第15話 美鈴を唸らせた中トロカツとめはりずし!

 お燈まつりから1週間後の土曜日。

 夕方予定どおり美鈴が真宮駅に到着。

 ケントと一緒に出迎えた大輝は、美鈴の姿に驚く。ジーンズにダウンジャケットを着こみ、ニット帽をかぶり、足元はスニーカー。大きめのリュックサックを背負っている。まるで今流行はやりの『山ガール』。

 パンツスーツを着こなし、パンプスを履いたキャリアウーマン姿の美鈴が目に焼きついている大輝だけに、その美鈴が、年甲斐としがいもなく、山ガール姿に変身していたのには、ただ驚くほかはない。


 一方の美鈴も、彼女ではなく、犬を連れてきた大輝に驚く。思わず「その犬、どうしたの?」と、尋ねてしまった。

「運命的な出会いがあって……」という大輝の弁明にもあきれ果てる。

(運命的な出会いが、なんで犬なの? どうして女の人じゃないの?)という言葉が喉元まで出かかるが、飲みこむ。久しぶりに会ったのに、顔を見るなり、ここでいい争っても仕方ないと、思いとどまったのだ。


 美鈴が大輝の住んでいるアパートを見たいというので、とりあえず美鈴をアパートに連れていく。

「けっこう綺麗にしてるんだ」との美鈴の感想に、「幼い頃から家事を十分仕こまれましたから」という嫌味を返す。

「ねえ、ちょっと座ってくれない」といった美鈴は、下ろしたリュックサックから白い封筒をとり出し、中身をテーブルの上に置く。

「これ、見合い写真。見て気に入ったら、見合いをセッティングするから……」

「これを見せるために、わざわざ真宮までやってきたの?」

「そうよ。真知子まちこさんの知りあいの娘さんなの。彼女がぜひにって、いうもんだから、断りきれなくなって……」


 真知子とは、父大輔の妹で、大輝の叔母にあたり、美鈴にとっては小姑こじゅうと。駒込の旧家に嫁いでいるが、なにかと鈴木家に口を挟む厄介な存在。

「なんで叔母さんが見合い写真なんか、僕に?」

「今に始まったことじゃないの。これまでも何度ももってきたんだけど、あんたがまだ一人前の検事になってないからって、ていよく断ってたんだけど……。

 今回は、とてもいい娘さんだからって、一歩も引き下がらないのよ。父さんと相談して、真知子さんの顔を立てるためにも、大輝に写真を渡したほうがいいということになったの……。

 どうせ宅配便で送っても、あんたは、そのままほったらかすでしょう。だからあたしがわざわざもってきたのよ」


 大輝がはじめて見ることになる見合い写真を開くと、振袖姿の若い女性が写っている。目が大きく微笑んだ表情は、美人に見えるが、なぜか大輝には、自分の伴侶として感じるものがない。

 写真と一緒に釣書つりがきが添えられている。年齢は、大輝よりも4歳下。出身校は、小学校から大学までとして有名な私立の女子校。大学は、文学部の英文科を卒業している。職業は家事見習い。いまだに存在するのかと、疑いたくなる


「ねえ、どう?」

「写真だけじゃ、なんともいえないよ。それにいかにもお嬢さんという感じがして、僕と釣りあうとは、とても思えないよ」

「じゃあ、断る?」

「できればそうしてもらいたいけど……」

「大輝、あんた、つきあってる彼女でもいるの?」

「いっ、いないけど……」

「なら、見合い、してみたら? あんたもいい齢でしょう。一度ぐらい見合いしても悪くないわ。人生の貴重な経験だと思って、やってみたら?」


「簡単にいってくれるけど、すれば、断ったり、断られたりするじゃない。それが面倒なだけ。断られるって、あまりいい気分じゃないよ。それに、結婚すれば、必ず幸せになるとは限らないから……」

 この反論には、美鈴もなにもいい返せない。

 美鈴が黙ったところで、これ以上見合いの話をしたくない大輝は、早くホテルにチェックインしたほうがいいといって、美鈴が予約してある真宮シティホテルに連れていく。


 美鈴がチェックインをすますと、ちょうど夕食どき。荷物を部屋に置くだけにして、地元の郷土料理を食べたいという美鈴のリクエストに応えて、いきつけの居酒屋『あかね』に案内する。あかねは、山田やまだ健介けんすけあかねの夫婦がふたりで経営している店で、地元の名物を食べさせてくれる居酒屋。

