第4話 果たし状の差出人は
放課後。早急な帰宅を促す先生たちの攻撃を何とかいなし、的場は体育館に辿り着いた。体育館の前はアスファルト舗装の道があり、体育館自体もきれいな見た目をしているため、手入れが行き届いているような印象を受ける。しかし一度裏手に入れば、雑然と生え散らかした雑草たちによってその印象は空の彼方に消え失せてしまう。はっきり言ってしまえば、人間の入る場所ではない。ましてや、待ち合わせ場所にするなど以ての外だ。
あの果たし状の差出人が黄昏の祈禱師だったら、この誘いに答えることは事件解決の最大のチャンスになるかもしれない。
しかし、同時に最大のピンチになる可能性もあった。ここで的場が殺害されてしまえば、これまでのすべてが水泡に帰す。それだけは避けなければならなかった。
そのため的場は、少しだけ教室に残って、準備体操を終えてからここに来ていた。単独犯なら即座に制圧できるように、複数犯なら何とか逃げおおせて波佐間に応援を頼めるように、あらゆる場面に対応できるようにしてきた。
「これで犯人が自首して、ハッピーエンドになってくれ」
角を曲がって体育館の裏手に入る際、的場は思わず願望を口に出していた。主人公としての自分を演じているとはいえ、やはりこういった瞬間には緊張感が漂う。本当は格好良く、颯爽と体育館裏に躍り出たいところだが、ここは万全を期して、こっそりと様子を窺うことから始めることにした。
「……二人か。でも、どちらも制服姿。生徒か」
一先ず安心した的場は、体育館裏で待っていた二人の前に躍り出た。二人の生徒は的場の姿を確認すると、一人はボディビルのポーズを決めて体を大きく見せ、一人は恋する乙女かの如く両手の指を顔の前で組み合わせ、体を横に揺すり始めた。
「市場國人さん、ですね」
ボディビルポーズの生徒がそう言うと、的場は静かに頷いた。偽名の方で本人確認をしてきたことから考えて、潜入捜査のことを知っているわけではないらしい。的場の中の緊張感が、徐々に解けていく。
「初めまして。僕は水泳部の部長をやっている、
「ご丁寧にどうも。もう一人の方は?」
的場が恋する乙女に向けて手を差し出すと、その女生徒は息を呑んだ。そして三秒ほど的場を眺めた後、全身の力が抜けたように地面へと崩れ落ちた。
「え、あのどうしましたか」
的場は戸惑い、つい敬語を使ってしまった。それを聞いた女生徒は、目を見開き、口をあんぐりと開けている。まさか、自分の正体を探るために一芝居を打ったのか――そんな心配をする的場だったが、事態は思わぬ方向に進んだ。
「市場様が、私のことを心配しておられる。その上、敬語で話してくださって……ああ、私はなんて幸運の星の下に生まれたのでしょう。市場様に出会えるだけでなく、こうして話すことまでできてしまうなんて」
「え、あの、いや、え」
「ああ、私としたことが。お困りにさせてしまい、申し訳ございません。私、三年五組の
花京院花時雨。そのあまりにインパクトの強い名前に的場の思考は、いつの時代の名前だよとか、花盛り込みすぎだろとか、キラキラネームって言っていいかも微妙だなとか、そんなツッコミワードで溢れた。
だが、そんなことを考えている場合ではない。的場は頭を全力で左右に振り、すべてのツッコミワードを遠心力で飛ばしてから会話を続けた。
「それで、お二人は私に何の用ですか」
「互いに用件は違いますが、目的は同じです。市場さん、天麗さんと別れてください」
「そうですわ。市場様、私のお隣にいてくださいませ」
あまりの唐突な話に、的場の頭の中は真っ白になった。
「え、用件ってそういう話?」
「はい。僕は一年生の頃からずっと、天麗さんに恋心を抱いていました。彼女を振り向かせたい。その一心で筋トレに励んでこの肉体を手に入れ、水泳部の部長という地位も手に入れました。それなのに、ぽっと出のあなたが麗しき天麗さんを攫って行ってしまった。これは許されることだろうか。いや、許されない」
「その通りです。さあ、事情が分かりましたら、早急にあの女とは別れてください。あんな我儘女よりも、私と一緒にいたほうがずっと幸せになれますわよ。きっとこれまでも、あの我儘女に振り回されてきたんでしょう。でも、もう安心です。これからは私が、市場様の仰せの通りに付いて参りますから。私の方が美貌も、財力も、性格の良さも、すべてが上回っています。あんな格下我儘不細工女で我慢する必要なんて、どこにもありません」
どちらの生徒も、捲くし立てるように、自分の用件だけを一方的に話した。まるで的場に選択の余地が無いとでも言いたいような、そんな厳しい目つきで睨みつけながら。
