第一章 トラウマだらけの母校に凱旋

第1話 出会いと予感

 燦燦さんさんと照り付ける太陽の下、柵の向こうにある彼女の体がゆっくりと視界から消えていく。必死に手を伸ばすが、その手が届くことはなかった。彼女がいなくなり虚空となった空間を呆然と見つめる自分の意識を現実に引き戻したのは、下から響いてきた生徒たちの悲鳴だった。その悲鳴に突き動かされるように下を覗くと、微動だにしない彼女とその周りを取り囲む野次馬たちの姿が見えた――。


「おい的場、何ボーっとしてんだ。サボりか」

 過去の光景に心奪われていた的場を現在に引き戻したのは、上司である刑事部長の波佐間典助はざま のりすけに話しかけられたからだった。波佐間は無精ひげを生やし顔の口角を不気味に上げ、的場ににじり寄って来ている。

 女子更衣室内にあった隠しカメラを女生徒が見つけたという通報が的場の務める豊延とよのべ警察署に入ったのは、今からほんの二十分前ほどのことだった。今はその捜査の一環で、カメラのあった更衣室やその周辺のプール等を調べている。

 的場は校内の光景に、僅かばかりの懐かしさと胸のざわつきを覚えた。実はこの高校は、的場の母校なのだ。だから青色で凹凸のあるプールサイトにも、そのプールに直結する四つの部屋が、女子更衣室・男子更衣室・倉庫・水質管理を行うポンプ室と並ぶ光景も、すべて既視感のあるものだった。

 だが、母校に帰ってきたからと言って、嬉しさは微塵も感じていない。正直この学校には嫌な思い出しかない。今も屋上を見上げてしまったことで、五年前のあの日のことを思い出してしまった。一日でも早く忘れたい忌まわしい記憶。屋上からゆっくり転落していく彼女の目を、脳裏に焼き付いて離れないトラウマを、消し去りたかった。

「あ、いや、サボりじゃないですよ。ちょっと考え事をしてただけで」

「はあ。自分のミスを素直に認められない奴は、いつか痛い目を見るぞ」

 期待していたより反応が悪かったからか、波佐間は興味を失ったように溜息をついて、的場に背を向けた。こういうへそを曲げた時の対応を誤ると、後々面倒なことになる。そう思った的場が波佐間に釈明しようと立ち上がった時、前方から誰かが走って来た。後輩刑事の羽衣莉子はごろも りこだ。

「カメラを発見した女生徒の話を聞けました。カメラは女子更衣室内にある棚に、花柄のタオルに包まれた状態で放置されていたそうです。角度的に考えて、更衣室内がすべて撮られていたのではないかという事でした」

「学校は部外者が簡単に入れるような場所じゃないし、更衣室に初めて入った人間が、そんな完璧な画角でカメラを設置できるとも考えづらい。まあ、十中八九、学校内に潜む変態教師の仕業だろうな」

 莉子の報告を受けて、波佐間が持論を展開した。なんら無理のない論理展開だが、どこか腑に落ちないところが的場にあった。その場では理由をうまく説明できなかったが、元教師である的場の勘が、今の波佐間の推理に異論を唱えようとしていることだけは分かった。

 その後一通り現場周辺を調べ終えた三人は、校長室にいるという、カメラを発見した女生徒に会いに行くことにした。

 西側の校舎二階にある校長室の中は、少し手狭な印象を受けた。限られたスペースの中に校長の事務机と、来客用のローテーブルやソファが詰め込まれているのだから無理もないだろう。そのソファに、校長と女生徒が横並びで座っていた。

 校長は白髪交じりの頭ではあるが、そのピンと伸びた背筋や力強い目力からは年齢を感じさせない。女生徒の方は、きれいに整えられた黒髪ときっちりと着こなされた制服から、どこか大人びた印象を受けた。

「ああ、警察の皆さまですね。私、七年前からここで校長をしております、高田公康たかだ きみやすと申します。そしてこちらが、カメラを発見した遠坂天麗さんです」

遠坂天麗とおさか てんれいです」

 的場たちの姿を見て慌ててソファから立ち上がり自己紹介を始めた校長と、それとは対照的に、座ったまま端的に名前だけ言って頭を下げる天麗。急に警察が三人も入ってきたからか、少し緊張しているのかもしれない。