 土曜の夜で、店は繁盛し、テーブル席は満席。カウンター席があいていたので、ふたりは並んで座る。


 席につくなり、おしぼりを持ってきてくれた茜とカウンターの奥で調理している健介に美鈴を紹介する。

「とても親子には見えへんよ。齢の離れたお姉さんやないかと思てましたよ」

 茜の見え見えのお世辞に気をよくした美鈴は、生ビールの大ジョッキを注文して、またたく間にあけてしまう。


 それを眺めていた大輝が、「もう齢なんだから、アルコールは、ほどほどにしたほうがいいよ」と忠告するが、美鈴は気にもとめない様子でいい返す。

「齢だから、好きなものを好きなだけ飲んだり、食べたりするのよ。老い先短いんだから、今のうちに人生楽しまなくっちゃ。ヨボヨボになったら、なんにもできなくなるんだから。

 それにしても、あんた、相変わらずお酒、弱いのね。あたしと父さんの子なんだから、きっと飲めるはずなのにね。鍛えなさいよ! もっと飲んで」

「別に酒が飲めなくても、世の中、困ることなんかないよ」憮然ぶぜんとした表情で大輝がいい返す。


 親子でバカな会話をしているうちに、酒のさかなに注文した刺身の盛り合わせを茜が運んできてくれる。

「これ、マグロじゃない?」盛り合わせの中央に置かれた赤身と中トロを見て、美鈴が驚いた表情で尋ねる。

「そうだよ。マグロだよ。けっこう美味しいよ。揚がったばかりで新鮮だから」

「和歌山では、刺身は鯛やハマチ、平目なんかの白身の魚が主流じゃなかったの?」

 昨年和歌山を訪れたとき、大輝からそのように聞いていた美鈴が、その真否を確かめるため尋ねるが、大輝が答えられずにいると、代わりに健介が答えてくれた。


「和歌山っていうても、広いんですわ。北のほうの和歌山市では、瀬戸内海で獲れる鯛やハマチがぎょうさん市場に出まわるんで、刺身といえば、白身の魚がメインなんやけど、太平洋が目の前にある南紀では、刺身は、なんというてもマグロなんですわ。

 すぐ隣の三重県は、マグロの水揚げ量、全国でも上位なんですよ。この辺の市場では、鯛やハマチなんかよりも、マグロが圧倒的に多いんですわ」

「そうなんですか。同じ県でもずいぶん違うんですね」

「なんせ真宮から和歌山まで、特急で3時間もかかるからね」大輝が付け加える。

「特急で3時間も……」

「そう、3時間。新幹線ののぞみに3時間も乗れば、東京から岡山辺りまでいってるよ。そのぐらい遠いってことさ。僕も、人事異動の内示を受けたとき、真宮がどこにあるのか、全然知らなかったくらいさ」


 ビールを飲み干した美鈴が、次になにを注文しようかと悩んで、隣の大輝に尋ねる。

「ねえ、ここには、美味しい地酒はないの?」

「地酒……?」

「ありますよ」大輝に代わってカウンター越しに健介が答える。

「和歌山は、梅酒だけやおまへん。この辺には、熊野川の伏流水使つこた美味しい地酒があるんですよ。甘口、辛口、普通。お好みは、どないします?」

「とりあえず普通で」

「そしたら、これがよろしゅうおます」健介は、冷蔵庫から『太平洋』というラベルが貼られた小瓶をとり出す。


 自分でお猪口ちょこに注ぎ、ひと口含んだ美鈴が感嘆する。

「美味しい! まろやかでコクがあるわ」

「でしょう。地元でも女性に評判なんですよ。あっさりしてて、口あたりがようて。刺身にもあうんですよ」健介が満足そうに解説する。

 地酒に切り替えた美鈴が、美味しい、美味しいと、感激しながら刺身をつまみ、急ピッチに地酒をあけ始める。


 しばらくすると、健介が揚げたフライのようなものを皿に乗せて出してくれた。

ためしにこれ、食べてみはりますか? マグロ好きな人には、たまらん一品なんで、店でも評判ええんですよ」

 大輝もはじめて見る代物しろものだったが、食べ物に対する好奇心旺盛な美鈴が、ひと口味見する。サクッとした衣の中にとろけるようなレアな食感のマグロが口の中に広がり、土佐酢とさずのスッキリした味わいが食欲を刺激する。思わず美鈴が満面の笑みを浮かべる。

「サッパリして、とても美味しいわ。これ、マグロのフライですよね?」

「ええ、そうなんです。こっちでは、『中トロカツ』って呼んでます。最近この辺りで、B級グルメとして流行ってる一品なんです。普通は丼にするんやけど、この店では、カツだけお摘みに出してるんですよ。土佐酢との相性がようて、刺身に飽きた人にけっこう評判ええんです」


 地元の名物と美味しい地酒を心ゆくまで堪能した美鈴は、すっかりご機嫌になっていたが、どうしても美鈴に尋ねたいことがあった大輝は、ひと息吐いた頃を見計らってきり出す。

