第9話 取り調べと公判で多忙を極める!

 お燈まつりから3日後の火曜日。

 大輝は、午前中は取り調べ、午後は公判で多忙を極める。

「あんた、泣いてばかりいないで、なにかいいなさいよ。泣いて許されると思ったら、大間違いよ。そんなに検察は甘くないの!」

 前田香織のイライラが爆発した怒りのこもった声が、部屋中に響く。


 香織の怒りの対象は、岸田きしだ紀子のりこ、34歳。スーパーで食料品を万引きして警察に逮捕され、送検されてきた窃盗の被疑者。

 初犯であるが、ひと月前にも同じスーパーで万引きして逮捕されていた。このときは、微罪びざい処分になり、送検されなかった経緯がある。

 警察の調書によると、過去に同じスーパーで万引きしているところを警備員に見つかったが、示談が成立し、警察沙汰ざたにはならなかったという。従って、今回の犯行は、実質3回目にあたる。


 パーマのかかった髪を栗色に染めた紀子は、部屋に入るなり、「ごめんなさい」、「すいません」という言葉を発するものの、ただ泣き続け、大輝の質問に一切答えない。この態度に香織の堪忍袋かんにんぶくろがきれてしまった。

 香織の怒りの声に一瞬顔をあげたが、再び「わぁー」と泣きわめく。その姿を柔和にゅうわな表情で見つめていた大輝が、腕時計で時刻を確認すると、香織に向かって指示を出す。

「いつまでも質問に答えてくれないのでは、仕方ありませんね。前田さん、勾留を請求しましょう!」

「えっ、勾留?」

 勾留という大輝の言葉に驚いた紀子は、今まで泣き喚いていたのを豹変させ、姿勢を正し、涙を溜めた目で大輝をにらむ。


「岸田紀子さん、あなたを窃盗の容疑で裁判所に対して勾留を請求しますので、そのつもりでいてください。

 これが認められれば、10日間身柄を拘束されることになります。十分時間がありますので、思う存分泣いて、気分がスッキリしたところで、話を聞かせてください」

「えっー、そんなぁー」

 泣きやんだ紀子は、必死に抗弁しようとするが、それを遮って大輝は、紀子の横で待機している警護員を促す。

「今日のところは、これでけっこうです」


 ガッカリした表情で退出する紀子の後ろ姿を眺めながら香織がつぶやく。

「なんなんですかね、あの人は。泣き喚けば、なんでも許されると、ほんとに思ってるのかしら?」

「ああやって、これまで何度も修羅場しゅらばを乗りきってきたんじゃないですかね。涙は、女の武器ですから……」

「えっ……。鈴木検事らしからぬことをおっしゃいますね。そんな経験、あるんですか?」

「いえ、別に……。ただそう思っただけです……」


 予想もしなかった香織のきり返しに、大輝は、たじたじになってしばらく黙っていたが、そんな大輝の心中などおかまいなしに、香織は、次の仕事にとりかかる。

「次は、自動車運転過失致死の門田かどた弘毅こうきですが、検事、呼んでもよろしいですか?」

「はい、お願いします」大輝が答えると、香織は内線電話を手にとる。


 数分後、トレーナーとジャージ姿の細身で小柄な男が部屋に入ってくる。24歳だが、見た目は、未成年のようにも見えるあどけなさが残る。

 門田は、1週間前の深夜、酒気帯び状態で自動車を運転し、歩行者をはねて死亡させた。現場に駆けつけた警察官に自動車運転過失致死傷罪で現行犯逮捕され、現在勾留中。


 過去に飲酒運転による悲惨な交通事故が多発し、従来の処罰規定では、刑罰が軽すぎるという見地から、2001年の刑法改正により、危険運転致死傷罪(刑法208条の2)が新設される。

 危険運転致死傷罪とは、これまで過失犯である業務上過失致死傷罪として処罰されてきた飲酒運転や著しい高速運転など、基本的な交通ルールを無視した無謀な運転による悪質・重大な死傷事犯について、故意犯である暴行による傷害・傷害致死に準じる犯罪として処罰しようとしたものである。


 1.アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為。

 2.進行を制御することが困難な高速度で、または進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為。

 3.人または自動車の走行を妨害する目的で、通行中の人または自動車に著しく接近し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為。

 4.赤色信号またはこれに相当する信号をことさら無視し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為。

