山で生まれているが、父親の転勤に伴い横浜で育つ。大学卒業後、両親の故郷和歌山で警察官に任官されていた。長岡は、和歌山の出身だが、東京の大学を卒業しており、若干関西弁が混ざるものの標準語を話す。


「それでは、私から説明させてもらいます――」

 神代に促された長岡が立ちあがり、ソファーの横に立てたホワイトボードを使って説明を始める。

 被害者は、東京都三鷹市在住の横山宏美。年齢53歳。所持していた運転免許証から身元が判明。昨日、呼び寄せた家族により本人に間違いないことが確認されている。

 死亡推定時刻は、一昨日の土曜日の夜10時から12時までの間。死因は、後頭部を鉄パイプまたは金属バットのような鈍器で殴打されたことによる脳挫傷。頭蓋骨が大きく陥没していた。


 横山が真宮シティホテルのカードキーを所持していたことから、事件当日、真宮シティホテルに宿泊する予定であったことが判明。ホテルの従業員の証言から、午後7時頃チェックイン。7時半頃いったんホテルを出ているが、10時前に戻ったことが確認されている。しかしそのあと、いつホテルを抜け出したのかは不明。


 横山は、真宮市の隣町、三重県の紀宝町きほうちょうの出身。

 県境をまたいだ真宮高校を卒業しており、翌日の日曜正午から開催される同窓会に出席する予定だったらしい。なんでもその同窓会は、お燈まつりが土曜日に行われる年に限り開催されるのが慣例のようで、今年は6年ぶりに、市内の『来々軒らいらいけん』という中華料理屋で開催された。

 当然のことながら、横山は殺害されていたため、この同窓会に出ていない。


 高校を卒業した横山は、名古屋の大学に進学し、卒業したあと、名古屋市内に本社がある民間企業に就職。そのあと、小売り関係の企業に転職したあと、9年ほど前から東京の吉祥寺で小さな不動産会社を経営している。

 家族構成は、47歳の妻、高校3年生の長女、中学2年生の長男の4人家族。三鷹市の下連雀しもれんじゃくのマンションに居住している。

 所持していた財布は、盗られておらず、後頭部を殴打されて死亡していることから、物盗りではなく、怨恨えんこんによる犯行ではないかと推測される。


「――以上が、このたび、浮島の森の駐車場で発生した殺人事件のあらましです」

 長岡は、いったん説明を終え、ひと息吐く。


「ただひとつだけ気になることがあるんですよ」といって長岡が、ホワイトボードに赤いマグネットでとめてあるビニール袋を手にする。

「このお守りが、被害者ガイシャのコートの内ポケットに入っておったんです」

 赤い布地に白い文字で『犬山大社』と書かれたお守り。縦5センチ、横3センチ程度のよく市販されている大きさのものだった。

「今、調べてますが、おそらく愛知県の犬山市にある犬山大社のものではないかと思われます」


「被害者と、その犬山大社とは、なにか関係あるんですか?」大輝が質問する。

「それが……。家族に聞いても、ようわからんというんです。犬山大社はおろか、犬山とは、えん所縁ゆかりもないらしいんです。それと、被害者がお守りをもってるのを見たことないといってます。

 普通、お守りをもち歩く場合、コートのポケットなんかに入れたりしません。粗末に扱ったら、ご利益どころか、ばちがあたりますから。おそらくこれは、誰かが入れたんではないかと推測されます」

「誰かって、それは、犯人ですか?」大輝が再び尋ねる。

「それは、なんともいえません。被害者でない、誰かとしか……」長岡が答える。


 これまで説明を黙って聞いていた神代が、大輝に顔を向けて補足説明を始める。

「今、説明したとおり、被害者の衣服やもち物を物色した形跡がまったくないことから、単なる物盗りでなく、怨恨のセンで捜査を進めることにしました。

 とりあえずは、仕事関係のトラブルや色恋関係などを洗うため、捜査員を東京に派遣するつもりです。

 それと、被害者の当日の足どりが明確でないので、真宮に来てから殺されるまでの足どりを追わせてます。残念ながら目撃者は、まだ見つかっておりませんが、目撃者が見つかれば、案外早く解決できるかもしれません」

「わかりました。捜査方針は、それでけっこうです。引き続きよろしくお願いします」大輝が同意する。


「ところで、署長。熊野川で発見された水死体は、どうなったのですか?」大輝が池田に向かって尋ねる。

「それについては、刑事課長に説明させますよって。八田君、頼むわ」池田が八田に目配めくばせする。

 八田が胸ポケットから手帳を取り出して説明を始める。


「残念ながら、被害者の身元、まだわかっておりまへん。推定年齢は40から50。ウールのズボンに皮のジャンパー姿で、もってたんがタバコと100円ライターだけで、身元の手がかりになるもん、一切なかったんですわ。一見すると、地元の人間のようにも見えたんですが、どうもそうやないようで、全国に範囲を広げて、行方不明者や失踪者をあたってます。

 発見当時、遺体は死後10時間程度経過してたようで、逆算すると、死亡推定時刻は、2月5日金曜の夜10時から翌日2時の間。死因は溺死。頭部と腕部に損傷があったんは、川に落ちたときについたもんやと思われます。

 今のとこ、自殺とも他殺とも判断できず、事故の可能性も捨てきれまへん。とにかくはよう身元を特定するようにします。

 それと、余所者よそものであれば、金もってへんかったのが、に落ちまへん。どっかで財布落としたんかもしれへんけど……。とにかく今は、川に落ちた場所の特定、遺留品の捜索に全力でとり組んでます」


「わかりました。引き続き捜査を進めてください。

 そうすると、今回の浮島の森の事件との関連性は、今のところ、判断できないというわけですね」大輝が尋ねる。

「ええ、まだなんともいえまへん」八田が答える。

「まあ、今日のところは、この辺でよろしいやろ。いずれにしても、捜査が進展したら、その都度、検事さんに報告させますよって」

 池田署長が締めくくり、担当者の顔合わせを兼ねた事件の打ち合わせが終わる。



 大輝が警察署から検察庁に戻り、自席につくと、事務官席の前田香織が立ちあがり、笑みを浮かべている。

「鈴木検事、検事が今度の殺人事件、担当するんですね」

「そうだけど。午前中に島検事からいい渡されたばかりだよ」

 いい渡されたことは、まだ香織に話していなかったが、香織は、どうやら庁内の噂を聞きつけたようだ。

「凄いですね、殺人事件を担当するなんて」

「そうでもないよ。皆さん、お忙しいので、僕におはちがまわってきただけだよ」

「でも、3年ぶりの殺人事件を最年少の鈴木検事が担当するなんて、よほど期待されてるんですよ」香織が嬉しそうな表情でいう。

「前田さん、妙にウキウキしてません?」

「いえ、ウキウキなんか、してませんよ。はりきってるだけです。なんせ、3年ぶりの殺人事件。あたしにとっても、はじめての殺人事件の担当ですから」香織が目を輝かせている。

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