第5話 土中の悲劇

 校舎の東側。テニスコートのさらに奥にある畑は、学校の敷地で言うと東端に位置する。面する道路からもはっきりと確認することができるほどに見通しが良いこの場所に、禍々しい色の血だまりができていた。

 波佐間の呼んだ応援が駆け付けると、現場はブルーシートに覆われた。波風の時は生徒を混乱させまいと遮蔽物を使わなかったが、今度は一目現場を見ればその血だまりに気付いてしまう。ブルーシートで囲まれたところに警察が出入りするという異様な光景よりも、畑の真ん中に血だまりがあるという異様な光景の方が生徒に与える影響は大きいだろうと考え、今回は現場を隠すことにした。

 現場検証をしていると、五限目終了のチャイムが聞こえてきた。校舎の方からは早速畑での異変に気付いた生徒たちが、大きな声を上げている。これでもう、事件を隠すことはできない。おそらく今頃、職員室では今後の対応についての話し合いが行われていることだろう。

「なるほど。つまり今回の第一発見者は校務員の吉田竜彦であり、その次に駆けつけたのがお前の同僚である天津川栄作、その少し後にお前が現着したというわけだな」

「はい」

 プールから畑に向かった後に的場が見たものは、胴体に両腕を固定するようにロープを巻きつけられたうえで腹から血を流して倒れる男子生徒と、その前に腰を抜かした男性と天津川が呆然として立ち尽くしているという光景だった。

 的場は、すぐに警察と消防に緊急通報を行った。市立病院がここから近いこともあって、すぐに救急車が到着したが、その頃にはもう、畑の真ん中に血だまりができるほどに被害者が出血した後だった。出血量から考えて、まず助かることはないだろう。

「その後、二人に話は聞いたのか」

「はい。校務員の吉田は、一人で校務員室に籠って農具の手入れを行った後、畑へ行くと倒れている被害者を発見したと証言しました。天津川先生は授業で使う予定だったギターが故障したので修理パーツがある一階の倉庫に向かい、パーツを持って音楽室に戻ろうとしたところ、悲鳴が聞こえたため現場に駆けつけたという事でした」

「ということは、二人ともアリバイを証明することはできないということか」

「はい。以上が、現状で報告できることです」

「分かった。それじゃあ、頃合いを見て教室に戻れ。この状況であまりに姿を眩ませると、お前のことを勘繰り始める人間が現れるかもしれない」

「分かりました。ところで、学校側はどう対応するんでしょうか」

「まだ分からない。ただ俺が口を出せるのなら、生徒を全員帰らせるな」

「どうしてですか」

「犯人が何らかのトリックを使ったのでなければ、事件はどちらも授業中に起こったことになる。生徒は容疑者から外していいだろう」

「つまり、容疑者を教職員に絞るということですか」

「それが、捜査の筋というものだろう。それに先生方も、今はうまい説明が思いつかないだろうから、一旦生徒を帰らせて、改めて保護者会でも開こうと考えるんじゃないか」

 波佐間の読みは当たっていた。教室への集合の放送に合わせて的場が教室に戻ると、担任の秋穂から全員下校するようにと話があった。生徒は口々に理由を尋ねたが、それには何も答える様子が無く、ただ「追って保護者会を開いて、説明します」と定型文を口にするだけだった。綾子も生徒に詰め寄られていたが、返答は同じだった。

 大きな混乱の中、廊下や出入り口に居並ぶ教師たちの圧に押される形で、生徒全員が下校する運びとなった。怪しまれないように的場も一度下校し、今度は転校生の市場國人ではなく、警察官の的場國彦として現場に戻ることになった。

 家に戻り、スーツに着替える。その姿に的場は、何故か違和感を覚えてしまった。たった数日の出来事だったが、既に制服姿の自分に見慣れていたのだ。その事実に的場が驚愕しながら家を出ると、そこには天麗の姿があった。

 天麗は俯き加減で道路の真ん中に立ち尽くし、そのまま放置すれば交通事故に遭わないかと心配になるほどに周りが見えていなさそうだった。

「こんなところまで、一体何の用だ」

「……私も、捜査に合流させて」

「どうしてだ。事態は一刻を争う。ここは、捜査のプロである警察に任せておけ」

「その警察が、五年前の綾子先生が転落した事件の真相を隠蔽した」

 天麗の思わぬ一言に、的場は何も言葉を返せなかった。

「誤魔化さないんだ。それとも、開き直るつもり?」

「いや、俺は決めたんだ。もう逃げないって。過去に怯えて現在を見ないような生き方はもうしないって、そう決めたんだ」

「じゃあ、教えてよ。五年前、あなたが綾子先生を殺そうとしたんでしょう。両手を使えないようにロープで縛って、そして屋上から投げ落とした。それを共犯者の矢島とかいう人に頼み、ロープを隠して証拠を隠滅。事件を無かったことにした。違う?」