 上記のいずれかに該当する行為によって死傷事故を起こした場合、危険運転致死傷罪が適用され、死亡事故で1年以上20年以下の懲役、負傷事故で15年以下の懲役が科せられる。


 2007年の刑法改正では、危険運転致死傷罪と従来の業務上過失致死傷罪(5年以下の懲役もしくは禁固または100万円以下の罰金)の罰則差を埋めるために、自動車運転過失致死傷罪(刑法211条第2項)が新設される。自動車の運転上必要な注意義務を怠り、人を死傷させた場合、刑罰が重くなり、7年以下の懲役もしくは禁固または100万円以下の罰金が科せられる。


 門田の場合、自動車の運転上必要な注意義務を怠り、人を死亡させたのであるから、自動車運転過失致死傷罪が適用されることは明らかであり、とりあえずこの罪で逮捕・勾留されているが、さらに重い罪である危険運転致死傷罪が適用できるかが争点となり、大輝の頭を悩ましている。

 逮捕・勾留されたことで、自分の犯した罪の重大さにおののき、十分な睡眠がとれないのか、眼窩がんかが落ちこみ、くまができている門田の表情には、若々しさが消えている。


「これまで何度も聞いてますが、確認のためもう一度尋ねます。飲み会なのに、なぜ車でいったのですか?」

 大輝の質問に、はっ、としてうつむいていた顔を少しあげ、門田がぼそぼそと答える。

「次の日が仕事だったんで、車ないと困るんで……。タクシー使うと、金かかるし……。それと、俺の車あてにしてたヤツもいたし……」

「飲み会には、いつも車でいってるんですか?」

「いえ、俺……、あんまし酒、好きやないんで、滅多に飲みにいきません。あの日は、送別会やったんで、出ないとまずいと思たから……」


「それでは、最初から飲酒運転をするつもりで、車でいったのですね?」

「いっ、いえ、違います。違うんです。酒飲むつもりなんか、なかったんです……」

「じゃあ、なぜお酒を飲んだのですか?」

「……。さぃ……、最初、コーラー飲んでたんです……。そのうち場が盛りあがって、酒注がれたりしてるうちに、少しぐらいなら大丈夫やと思て、少し……、少しだけ飲んでしもたんです」

「少しだけって、どのくらいですか?」

「ビッ、ビールをコップ1杯か……、2杯くらいと思います」

「そんなあやふやな量でなく、正確にいってください」

「2杯やと思います」


 事件当日の警察の検査結果では、1リットルあたり0.2ミリグラムのアルコールが、門田の呼気から検出されているので、門田の供述に嘘はないようだ。

 酒気帯び運転の基準値は、1リットルあたり0.15ミリグラム。門田が基準値を超えるアルコールを摂取していたことは明らかで、酒気帯び運転に該当することは間違いない。


「飲み会が終わったあと、どうしたんですか?」

「終わったんが11時近くで、翌日仕事あったんで、真っすぐ家に帰りました」

「帰るとき、ビールを2杯も飲んでたから、車を運転するのはまずいとは、思わなかったのですか?」

「いっ、いえ、思いませんでした。酒好きやないですが、弱くないんで、2杯くらいやったら、ちゃんと運転できると思いました」

「それで、ひとりで運転して帰ったんですか?」

「いえ、仕事仲間が同じ方向なんで、送ってくれって頼まれたんで、ふたり乗せて帰りました」

「そのふたりは、あなたが酒気帯びであったことを知ってたのですね?」

「いっ、いえ、よくわかりません……。知ってたかもしれませんし……、知らんかったかも……」


 このふたりの同乗者についても、厳密にいうと、酒気帯び運転を知って同乗したのであれば、道路交通法違反で処罰されなければならない。

 道路交通法では、何人なにびとも、車両の運転者が酒気を帯びていることを知りながら、運転手に対し、自己を運送することを要求し、または依頼して、運転する車両に同乗してはならないと規定されている(65条第4項)。

 違反した場合の罰則は、酒気帯び運転の場合、90日間の免許停止処分と、3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。酒酔い運転の場合、免許の取消処分と、5年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる。


「ふたりを同乗させたあと、どうされました?」

「近いほうから順番に降ろしました。そしたら、急に眠気したんで、煙草吸いました」

「運転しながらですか?」

「はい、運転しながら吸いました。ふたりとも降ろして、自分ひとりしかおらんかったんで……。

 そしたら、煙草の先がハンドルにあたって、火のついた先っぽ、ズボンの上に落としてしもたんです。最初全然気づきませんでした。吸っても反応ないんで、煙草見たら、火のついた先っぽ、なくなってたんです。