「ねえ、母さん、なんで仕事辞めたの? あんなにがんばってたのに」

 1年前、定年まで3年を残して仕事を辞めた美鈴に、その理由を尋ねようと思っていたが、これまで機会がなく、今に至っている。


「別にたいした理由なんかないわ。そろそろ潮どきかなって、思ったからよ」

「なにが潮どきなの? 母さんには、似合わない言葉だけど……」

「今は、出版業界も大変なのよ。本や雑誌が売れなくなって。最近は、電子書籍なんかも出まわるようになってるしね。

 母さんの会社も、年々売上落ちてて、やれ経営の合理化だ、経費の削減だっていって、あまりいい雰囲気じゃなくなってたの。なんかギスギスするような雰囲気っていうかなぁ、妙に人間関係がギクシャクするような感じ」

「それで、辞めたわけ?」

「まあ最初は、定年まで勤めてもいいかなとも、思ってたんだけど。そのうち人件費削減の一環として、早期退職を募るようになったの。いよいよ切羽せっぱ詰まったかっていう感じよ」


「それで、肩たたきにあったの?」

「ううん。名ざしで肩たたきされたわけじゃないの。定年まで5年きってる人を対象に、退職金割増するから辞めてくれないかって、全員に募ってきたのよ」

「それに応募したわけだ」

「そうなの。あたしも古株でけっこういい給料とってたから、あたしが辞めれば、若い子が2、3人雇えるのよ。そのほうが会社のためだと思って応募したの」


「母さんは、それでよかったの? まだ働きたかったんじゃないの?」

「そうでもなかったわ。これまでけっこうがむしゃらに働いてきたでしょう。負けん気が強く、軟弱な男なんかに負けるか、っていう気もちでがんばってきたけど……。

 それが、齢をとるごとに気もちがえてきて、もうがむしゃらに働く気もちがなくなってきたのよ。もうすぐ60でしょう。人生残された時間もそれほど多くないし、このまま働き続けたら、働くためだけに生きてきたような気がしたのよ」

「それで、辞めてみて、後悔してない?」

「全然。それどころか、なぜもっと早く辞めなかったのかって、後悔してるくらいよ」


「やりたいこと、なにか見つかったんだ」

「いえ、それはまだよ。具体的なものは、まだないけど……。

 今は、世の中のいろんなところにいってみたいと思ってるだけ。いろんなところにいって、今まで見たことないものを見て、知らなかったことを知り、食べたことのないものを食べてみたいと思ってるの。そのうち海外にもいってみたいんだ」

「海外旅行か。いいね、僕も海外にいってみたいと思ってるけど、今の仕事してる限りそんな暇はできそうにないね」


「あたしもさすがにひとりじゃ、海外にいく気にならないけど、あと2年もすると、父さんも仕事辞めちゃうでしょう。そしたら、一緒に海外旅行しようと思ってね」

「それはいいね。でも出不精でぶしょうな父さんが、海外旅行にいきたがるとは思えないけど……」

「それはそうよね。でもね、今まで食べたことない美味しい物が食べられ、飲んだことない美味しいお酒が飲めるって、いって連れていこうと思ってるの」

「それはいい考えだね。父さんは、食欲をそそるのが一番だよ」


「母さん、まだ食べれるでしょう。お勧めのおにぎりがあるから、食べてみない?」という大輝の勧めに美鈴がうなずく。

「大将、めはりずし、お願いします」大輝が健介に注文する。

『めはりずし』とは、熊野地方に伝わる郷土料理のひとつで、高菜たかなの浅漬けで包まれたおにぎり。元来は麦飯でつくっていたようだが、今では白飯で包んだり、酢飯を使うこともある。

 名前の由来は、目を見張るほど美味しいからだとか、目を張るように口を開けて食べるからだとか、諸説あるらしい。


「これがそうなの」目の前に出された緑色の高菜で包まれた少し大きめのおにぎりを見つめながら美鈴がつぶやく。

「そのままでも大丈夫やけど、この酢醤油少しつけて食べはると、味が引き立ちますよ」茜が、小皿に入れた酢醤油をもってきてくれた。

「あっさりして美味しいわね。お酒のあとの食事にぴったりだわ」

「浅漬けにして高菜の辛みとってるさかい、意外とあっさりしてはるでしょう。もとは、山仕事や農作業で食べる弁当として始まったようなんですけど……。地元では、今でも一般家庭でつくられてて、うちも子どもの頃、ぎょうさん食べさせられたんですよ」茜がめはりずしの蘊蓄うんちくを紹介してくれた。


 2時間ほどであったが、大輝は、久しぶりに美鈴と親子水入らずの時間をすごす。

 真宮の郷土料理と地酒を満喫した美鈴は、上機嫌で足元をふらつかせながらホテルに戻っていった。もちろん大輝が体を支えてあげたのはいうまでもない。

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