「豊延警察署、刑事部長の波佐間典助です」

「その部下の、的場國彦まとば くにひこです」

「さっきも言ったけど一応、羽衣莉子です」

 自己紹介を終えた三人がソファに座って天麗から話を聞こうとしたところ、校長室の扉が忙しなく叩かれた。校長が扉を開けると、そこにはスーツ姿の男性が一人、汗を花柄のタオルで拭いながら立っていた。

「教育委員会の山田です。我々の方にも一報が入りましたので、こちらに立ち会わせていただくことは可能でしょうか。もちろん、捜査の邪魔はしません」

 山田の問いかけに対し波佐間が答えようとすると、突然天麗が大きな声を出して山田の方を指さした。

「あ、刑事さん、あのタオルです。あのタオルと同じ柄のタオルで、カメラは包まれてました」

「え、それは本当ですか」

 的場が疑いの目を山田に向けると、山田は戸惑いながらタオルを体の後ろに隠した。

「どうして隠すんですか。何かやましいことでもあるんですか」

「いえ、ありませんよ。急にそんなことを言われたら、誰だって驚いて訳の分からない行動を取るでしょう。でも冷静に考えてみたら、今の発言は大嘘ですね。カメラを包んでいたタオルは、アニメキャラクターの柄でしたから」

 ……一瞬の静寂。

 的場には、今何が起こったのか理解できなかった。周囲の反応を見るに、その場にいるほとんど人間が状況を掴めていないようだ。ただ一人、天麗を除いて。

的場と目が合った天麗は、スカートのポケットからアニメキャラクターの描かれたタオルを取り出してローテーブルに置いた。

「確かに、カメラを包んでいたタオルは、この通りアニメキャラクターの柄でした。でも私は、このことを誰にも話していません。話を聞いてきた先生にも、そちらの刑事さんにも、カメラを包んでいたのは花柄のタオルだったと伝えました。でもあなたは、本当のタオルの柄を知っていた。それは、一体なぜですか」

 天麗の問いかけに対し、山田は膝から崩れ落ちた。そしてその場で犯行を認め、動機についても、この不祥事で管理職を懲戒処分に追い込み、その後釜に自分が座ろうと画策したのだと語った。

 こうして的場の母校で起こった盗撮事件は、通報から一時間足らずというとんでもないスピードで解決した。その場で緊急逮捕された山田は、莉子が連行することとなった。

「遠坂天麗さん、今回は犯人逮捕にご協力いただき、ありがとうございました。ただ、また警察に協力する際は、本当のことを証言するようにしてください。場合によっては、偽証罪に問われる可能性もあります。気を付けてください」

 波佐間が感謝の弁と説教を同時に述べると、天麗は少し不満げに頬を膨らませた後、無言のまま校長室を後にした。それを見た的場は、校長に頭を下げて天麗の後に続こうとした。

「的場くん、もう一つご相談があるのですが、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」

 的場が校長室の扉に手をかけたところで、背後から校長に呼び止められた。

「あれ、的場と校長はお知合いですか」

「ええ。だって彼は、四年前までこの学校で教師をしていましたから。その時も、私が校長でした」

「ああ、なるほど。そういえばそうでしたね。それで、ご相談というのは何でしょうか。是非、私にも聞かせて頂きたいのですが」

「はあ、そうですか。では、お言葉に甘えて」

 そう言うと校長は、事務机の引き出しから一通の白い封筒を取り出した。

「一か月前、学校のポストにこんなものが投函されたんです」

 波佐間は校長から封筒を受け取ると、その中身を見て眉間にしわを寄せた。そして穴が開くほど中の手紙を見つめた後、的場にそれを渡した。そこには、印刷された無機質な文字でこう書かれていた。


 夕暮れの学び舎 道に迷う吾子がまた一人

    

       我の祝詞で 自らが欲する未来を手に入れんとす


                           黄昏の祈禱師

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