 くさにおいしたんで、ズボンの上に落っこちたことに気づいて、慌ててズボン、手で払ったんです。車の中、暗くてよう見えんかったんで、室内灯つけようとしたら、道路渡る人に気づき、慌ててブレーキ踏んだんですが、間にあいませんでした……」


「どのぐらい前方から目を離したんですか?」

「2、3秒か、5秒くらい……やと思います。ほんの僅かな時間なんです。ただズボンの焦げた臭いしたんで、けっこうあせってしもて……」

「そのとき、車を停めようとは、思わなかったのですか?」

「えっ、ええ。今思うと、車停めとけば、事故にはならなんだと思います……」

 このあとも、門田の取り調べが続き、大輝は、主に事故を引き起こしたと思われる要因について質問を続ける。

 所定の時間がすぎた頃、「今日のところは、これくらいにしておきましょう」といって、門田の取り調べを終える。


 門田が部屋から出ていくのを待って、香織が大輝に尋ねる。

「やはり危険運転致死傷罪の適用は、難しそうですね」

「そうですね。この事案で適用するのは、難しい気がします」

 被害者の遺族から、酒気帯び運転による事故なので、厳罰に処してほしい旨の嘆願書が出されており、上席検事の島からも、危険運転致死傷罪の適用を検討するよう指示を受けているが、大輝は否定的であった。


 危険運転致死傷罪を適用させるには、前述した4つの要件のいずれかに該当しなければならない。門田の事案でもっとも近いとされる要件は、1の『アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為』である。

 門田の呼気から1リットルあたり0.2ミリグラムのアルコールが検出されていることから、酒気帯び状態であることは間違いない。しかし、この状態が果たして『正常な運転が困難な状態』といえるかどうかであるが、否定的に考えざるを得ない。

 それと、門田の供述から、直接事故を引き起こした要因は、火のついた煙草をズボンの上に落としたことによる前方不注意であることに疑いの余地がない以上、危険運転致死傷罪を適用するのに無理があるのは、火を見るよりも明らかである。

 この問題は、結論を導き出すよりも、島検事を納得させるほうが難しいような気がして、大輝は、ますます憂鬱ゆううつになる。


「検事、ちょっとよろしいですか。前々から一度聞こうと思ってたことなんですが……」改まった表情で香織が大輝に尋ねる。

「検事は、どうして被疑者に対して、あんなに丁寧に尋問するんですか?」

「えっ、丁寧ですか?」

「ええ、丁寧すぎますよ。あたしがこれまで担当した検事で、被疑者に対して、あんなに丁寧な言葉遣いをする検事は、ひとりもいませんでしたよ」

「別に、丁寧にしてるつもりはありません。普段どおりに対応してるだけですが……」

「あれでは、被疑者にめられますよ。それでなくても、つけあがる被疑者が多いですから。ビシッといってやったほうがいいと思いますよ」

「ビシッと、ですか……」と復唱した大輝は、しばらく間をおいて話し始める。


「僕たち検察官は、真実を見つけなければならない義務があります。

 真実を見つけ、被疑者の犯罪が明らかになれば、起訴し、裁判で犯罪を立証するのが検察官の役割です。犯罪者を裁くのは、裁判官であって、検察官ではありませんから。

 真実を見つけるためには、被疑者のいってることが、ほんとうかどうかをきちんと見極めなければなりません。相手をおどかして自白させてやろうなどと、高ぶった気もちでは、冷静に判断できないんです。

 だから僕は、被疑者に接するときでも、被疑者とは意識せず、平常心で普段どおりに話をすることを心がけてます。そのほうが、冷静にものごとを見極めることができるからです」


「そうなんですか……。あたしには、被疑者を甘やかしてるとしか思えませんが……」

「別に甘やかしてるつもりはありませんから、心配はご無用です。

 彼らは、警察でさんざん脅され、すかされ、なだめられながら尋問を受けてきたはずですから、ここでは、なるべくそれとは違った取り調べをしたほうが、ほんとうのことがわかると思いますよ」

 納得できない表情をした香織に微笑んだ大輝は、「そろそろお昼にしましょうか?」腕時計で時刻を確認して立ちあがる。

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