そんな二人を見て、的場は大きく溜息をついた。天麗と自分は、そもそも付き合ってなどいない。あれは天麗が咄嗟についた嘘で、潜入捜査に支障をきたしそうになったこともあった。それに、陸上部に入ったことで波風との接点ができ、彼の死に大きな責任を感じる羽目になった。
そう考えれば、天麗は捜査の妨害行為を行っていると言って然るべきであるような気がしてくる。少なくとも、的場の精神を攻撃していることは間違いない。だから、天麗に同情の余地などない。欲しいというのなら、いつでもくれてやる。
そう思っていた的場だったが、口に出たのは真逆の言葉だった。
「断る。お前なんかに天麗を任せることはできないし、花京院さんと付き合うこともない」
「どうしてだ。どうしてなんだ。僕の涙ぐましい努力を聞いて、どうして断るなんて答えができるんだ。あなたは本当に、血の通った人間か」
「それだよ。お前は天麗をどれだけ思っているかじゃなくて、自分がどれだけ努力をしたかしか語っていない。要するに、天麗と付き合いたいのは、天麗の幸せではなく自分の幸せを願っているからだ。そんなやつに、安心して天麗を任せることはできない」
的場の力強い返事に、中山は返す言葉が無かった。ただ言葉では言い表しづらい微妙な表情をして、突っ立っていることしかできなかった。
「それは花京院さん、あなただって同じです。あなたも自分のことしか考えていない」
「そ、そんなことはありませんわ。私は、市場様のことを思って――」
「本当に俺のことを思ってくれているのなら、俺が今好きだと言っている天麗のことを悪く言うことなんて無いはずだ。それを言えば、俺がどう思うか分かるはずだから。それが分からないということは、花京院さんも自分のことしか考えていないということです」
的場の鋭い指摘に、花京院は顔を伏せた。最初はあれだけすごい勢いで捲くし立てるように話していた二人だが、今はもう見る影もない。的場の指摘が、図星だったのだろう。
「……確かに、天麗にはたくさん困らされた。勝手に変な噂は流すし、中途半端なヒントを出して授業中に恥をかかせるし、部活にまで口を出してきた。本当に、うんざりすることもあった。振り回されてばっかりで、勘弁してくれと思っていた」
そこで的場は息を継ぎ、それまでよりも更に大きな声で話を続けた。
「でもな、それはあいつの性格が悪いからじゃない。あいつは、誰よりも優しいんだ。ただちょっと天邪鬼で、不器用で、ひねくれているから、その伝え方が下手糞なだけだ。あいつがして俺が困ったことは確かにたくさんあったけど、それが無ければ、俺はもっと困ったことになっていた。俺もあいつも似ている。自分に嘘をついて、誰にも本音が話せない。いや、自分でも何が本音か分からなくなっている。だからちぐはぐな行動をする。でも、俺はあいつを信じると決めた。これからも、絶対信じるって決めたんだ」
的場の話を聞いた中山と花京院の二人は、開いた口が塞がらない様子だった。しかし、本当に驚いていたのは的場の方だった。自分は、天麗のことをずっと面倒だと思っていた。確かに、そのはずだった。それなのに、今自分が話したことはその正反対の言葉だった。
無意識の内に、自分でも分からない内に。いや、本当は分かっていながら押さえつけていた本音に、初めて面と向かって対峙したのかもしれない。
そんな感傷に更けていると、いつの間にか中山と花京院の姿は消え失せていた。風に揺られる雑草が、心地よい葉擦れを響かせる。
「疲れたな。さあ、今日は家に帰ろうか」
そう言って的場が歩き出すと、体育館の入り口の前に一人で佇む天麗の姿を認めた。
「こんなところで何してるんだ」
「……別に、なんでもいいでしょ」
「そうか、じゃあな」
的場がそう言って天麗に背を向けると、制服の袖を後ろに引かれた。振り返ると、天麗が頬を赤らめながら、的場の右袖を掴んでいた。
「何の真似だ」
「……い、一緒に帰ろう」
「ん、なんだって? ちょっとよく聞こえなかった」
「きょ、今日だけ特別に、一緒に帰ってあげるって言ってるの」
声を張り上げた天麗は、大きな足音をたてながら的場よりも先にレンガ通りを進み始めた。しかし、少し進んでは立ち止まり、また少し進んでは立ち止まり、を繰り返している。頻りに、的場の方を振り返りながら。
「これが、青春か」
そう呟いた的場は、小走りで天麗に追いついた。
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