 天麗の問いかけに、的場は答えなかった。的場は無言のまま天麗に背を向け、学校の方に歩みだした。それを見た天麗は、地団太を踏みながら大声で叫んだ。

「どこに行くの! やっぱり、私に言ったことは全部嘘だったんだね。あなたも、汚い大人だったんだね! 私のことを信じるって言って油断させて、この真実に辿り着くのを遅らせたかった。それだけだったんだね」

 天麗のその叫びを聞いた的場は、そこで足を止めた。そして振り返ることなく、優しく諭すように天麗に言葉を投げかけた。

「捜査を共同で行う相棒に、絶対になくてはならない要素は何だと思う」

「なによ急に、お説教でもして煙に巻こうって魂胆でしょう。そんなことしたって無駄――」

「それは、お互いを絶対に信用することだ」

 天麗の言葉を遮るように的場が話すと、天麗の勢いがそこで止まった。振り返ってはいないため姿は見えないが、異常なまでに早く、とてつもなく浅いその息遣いは、天麗がどのような精神状態であるかをよく伝えてきた。だから的場はあえて振り向かず、そのまま背を向けて話し続けた。

「俺が今ここで事実を語ったとして、お前はそれを信じられるのか。それが、今のお前が考えている真実と違っても」

「……無理、だと思う」

「正直に言うと、俺もまだこの事件のすべてが分かったわけじゃない。ただ、俺が過去に囚われたままだと、この事件は解決できない。なんだか、そんな気がするんだ。だから俺は、すべてを受け入れる。すべてを、明らかにする。――それで、お前はどうする?」

「え」

「お前も、過去の出来事に囚われ続けているんじゃないのか。だから今の事件から目を逸らし、俺の過去を暴くことに固執している。……違うか」

 天麗からの返答は、無い。

「覚悟ができたら、学校に来い。その時には、歓迎するよ」

「そんな時が、来るのかな」

「言ったはずだ、俺はお前を信じる」

 的場が力強くそう言い放つと、天麗は半歩後ろに下がった。的場の勢いに気圧されたらしいのか、心に刺さるものがあったのか。それは、天麗にしか分からない。

「……私たちも、小夏とあっちゃんみたいになれるかな」

 突然そんなことを言い出す天麗。的場には、何のことだがさっぱり分からなかった。

「小夏さんは分かるけど、もう一人のあっちゃんって言うのは誰のことだ」

「私がカウンセリングルームで小夏を追い詰めた時、話してくれたんだ。小夏が何でも相談できる、その人のおかげで生きていられると思うような、そんな人なんだって。まあ、それ以上詳しくは訊けなかったけど、きっと藤浪先生のことだと思う」

 天麗のその言葉を聞いた瞬間、的場の背中に一筋に冷たい感覚が走った。一瞬ではあったが、確かな感覚。今の話を聞いて閃いたある考えが、的場の中で確かな手応えを持った。しかし確証はなかったし、的場自身それを信じたくなかった。

「まさか犯人は……いや、そんなわけがない。違う、絶対違う。第一、何の証拠もないじゃないか」

 そう呟いた的場の背中に、再び冷たい感覚が走った。その感覚を信じた的場は、家の中に戻ってハンガーにかけてあった制服を漁り、ベッドの上に投げ捨てた。

「そうか、これはそういうことだったのか」

 一つの仮説が頭の中で出来上がった的場は、それを確かめようと玄関を飛び出した。

「ねえ、何か分かったの? 教えてよ」

 玄関先には、相変わらずしょぼくれたままの天麗の姿があった。声色には、不安が滲み出ている。

「覚悟はできたのか」

「いや、それは……まだ」

「じゃあ、何も教えることはできない」

「あ、じゃあ、ヒント。せめてヒントを頂戴」

「ヒント、か。ヒントなら、お前の身近に転がっているよ。後は、それに気付けるかどうかだ」

「なにそれ、意味分かんない」

「まあ一つアドバイスするなら、これはこういうものだとか、こんなものはあり得ないとか、そんな先入観は捨てることだな」

 的場はそう言い残し、天麗を置いて天縣高等学校へ向かった。

 少し進んだ時、微かに天麗のこんな言葉が聞こえた気がした。

「あっちゃん……あっちゃん……そういえば、波風の下の名前って……」

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